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有鄰


有鄰の由来・論語里仁篇の中の「徳不孤、必有隣」から。 旧字体「鄰」は正字、村里の意。 題字は武者小路実篤。

平成13年11月10日  第408号  P1

 目次
P1 P2 P3 ○「ハリー・ポッター」人気の秘密 (1) (2) (3)
P4 ○J・S・エルドリッジ  ヘンリー・タイナー
P5 ○人と作品  諸田 玲子と『笠 雲』        藤田昌司

 座談会

「ハリー・ポッター」人気の秘密 (1)

   静山社社長   松岡 佑子  
  異文化ジャーナリスト・松蔭女子大学助教授   あわや のぶこ  
  文芸評論家・本紙編集委員   藤田 昌司  
              

はじめに

藤田
「ハリーポッター」シリーズ(静山社刊)
「ハリーポッター」シリーズ(静山社刊)
藤田 ハリー・ポッターの物語は第一巻が一九九七年に英国で出版され、たちまちベストセラーになりました。魔法学校を舞台にしたファンタジーで、現在、世界四十一か国語に訳され、二百か国で一億部をこえるという世界的ベストセラーになっています。

日本でも第一巻の『ハリー・ポッターと賢者の石』が一九九九年十二月一日に出て、現在までに、『ハリー・ポッターと秘密の部屋』、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の三巻が出ています。まだ三年たっていないわけですが、三巻トータルで、すでに六百万部をこえるという、前例のないブームを巻き起こしています。

そこで本日は、同時通訳者で、「ハリー・ポッター」シリーズの翻訳者でもあり、発行元の静山(せいざん)社の社長でもある松岡佑子さんと、異文化ジャーナリストとして活躍され、外国の文学にも精通していらっしゃる、あわやのぶこさんにご出席いただき、ハリー・ポッターの人気の秘密についてお伺いしたいと思います。


魔法学校を舞台にくり広げられる7年間の物語

藤田
座談会出席者
左から、あわやのぶこさん、松岡佑子さん、
藤田昌司氏
物語の概要は、主人公の男の子のハリー・ポッターは子供のころに両親が殺されて孤児なんです。それで叔母のところに預けられ、意地悪な従兄たちにいじめられるという、ちょっとかわいそうな境遇にある。しかし両親は本当は大変な魔法使いだったわけです。それでハリーが十一歳になったときに、ホグワーツ魔法学校から入学許可証が来て、 自分が魔法使いだと知り、そこの一年生になる。そこから、両親を殺した邪悪な魔法使いヴォルデモートとの対決をはじめ、いろいろ奇想天外な出来事を次々に起こしながら展開していく。

松岡 それで、七年間の学園生活をおくるという七部作です。今、原書はその四巻目が発行され、十四歳までいっています。日本語版ではまだ十三歳ですが、七年間の成長物語でもあるわけです。

藤田 こんなにブームになるとは誰も予測してなかったんじゃないかと思うんですが。

松岡 作者のJ・K・ローリングは、一九六五年生まれの英国女性です。二巻目ぐらいから注目されだし、ワーナー・ブラザースが映画化権を獲得した頃、彼女は「こんなにブームになると思っていましたか」と同じように質問を受けた。それに対して「ブームになるとは全然考えてもいなかった。自分が楽しいと思う本を書いたのだから、私と同じように楽しめる人が何人かはいるに違いないと思って書いた」。 それから、「子供向けに書いたつもりもないし、みんなから『こんなに長い本は子供は読みませんよ』と言われて、出版社も大手は軒並み断ってきた。ところが子供は読んだ。面白い本なら子供は読むという自分の確信が証明されてうれしい」と言っています。

ですからブームになると予想して出したわけではなく、五年間ずうっと温めてきた構想を、今書かなければ一生書けないという思いで、生活保護を受けながら必死で書いた。こういうJ・K・ローリングの裏話が、一たんブームに火がつくと、それがまた一つの火つけ役になっているのではないかと思います。

私も、ブームになることを期待して出したわけではなくて、この本に出会ったときに衝撃的な面白さで感激して、どうしてもこの本を翻訳したいと。出版したいより翻訳したいのほうが先なんです。ここはローリングと共通しています。

 

  震えがくるほどの言葉に表せない面白さ

藤田 どこで、この本に出会われたのですか。

松岡 イギリスに、二十年来の友人であるダン・シュレシンジャーという人がいまして、主人が亡くなって一年足らずのときに、欧州に通訳に行った帰りに、イギリスの彼の家に寄ったんです。ダンは日本語版の「ハリー・ポッター」のカバーの絵と各章の扉の絵を描いてくれているアーティストですが、昔は弁護士で、ハーバード・ロースクール出身の俊才です。奥様のアリソンも弁護士です。

私の主人のことも知っていた二人でしたから、「主人がやっていた出版社を引き継いで、どういう本を出そうかと考えている」と、ディナーの席で語り合っていたんです。するとダンが、やおら立ち上がって、自分の本箱からすっと抜いてきて「この本だ。この本の版権が取れればビルが建つ」と言ったんです。(笑)「とにかくこの本は面白い。イギリスの親でこの本を知らない人はいないし、大人が読んでも楽しい」と。ホテルに帰って読み始めたら第一章ではまってしまい、夜が明けるまでに読み終えてしまった。 翌日、出版元のブルームズベリーに電話をして版権代理人の連絡先を聞き、版権代理人に電話をした。一九九八年十月です。これが出会いです。

藤田 最初にお読みになったときの印象は……。

松岡 一目惚れ的な、説明のつかない、電気の衝撃が走るような面白さ、こんなに面白い世界に出会ったことはないという震えがくるほどの面白さですね。第一印象だけで言うならば、言葉に表せない面白さです。

 

  世界一小さな出版社が世界一大きなベストセラーに挑戦

藤田 それで、誠心誠意交渉なさったわけですね。これは大変失礼な言い方ですが、世界で一番小さな出版社が、世界的に一番大きなベストセラーに挑戦なさったと言われていますね。

松岡 ジャーナリスティックな言い方をすれば、それが非常に当たっていると思います。ただ、そのときには、今のように一億部以上売れているというほどのブームではなくて、日本でも気づいている人はほとんどいない状態でした。ただ、大手出版社が三社ほど既に版権交渉を始めていたことは確かです。  ですから、非常に小さな所に来るはずもなかったものが来たのには、それなりの理由があったんでしょうが、一つにはいいタイミングだったということでしょうか。まだ日本では誰も気がついていなかった。J・K・ローリングの本がブームになっていると、ようやく日本で取り上げられたのは、私が出版をする三か月前、つまり、一九九九年九月の『AERA』に半ページ紹介されたのが最初です。

第二巻の表紙を載せて、「イギリスで子供の読書離れに歯どめをかけた本」というタイトルで、イギリスでブームになっていると紹介された。ただし、静山社の「せ」の字も出ませんでした。知らなかったわけです。一部の翻訳クラブの人たちが、この本は静山社が出すということを、外国のホームページで見つけてインタビューを申し込んできたのが七月です。

藤田 版権が決まったときはうれしかったでしょうね。

松岡 二か月の交渉の結果「あなたに決めました」と短いEメールが来たんです。夢のようでした。

主人から受け継いだ出版社の社長になったからといっても、それは名ばかりで、あくまでも私の職業は同時通訳者でしたから、出版のことは素人で、何の仕掛けも知らなかったことが幸いしたのではないかと思います。売れたら素直に出す。売れなかったらそのまま倒産しただろうというような。売れなかったら、自分の訳が悪いんだろうという覚悟で。ただし、出すまでに死にもの狂いの努力はしましたし、「失敗したら尼寺に行きます」と口ぐせのように私が言っていたとみんなは言いますが、そのぐらいの覚悟はありました。



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