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有鄰


有鄰の由来・論語里仁篇の中の「徳不孤、必有隣」から。 旧字体「鄰」は正字、村里の意。 題字は武者小路実篤。

平成14年2月10日  第411号  P1

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 中世の魅力を語る (1) (2) (3)
P4 ○アイデアの世界遺産一齣マンガ  牧野圭一
P5 ○人と作品  峯崎淳と『大欲−小説 河村瑞賢(かわむらずいけん)』        藤田昌司

 座談会

中世の魅力を語る (1)
中央公論新社『日本の中世』刊行にちなんで

   東京女子大学名誉教授   大隅 和雄  
  東京大学教授   五味 文彦  
  中央公論新社書籍編集局   山形 真功  
  中央公論新社書籍編集局   木村 史彦  
    有隣堂会長     篠崎 孝子  
              

はじめに

篠崎
『日本の歴史』 中央公論新社
『日本の歴史』 中央公論新社
中世は日本の歴史の上で大きな転換が起こった時代であり、日本の文化や日本人の生活の基礎が築かれた時代でもあります。近年、中世の歴史についてさまざまな角度から研究が進められ、その具体的な姿が次第に明らかになってまいりました。

こうした新しい成果を踏まえて、二○○二年二月、中央公論新社から、新しいシリーズ『日本の中世』全十二巻の刊行が開始されます。

きょうは、ご執筆者のお二方と、編集担当のお二方にご出席いただきました。中世の魅力やその面白さを語っていただきながら、内容をご紹介いただきたいと思います。

ご出席いただきました大隅和雄先生は東京女子大学名誉教授で、中世思想史をご専攻です。鎌倉仏教にもご造詣が深いとうかがっております。

五味文彦先生は東京大学教授で、中世政治社会史をご専攻です。近年、文学や芸能など文化史全般にも関心を寄せていらっしゃいます。

また、『日本の中世』の編集を担当されております中央公論新社編集局の山形真功さまと、木村史彦さまにもご出席をいただきましたので、このシリーズ全体の構成や特徴などについても、お話しいただきたいと思っております。


日本文化の骨格を築いた時代を展望

篠崎 今度のシリーズは、すでに刊行されています『日本の古代』『日本の近世』『日本の近代』の後を受けてということですね。

山形
座談会出席者
右から木村史彦氏、山形真功氏、大隅和雄氏、
五味文彦氏と篠崎孝子
はい。先生方を前に僣越ですが、日本の文明の大きな骨格、考え方の基礎が築かれたのが中世だと思います。

かつて、日本の歴史は応仁の乱から始まるとも言われましたが、それが鎌倉時代、平安末ぐらいから新しい日本の骨格が築かれていった。 それに伴って絵巻物、随筆、軍記物語という形で、多様多彩な人間の姿、顔形が見えてくる。それがたいへん魅力あるものと考えてきましたが、一九九九年ごろから新しい企画として立てることが可能になり、各先生方のおかげで、ようやく刊行までにこぎつけました。 新しい中世の姿、形が見えてくるシリーズになると思います。

五味 『日本の古代』の後すぐ『日本の中世』というお話があったとうかがっていますが、ちょうどその頃は、中世史では社会の微細な動きや人々の心の動きまでもとらえようとする社会史の見方で、網野善彦先生や石井進先生たちがどんどん新しい研究をされ、成果を発表されている時代でしたから、 きちんとまとまってやるのが難しい状況でした。

そこで、『日本の近世』『日本の近代』が刊行された後、中世の社会史的な流れがある程度見えてきたところで、一度総括して次の展望を見極めるということから、網野先生、石井先生もこの企画に同意されたのではないでしょうか。

ですから、両先生がここ何年か一生懸命やられていたことがこのシリーズの中にあらわれているというのが、私の印象です。

 

  考古学、民俗学、歴史学が一体となった『中世のかたち』

山形 第一巻の『中世のかたち』は、石井先生が今まで考えられてきたことの集大成のようなところがあり、考古学、民俗学、歴史学の三分野が統合されたような内容になっていると私は思いました。 ですから、写真・図版も、北海道から青森や栃木、鎌倉の考古学の発掘写真、また絵図資料など、豊富に取り上げています。

五味 石井先生は昨年の十月、この原稿を書き上げたところで急逝されましたが、石井先生は「歩く歴史学」「足偏(あしへん)の歴史学」と言われているように、よく各地に出かけられました。奥様からお話を聞くと、ほとんど毎日、外へ出ていらしたそうです。書斎派とは全く違うタイプで、今度の本もそれにふさわしい内容です。

特に先生が最近もっとも関心を抱かれていたのは北方の地域です。北海道の上ノ国町の勝山館(かつやまだて)の発掘の成果。それから歴史民俗博物館の館長をされていた時代に、歴博を中心に発掘がなされた、中世の有数な港湾である津軽の十三湊(とさみなと)。そこを中心にした北方の世界が、本書からは一つ浮かび上がってきます。

富士山と矢倉岳(右)
富士山と矢倉岳(右)、手前は酒匂川
それから当初から関心を持たれた鎌倉。鎌倉はかつて御家人制研究会編集の本で『都市鎌倉における「地獄」の風景』を発表されました。これはかなり衝撃的な論文だったんですが、それをベースにしながら鎌倉という場の持っている意味を探っています。特に境界という、外部との接点の切通しや、その周辺の文化がどういう意味を持っているのかという問題です。

それから、南の方では、南の境界である鬼界ケ島、硫黄島辺りのあり方を見据えて、地域的に全体として中世の列島の社会はどういう形をなしているのかを描いています。

さらに、中世の商人の姿を探りながら、差別された人々の動きを追っています。このあたりは最近の成果を盛り込んだ意欲的な分析と叙述となっていて、読みごたえがあります。

山形 石井先生が書かれていることですが、「頼朝が足柄山の矢倉岳に腰かけ、左足で東の外ケ浜、右足で西の鬼界ケ島を踏んでいる」という安達盛長の夢が記録されています。先生は、これが日本の境界だというところから始めたいというお気持ちがあったと思います。外ケ浜というのは津軽半島の陸奥湾側の海岸です。


祖師研究ではなく日本人の心の問題を

篠崎 第一巻は、石井先生の絶筆となってしまいました。二巻目の『信心の世界、遁世者の心』は大隅先生のご執筆で中世の人の心に迫っておられるとうかがっておりますが……。

大隅 ちょうど百年ぐらい前の十九世紀の末から、原勝郎さんが論文を次々に発表し、日本とヨーロッパを比較して日本の中世を考えるという研究が始まりました。中世という呼称を近代史学の用語として初めて使ったのも原さんで、その影響が強くて、その後の研究の大筋は原さんがレールを敷いたような格好になっています。それからどうやって抜け出すか、何を受け継ぐかというのが大変なことなんです。

宗教のほうで言うと、原さんが、鎌倉新仏教の興起は日本における宗教改革だと言った。それがちょうど百年前ですが、百年間ずっとその土俵のなかでしか物が言われていない。宗教改革だとすると、どれが正統でどれが異端だとか、正統の中がどう分裂したかとか、最近はそういう議論が盛んなんです。

ヨーロッパでも中世は本当の心の宗教じゃなくて、書物の宗教として展開したという議論がありますが、日本中世の宗教の研究は、たいへん無理して書物の宗教ばかり見てきたきらいがあるんです。当然ヨーロッパの宗教改革と比較して、ルターやカルヴァンと、日蓮や親鸞や法然と比較したわけで、中世の仏教史研究がもっぱら祖師研究になった。

それからもう一つは、祖師の伝記を細かく細かく調べていく。史料が余りないから難しいのですが、伝記研究と教義の研究をやって、本当の日本人の心の問題というのが抜けているんじゃないかと、私は前から思っていたのです。

親鸞とか道元を研究するとどうしても研究者が自己投入をして、近代的に解釈してしまう。それで日本の仏教史研究には宗派の体制というのが今でも残っていて、宗派史の問題が研究の中心になっています。宗派のそれぞれが独立して研究されていて、ずいぶん細かい議論はありますが、比較がほとんどできないんです。



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