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有鄰


平成11年9月10日  第382号  P3

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 箱根温泉と湯治 (1) (2) (3)
P4 ○現代ガラス  武田厚
P5 ○人と作品  小林恭二と『父』        藤田昌司

 座談会

箱根温泉と湯治 (3)


 
中村 ですから昔の人は経験的に適切な入浴法を知っていて、まじめに湯治する人は三週間、三廻りやったと思うんです。けど、そのころから速く効果を求める風潮があったらしく、江戸中期の資料を見ても、一廻りぐらいで効果を求めて、一日に何回も入っている人が多い。そんなのはだめだと書いてあるのもあります。

それがさらに短縮されて、今のような一泊、二泊になった。医学的に見れば、これではどうしようもない。ましてどんちゃん騒ぎをするのは、湯治ではないですね。

岩崎 江戸時代後期になると、滞在期間中、風呂場を全部借り切ってしまう留湯(とめゆ)や、一時的に入口にのれんを懸けて、風呂場を借り切る幕湯(まくゆ)という形が採られたり、小風呂や底なし湯といった湯治客の要望に応じた工夫も旅館はしていたようです。
 

温泉療法−温熱作用・成分作用・浮力作用

大木
堂ヶ島
堂ヶ島(『七湯の枝折』から)澤田和氏蔵
興味深いことですが、日本は新しい道を探すとき、国をあげて温泉開発に力を注いでいます。明治維新のとき政府は日本の温泉を調べて、それに欧米の新しい科学・医学を導入し、新しい医療を世界に広めようと考え、その基礎資料を集めるため『日本鉱泉誌』を編さんしました。これは温泉の医療効果が経験的に認められていたからだと思います。欧米の医学を導入して温泉の医療効果を科学的に解明し、国民の健康に役立てたいと考えたのです。でも政府高官が願ったほど、国民の健康・福祉に役立てるという結果になりませんでした。

それから関東大震災直後とか終戦直後など日本国民が疲弊したときにも、政府は日本中の温泉の分析値を集めて、温泉で新しいものを見つけたいと思った形跡があります。

昭和四十八年のエネルギーショックのときはエネルギーの新資源開発の一つとして大規模な地熱発電を開発しました。これは今でも続いています。

医療という面から温泉を見てみると、一九五〇年代に入ると、日本ばかりでなく世界的に温泉地が人々から見放されるようになりました。抗生物質の発見と、冷房装置が普及してからです。

昔、夏の休暇は、一年の一大イベントとして、みんな温泉地へ行っていました。ところが温泉は、飲んでも、入浴してもすぐ効くわけではありません。冷房装置があれば、高価な観光温泉地に避暑に行く必要はありません。多くの難病はペニシリンなどの抗生物質で容易に治るようになった。その結果、世界中の温泉地が衰退しました。

ところが、感染症には抗生物質は効くんですが、ガンとか高齢のために起きてくる病気などに対しては、あまり効果がありません。病気を治す力は、すべての人がもっている免疫力にあるといわれ、分子生物学的に解明されているDNAレベルでの整理作用に関係しているそうです。

この免疫力を高めるためには、現象的には、楽しいとか愉快という精神状態を持続させるのが良いというのです。それには昔からやっている温泉治療のような、生命体自身が持っている自然治癒力に注目した免疫的医療が、二十一世紀の医療として注目されだしているそうです。先ほど、中村先生が、今、温泉治療が見直されていると言われたのは、そういうところに視点を置いているのだろうと思います。
 

  温泉療法の根本は温まるということ

中村 温泉療法は昔からあります。では温泉はなぜ効くのか、温泉療法とは何かというと、すっかり科学的に分析され、証明されたわけではないんです。わからない要素もたくさんありますが、簡単にいえば、温まるということです。人間の体は温まることでいろんな新陳代謝・化学反応が活発になり、それを継続することで、いろんな病気の治癒が促進される。

昔は外傷が多く、温泉によってそれがよく治るという言い伝えがあります。武田信玄の隠し湯などは、戦陣で傷ついた人が、それで治療する。湯河原なども昔からそういうことがいわれていますね。

それから、温泉に溶け込んでいる化学成分が人体にいい影響を及ぼす。先ほど大木先生が、火山性温泉は食塩が基本だと言われましたが、日本の温泉の中で一番多いのは、余り含有成分がなくて温度だけが高い単純温泉です。その次に多いのが食塩泉で、この食塩泉は温まるんです。普通の単なる沸かし湯と比べて温まりやすい。ということは、食塩が皮膚にくっついて、温泉から出た後も、冷めにくいという作用がある。それによっていろいろ効果が出てくるんです。
 

  下剤や増血剤など薬として温泉を飲む飲泉療法

中村
湯本周辺
湯本周辺(中央奥・二子山)平田大二氏提供蔵
それから、先ほども言いましたが、ヨーロッパでは飲泉療法が現在でも盛んです。昔は薬を合成してつくることができなかったから、鉱物性の温泉を薬として飲んでいました。昔から経験的に、この温泉を飲むと何にいいということがわかっていた。ヨーロッパでは、主として下剤のような効果を期待して飲んでいます。西洋流の昔の医学の考えですと、早く体から悪いものを出すことがいいんです。温泉の成分には緩下作用のあるものがいろいろあります。例えば胆石とか腎臓の石を出す作用が期待された。

あるいは、重炭酸イオンが入っている温泉を飲むと胃の病気にいいことが経験的にわかっている。それから、現在でも、鉄を含んだ温泉を貧血の治療に飲んでいます。これは冷たくてもいい。スイスのサンモリッツ温泉は冷泉ですが、鉄泉として有名です。最近はいろんな薬がでてきたから、余り温泉に頼って飲泉療法をしなくなっていますが。
 

  体のメカニズムを変える変調療法

中村 温熱作用、成分の作用のほかに、もう一つ別の立場からいうと、普通のお湯でも入ると体が軽くなります。すると麻痺している人や関節・筋肉の痛い人も、空気中、陸上では動けないのが、お湯の中では、軽くなり、動けるようになる。つまり、お湯の中では無理なく運動ができ、回復を早める作用がある。日本で昔から中風の湯といわれている所は大体温度が低く、三十七度ぐらいです。

もう一つつけ加えると、体質の変換というか、体のメカニズムを変える効果がある。これは温泉だけの効果でなく、周辺の気候や環境の与える影響なども含めて体調を変える変調療法です。その中には、今、大木先生がいわれたような、免疫力を高めるという効果も大いにあると思います。そういうことを生かして温泉を利用したらいいと思います。

編集部 中村先生の病院では、リハビリに温泉を利用されているわけですね。

中村 七沢の病院では、現在、温泉の湧出量が少なくなっているので、実際には水道水を足して沸かして使っています。それでも温熱効果や浮力の効果には変わりはないので、リハビリ訓練の補助療法という形でやっています。

病院がある場所は戦国時代に山城があった所で、山間で緑もたいへん多く、のんびりできるという環境の効果も、十分ある所です。昔からある湯治場も、やはりそうだと思います。精神面の効果も結構あると思いますね。
 

  温熱効果とマッサージ効果が得られる滝湯・打たせ湯

岩崎 滝湯、打たせ湯というのが、箱根では江戸時代にかなり普及していましたが、これは医療的に効果はあるんですか。

中村
芦ノ湯風呂内の全図
芦ノ湯風呂内の全図(『七湯の枝折』から)澤田和氏蔵
ええ。あれはマッサージ効果ですから、温泉を利用してそれをやれば、温熱効果とマッサージ効果と両方が得られるわけです。江戸時代には結構はやっていたようですね。天然の湯滝だけでなく、人工的に滝のように流れる装置をつくってやってもいました。大変いいことで、一つの物理療法というか、温泉療法の一つです。それと運動療法をプラスすればいいのですが、昔は、あまり運動療法はおこなわれていなかったようですね。

岩崎 七湯(ななゆ)の枝折(しおり)』にはどこの温泉は何に効くとか、効能が書いてあります。例えば、湯本の温泉は脚気、筋肉痛、皮膚病に効き、宮ノ下は頭痛や肩凝り、腰痛、底倉は痔、芦之湯は打ち身、皮膚病、湿疹などに効くとか。
 

  約十種類に分類されている現在の療養泉

大木 現在はイオン表示による泉質の分析を採用しています。昔の泉質分析表には、溶存成分を食塩とか石膏(せっこう)と書いてありました。そういう鉱物が水中にイオンとして溶けているということです。

イオン表示の分析表を見て何に効くかパッとわかるかというと、むしろ昔の分析表のほうがよくわかるような気がします。例えば芒硝(ぼうしょう)や石膏は漢方では下剤の役目をするので、飲めば通じがよくなることが推察できます。ヨーロッパではミネラルウォーターをよく飲みますが、あれは野菜が高価で手に入れにくいため、通じをよくしているのです。

編集部 ミネラルウォーターも温泉なんですか。

大木 日本では、ビン詰めのきれいな水をみんなミネラルウォーターと言っていますが、本来は鉱泉のことで、鉱泉も温泉の一種です。ヨーロッパでは温泉は飲むのが中心なので、鉱泉は八十種類ぐらいに分けられています。その飲む水の分類法を日本は明治に輸入し、それを入浴するお湯の分類にしたわけです。

入浴するだけなら、そんなに細かく分ける必要はありません。療養泉の分類は、十種類ぐらいですから、大ざっぱに分けて、それぞれ、どんな病気に効くかという入り方をすればいいのです。
 

方向転換を迫られている箱根温泉

編集部 箱根は国際的リゾート地といわれて繁栄を謳歌してきましたが、このところ、不振のようですね。

岩崎 このあたりで、少し方向転換しなければいけないことは確かですね。今の箱根の特徴は、一つは湯本をはじめ全体にそうですが、日帰りのお風呂屋さんがふえていることです。これは一種の経費節約の面もありますが、同時に健康志向というかリュックサック姿の人たちが随分多くなっている。山歩きの帰りにお風呂に入って、という形ですね。

中村 運動と温泉を組み合わせるのはいいことです。温泉に入るだけで元気になることはないと思うんです。

岩崎 バブルの時代のように一泊二万円、三万円というような宿泊料は取れないし、旅館のほうでも人件費節減も含めて、お風呂屋さん的な運営をしているようです。ホテル、旅館もそういうところに積極的に力を入れています。
 

  団体旅行がなくなりグループの宿泊客と日帰り客が中心

大木 昔は、不景気になって失業者がふえると温泉旅館がそういう人たちを雇用していました。今は雇用する力がなくなっています。

岩崎
箱根湯本駅
箱根湯本駅
今、歴史的な大きな変わり目にあると思うんですが、一つは、高度成長の時代に、バス何台分もの団体旅行のお客を収容できるような大きな施設になっていった。ところが、ここでパタッと団体旅行がなくなり、女性や趣味団体の小さなグループが中心になってきた。あとは日帰り客で、箱根のホテル・旅館はそれに対応しながらお風呂屋さんをやったり、バイキングランチをやったりしている。

それから一番気になるのは宿泊料を非常に下げる旅館が結構出てきたことです。今までと比べて、余りに安い料金で泊めて、どれだけの接待ができるかということになる。昔の日本旅館というのは、お客との長いおつき合いがあって、この人は漬物が好きだからちょっと別の漬物をつけるとか。そういう日本的なサービスは全部切っていかざるを得ない。

最後に出現するのは恐らくコインロッカー制の旅館じゃないかと心配しています。現にそういうのができ始めている。箱根がそういう温泉町で果たしていいのか。

先ほど、温泉治療とか温泉療養の話がいろいろ出ましたが、今後の箱根は、その辺のところを考えないとだめではないかと思いますね。
 

  これからは治療や健康づくりにも目を向けてほしい

岩崎 箱根にあれだけ車が入ってきては、お年寄りがゆったりと散歩ができるコースもない。昔はありました。

中村 高度成長社会に、昔の湯治というものがなくなってきた。人件費が高くなって人間的なサービスもなくなった。だから、昔のような温泉が復活するためには、むしろ不景気になるほうがいいのではないか。二、三週間行っても、大してお金がかからないような昔の温泉場がほしいですね。

大木 これからは高齢者がふえてきますから、その人たちが温泉に行って疲れを癒し、ストレスを解消するには、お金を余りかけずゆったりできるのがいいんですね。

中村 そのために環境庁が国民保養温泉地を指定していますが、神奈川県の温泉地では一つも指定されていませんね。

大木 これからの箱根は、温泉による治療とか、健康づくりとか、グループの文化活動とかに目を向ける必要があると思いますね。

中村 そうです。日本の貴重な天然資源ですからね。

編集部 どうもありがとうございました。




 
いわさき そうじゅん
一九三三年箱根生まれ。
著書『箱根七湯』有隣堂(品切)、『中世の箱根山』神奈川新聞社977円(5%税込) ほか。
 
おおき やすえ
一九三二年長野県生まれ。
著書『箱根火山と温泉』神奈川合同出版(品切)、南の海からきた丹沢(共著)
 有隣堂1,050円(5%税込) ほか。
 
なかむら あきら
一九三五年川崎生まれ。
著書『温泉百話』青弓社2,100円(5%税込) ほか。
 




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