Web版 有鄰

『有鄰』最新号 『有鄰』バックナンバーインデックス  


有鄰


有鄰の由来・論語里仁篇の中の「徳不孤、必有隣」から。 旧字体「鄰」は正字、村里の意。 題字は武者小路実篤。

平成12年1月1日  第386号  P1

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 ことばと文化 (1) (2) (3)
P4 ○石坂文学再評価への期待  長部日出雄
P5 ○人と作品  湖島克弘と『阿片試食官』        藤田昌司

 座談会

ことばと文化 (1)
日本語と英語

   慶應義塾大学名誉教授   鈴木 孝夫  
  ジャーナリスト   徳岡 孝夫  
    有隣堂会長     篠崎 孝子  
              

はじめに

篠崎
座談会出席者
左から徳岡孝夫氏、鈴木孝夫氏と篠崎孝子
二十世紀は国際化の時代と言われてきました。英語をはじめとする外国語を学び、国際交流を通して異なる文化と出会う機会も多くなってきました。こうしたなかで英語と日本語の違いなど、ことばを通して外国文化との違いや、日本文化の特色が見えてくるといったこともあります。最近の日本語ブームもそのあらわれの一つではないかと思っております。

本日は、ことばと文化という観点から、ことばの研究の面白さ、外国語の翻訳の難しさ、英語教育はどうあるべきか、さらに二十一世紀に向けて、真の「国際理解」はどうしたら可能になるのかなどについてお話しいただきたいと存じます。

ご出席いただきました鈴木孝夫先生は、慶應義塾大学名誉教授で、言語社会学をご専攻です。アメリカのイリノイ大学をはじめ、海外の大学でも数多く講義をされ、戦後の日本が生んだ、有数な言語学者でいらっしゃいます。現在『鈴木孝夫著作集』全八巻が岩波書店から刊行されております。

徳岡孝夫先生は、毎日新聞記者時代、ベトナム戦争、中東戦争、三島由紀夫事件などを取材され、同紙の編集委員などを務められました。また『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、アイアコッカやドナルド・キーンの翻訳をしておられます。ジャーナリストとして、また翻訳活動が高く評価され、昭和六十一年には第三十四回菊池寛賞を受賞されました。


文語文、古語が完全に駆逐されてしまった現在の日本

徳岡 まず、国語を取り巻く現在の環境ですが、英会話はあらゆる駅のそばで教えている。それに比べて国語を教える所はない。この国語軽視に私は非常に憤慨している。

一例として挙げると、戦後日本は、なぜ新聞や教科書から、徹底的に文語文を駆逐したんだろうか。文語文は簡潔で力強く、韻律があって、捨てがたいものがあります。

最近、小学校の同窓会に出席したときに、昭憲皇太后の「金剛石」の歌が出た。「まことの徳はあらはるれ」というこの美しい歌詞は、今の口語にはないと言って、みんな感嘆したんです。ほかにも、「ほととぎす早もきなきて」の「夏は来ぬ」とか、「青葉茂れる桜井の」は、私は今でも最後まで全部歌えます。文語調は、新聞の運動面の見出しに最後まで残っていたのですが、今や、完全に駆逐された。これはなぜか。

 

  言語は音だけというアメリカ流言語学の影響を受けた日本

鈴木 いろんな理由はあるんですが、一つは、福田恆存も口を極めて非難したように言語観がすごく浅はか。しかも、それが戦後のアメリカ流の言語学の影響を受けた。

私はフルブライトの前のガリオア留学生ですが、戦後の初留学で、言語学のメッカといわれるアナーバーのミシガン大学に留学しました。

当時のアメリカは、人間の言語は音だけ、つまり、口から出て、相手の耳の鼓膜を刺激するまでの音にすべての秘密を解くかぎがあるというものだった。すごく浅薄な物理主義的言語観だから、思想や意味は、哲学とか心理学ならいざ知らず、言語学では扱わないという。これで、私は行った途端に、「日本語のような歴史の古い言語を知らないから、そんなばかなことを言えるんだ」と大げんかして言語学科を飛び出し、古典ギリシア語科に移った。

言語は音だけ、文字は言語でないという考えはアメリカの言語学の歴史から出た。つまり、アルファベットを使う言語と、文字を持たないインディアンの言語だけを研究したアメリカの学者にとっては言語と文字というのは写真と人物の関係だと。つまり、ある人物の写真は、カラーや白黒で撮ったり、角度を変えて撮ることができる。だけど撮られた人間はびくともしないし、同じだと。

つまり、いろんな文字があっても、言語のもとは音だから、文字は無視し、言語の研究から外せという考えなんです。すぐ消えてしまう音を紙の上にとどめるための、やむを得ないしみとして文字がある。そうすると、簡単な文字のほうが効率がいいから、アルファベットにしなさいと。

戦後、日本へ来た教育使節団の報告書で「漢字はやめなさい。近代国家でこんな古代の文字を使って、しかも、墨で目を悪くして、こんなぜいたくは許されない。早くローマ字にしなさい」と、繰り返して言っている。ですから、戦後、アメリカに留学した日本の学者たちの何代かは完全にそれに洗脳された。

 

  与えられた世界に抵抗せず対応してしまう日本人

徳岡 当時はフレッシュな考えだったんでしょう。

鈴木 そうです。おかしいぞと食い下がるよりも、「これが文明か、これこそ進歩」という虚心坦懐の受容、これはいいところもある。これがない民族は全部ヨーロッパに滅ぼされた。イスラムとインドと中国がヨーロッパの植民地になったのは、自分の文明に自信があり、こだわり過ぎたからです。

イソップでいうと、樫の木はがっしりとしているけど、強い嵐が来ると折れる。日本は柳で、風が来るとしなる。ですから、大航海時代以後の世界の西洋化を食いとめたのは、実はこの柳の情けない日本なんです。日本人の性質は、そのときの文明の中心にどう対応したら効率よく生きられるかと考える、与えられた世界に対する対応で、「世界は俺がつくる」という思想はない。だから言語の問題にしても、これからは英語だと騒ぎ出す。私が、二、三十年後に世界中に日本語のわかる人をふやすのは簡単だといくら言っても、一人と してまじめに受けとめてくれない。

 

  現代語の中に古語をまぜてはいけないという言語観

鈴木 いま、文語文はなぜ駆逐されたかと言われましたが、それは言語は音だけという考え方に加えて、「一つの時代の言語は一つの体系をなしているから、現代語の中に古語や古文をまぜてはいけない」という言語観をフランスの言語学者ソシュールが言い出し、それがアメリカ経由で日本に入ってきたからです。それから、戦前の日本のすべてと縁を切りたい、新しく再出発したいという気持もあったと思います。

徳岡 日本カトリック教会も、戦後、お祈りを全部口語にしましたが、一つだけ口語にできないのがある。アベ・マリア(天使祝詞)です。「めでたし聖寵みちみてるマリア、主おん身とともにましまし、御胎内のおん子イエズスも……」という祈り。なぜかというと、文語文だと簡潔だから、死ぬ間際にも唱えることができる。

 

  わからない古典を頭から覚えるのも大事なこと

鈴木 言語学の立場からいうと、戦後は、庶民にわからないような言語はけしからんという空気があった。つまり戦前の支配者はやたらと漢語を使って煙に巻き、庶民を無知蒙昧のところに置いたために愚かな戦争をした。だからこれからは言語の透明性を高めようと。そのときの助けとして言語は音だけ、文字はどうでもいい、だから世界万国共通のローマ字にしよう、という議論が出てくる。これはもちろん明治からもあった。

もう一つは、文語と口語ははっきり分けて、口語でやるべきだと。ことわざはさすがに文語が残りましたが、一番大事なのは歌です。子供のときに「海のかなたはうすがすむ」と母がよく歌っていた。小学唱歌ですが、海の向こうに、どうして台所にある臼が住んでいるのかと思っていたら、薄霞なんです。

徳岡 「荒城の月」で「ねむる盃」と覚えた人がいる。なぜ盃が眠るのかわからない。

鈴木 文語というのは、門前の小僧で意味が分からず覚えていて、とある人生の局面でバチッとくる。それがインプットされていない人は「あれがそうなんだ」ということができないために、人間がのっぺらぼうになってしまう。ですから暗記も大事で、わからない古典をとにかく頭から覚えることは絶対必要です。



ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.