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有鄰


平成11年5月10日  第378号  P4

 目次
P1 P2 P3 ○インタビュー 永井路子 歴史小説の周辺 (1) (2) (3)
P4 ○ロシア文学は今  水野忠男
P5 ○人と作品  中島京子と『だいじなことはみんなアメリカの小学校に教わった。』   藤田昌司



ロシア文学は今
水野忠男




創造の自由が奪われていた旧ソ連体制下

 今日では信じられないことかもしれないが、ひと昔 前までは、わが国 において、ロシア 文学は青春の文学 であった。プーシ キン、ゴーゴリ、ド ストエフスキイ、 トルストイ、チェ ーホフといった作 家の作品を一冊も 読まずに青春期を 過ごした人は読書 とは関係のない人 なのだといっても 過言ではない時代 があった。

  日本の近代文学 をふり返ってみて も、十九世紀のロシア文学の 影響を受けなかった作家の名 前を挙げるのは困難なほどで ある。

  それでは、ロシア文学とい うのは十九世紀で終わってし まったのか。確かにドストエ フスキイとトルストイを例に 出すだけでも、あまりにも大 きな存在であったために、こ のような問いが出てくるのも 理解できないわけではない。

  それからもうひとつ、ロシ ア革命後のソ連邦の成立。と りわけスターリン体制のもと で文学、芸術の存在が困難を きわめたために、ロシアは好 きだけれどソ連は嫌いだ、ロ シア文学は読むけれどソヴェ ト文学には興味はない、とい う日本人も多い。それなら、 ソ連が崩壊した今なら、どう なのだろうか。


生前、作品が活字にならなかった多くの詩人や作家たち

 旧ソ連の体制下では、文学 者の創造の自由が奪われてい て、たとえば、『ドクトル・ ジバゴ』を書いたパステルナ ークや『ガン病棟』を書いた ソルジェニーツィンが、いず れもノーベル文学賞を受賞し ながら、本国では作品が活字 にならなかったことを記憶し ておられるかたも少なくない であろう。

  しかも、これには長くて困 難な歴史がつけ加えられる。 悲劇をはらむ苛酷な時代のな かで、みずから生命を絶った り、国外亡命を強いられたり、 粛清による死をとげたり、肉 体的な死こそまぬがれたもの の、生前、作品が活字になら なかった詩人や作家がどれほ どいたことか。


ソヴェト文学の枠内に収まらない二十世紀のロシア文学

 一九八六年六月に開かれた ソ連作家同盟第八回大会で は、従来、禁じられていた詩 人や作家の復権が要求され、 「ペレストロイカ」「グラー スノスチ」の提唱とともに、 二十世紀ロシア文学史の見直 しもはじまった。

  要するに、過去に迫害を受 けた文学者ブルガーコフ、プ ラトーノフ、パステルナーク や亡命作家ザミャーチン、ナ ボコフなどの作品が解禁され たのである。ただし、これは あくまでもソ連本国において であって、欧米やわが国にお いては、この状況をすでに先 取りしていた。

  たとえば、一九二四年に書 かれ、八七年にようやく活字 になったブルガーコフの『犬 の心臓』は七〇年に私の翻訳 によって河出書房より刊行さ れている。

  そう、「ロシア」と「ソヴ ェト」という政治的な枠組で はなく、十九世紀と二十世紀 という時間の連続性と断絶を 含む文学を総体として見直そ うとする作業は、すでにはる か以前から欧米やわが国では はじまっていたのである。

  さしあたって、集英社ギャ ラリー〔世界の文学〕15「ロ シア・」をおすすめする。ザ ミャーチン『われら』『洪水』、 ブルガーコフ『巨匠とマルガ リータ』、プラトーノフ『ジャ ン』など、「ソヴェト文学」の 枠内には収まらぬ二十世紀ロ シア文学の古典ともいうべき 作品を読むことができよう。 いずれも、長い時間の検証に 耐えて、文学固有の論理によ って当然にして復活されるべ き存在であった。十九世紀ロ シア文学の伝統を踏まえつつ 二十世紀小説の冒険の軌跡を 発見できるはずである。

  プラトーノフについては、 『土台穴』(亀山郁夫訳、国書刊 行会)もつけ加えておきたい。


ペレストロイカ以降の新しいロシア文学

 しかし、これも 過去の栄光にすぎ ないのではない か。今日のロシア 文学はどうなって いるのだろうか。 どんな時代であ れ、文学は創造さ れ、読まれる運命 にあるのは自明の 理であって、ペレ ストロイカ以降、 ロシアでも新しい 作家が生まれ、ま さしく今日のロシ ア文学が出現して いる。ここでは、 近年、わが国で翻 訳・刊行された作 品を中心に取りあ げることにしよう。


ヴェネディクト・エロフェーエフ『酔どれ車・モスクワ発ペトゥシキ行』

 まず、ヴェネディクト・エ ロフェーエフ(一九三八−九 〇)の『酔どれ列車・モスク ワ発ペトゥシキ行』(安岡治 子訳、国書刊行会)は、今日 のロシア文学の出発点であっ た。この作品が書かれたのは 七〇年で、サミズダート(地 下出版)、タミズダート(国 外出版)でひそかに多くの読 者を獲得していたが、ロシア で活字になるには、八八年ま で待たねばならなかった幻の 名作である。

  モスクワから列車に乗って ペトゥシキにたどりつけさえ すれば。ただひたすら酒をあ おりつづけるアルコール中毒 の主人公、モスクワにいなが らクレムリンすら見たことの ないヴェー ニャにとっ て、ペトゥ シキは愛す る女と幼な 児の待つ希 望の地であ った。終わ りのない旅 がはじま る。この旅 は、苦しみ にみち、耐 えがたいモ スクワの日 常からの脱 出、生の意 味を問い直 し、魂の救 済を求める ものではあ ったが、結局、約束の地にた どりつくことなく破滅する。 日常感覚を失うほど酔わずに はいられない主人公のときお り見るモスクワは終末を迎え た都市であり、旅もまた、希 望のない旅であった。

  既成の文学、音楽、絵画を パロディー化しつつ、独自な 文学空間を構築し、この作品 ひとつだけでも、作者の名前 は文学史に残ることであろ う。


ヴィクトル・エロフェーエフ『モスクワの美しいひと』

 もうひとりのエロフェーエ フ。つまりヴィクトル・エロ フェーエフ(一九四七−)の 『モスクワの美しいひと』(千 種堅訳、河出書房新社)も、 一九八〇年から八三年にかけ て執筆され、九〇年にロシア で出版されたものである。

  地方出身で、モスクワが大 好きな絶世の美女イーラが女 主人公。アメリカの男性雑誌 の表紙に美しいヌードの姿態 を露わにして登場。まだ若く、 美しいイーラには、愛人で生 涯の伴侶となるはずであった 初老の大物文化人がいたが、 性交中に腹上死し、その後、 亡霊として迫ってくる彼につ きまとわれる。乱れた祖国ロ シアを救うため、聖女となり、 新しいジャンヌ・ダルクとな るために全裸になって野を駈 けめぐる。時空間を自由に飛 びこえる幻想小説としての面 白さは特筆すべきである。

  この作家の中篇『愚者との 生活』は現代音楽の鬼才アル フレード・シュニトケによっ てオペラ化され、ボリス・ポ クロフスキイの演出によるモ スクワ室内芸術劇場(シアタ ー・オペラ)の来日公演を見 て、私は感動した。


リュドミラ・ペトルシェフスカヤ『時は夜』

リュドミラ・ペトルシェフ スカヤ(一九三八−)は、 今日のロシアの重い主題を追 求しつづけている女流作家で ある。この作家の戯曲をモス クワの舞台でいくつか見たこ とがある。『時は夜』(吉岡ゆ き訳、群像社)は、「紙切れ、 学習用ノート、電報用紙」に 書きつけられた無名の女流詩 人の手記が、死後、そ の娘から作者に「送ら れてきた手記」という かたちをとる。

  手記には、精神分裂 症の母親を養護施設の 送りこむまでのいきさ つと、家族の葛藤をめ ぐる独白が残され、オ ーソドックスな手法な がら、読む者の心を打 たずにはいない。


ウラジーミル・ソローキン『愛』『ロマン』

 九〇年代に入って活 躍している作家のなか で、もっとも注目され るのはウラジーミル・ ソローキン(一九五五 −)であろう。七〇年代後 半からコンセプチュアリズム のデザイナー、画家として活 躍したが、九四年に発表され た短篇集『愛』(亀山郁夫訳、 国書刊行会)と長篇『ロマン』 (望月哲男訳、国書刊行会)を 読むだけでも、その才能には 期待を抱かされる。

 『愛』に収められた十七篇 の短篇は、死体愛好、ホモセ クシュアリズム、スカトロジ ーなどのモチーフが独特な文 体、構成によって表現されて いるが、この作家にとって、 起承転結といった文法は否定 されている。

 十九世紀末のロシアを舞台 とする長篇『ロマン』は、冒 頭から五分の四ほどまでは、 十九世紀ロシア小説の模写と なり、都市から田舎にやって きた主人公ロマンと土地の娘 タチヤーナとの恋愛、結婚ま では普通の小説であるのにた いし、全村をあげて祝福され た婚礼の夜には、主人公が斧 を振りかざして、はてしない 殺戮をはじめる。この作家の 主題と方法意識を集約した作 品である。


ヴィクトル・ペレーヴィン『眠れ』『虫の生活』

 ヴィクトル・ペレーヴィン (一九六二−)も、ヴィク トル・エロフェーエフ、ソロ ーキンにつぐ今日のロシアの ポスト・モダン文学の代表者 といえる。

 短篇集『眠れ』(三浦清美 訳、群像社)と『虫の生活』 (吉原深和子訳、群像社)が すでに訳出されているが、こ の作家の感性は新鮮である。

 さまざまな語り口調を通し て人間の生きることの意味を さりげなく描いた短篇集にた いして、人が虫になり、虫が 人になる、多重世界に住む価 値の相対化する世界にたいす るさりげない風刺を行なう 『虫の生活』はペレーヴィン の代表作である。

 このほか、ワレーリヤ・ナ ールビコワ(一九五八−) の『ざわめきのささやき』(吉 岡ゆき訳、群像社)、セルゲ イ・ドヴラートフ(一九四一 −九〇)の『わが家の人々』 (沼野充義訳、成文社)が刊 行されていることもつけ加え ておきたい。




みずの ただお
一九三七年中国生まれ。
早稲田大学教授。ロシア文学。
著書『マヤコフスキイ・ノート』中央公論新社3,670円(5%税込)、
『ロシア・フォルマリズム・』せりか書房3,150円(5%税込) ほか多数。

※表示価格はすべて5%税込





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