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有鄰


平成14年4月10日  第413号  P4

 目次
P1 ○オペラ「春香」  高木東六、高木緑
P2 P3 P4 ○座談会 わが愛する丹沢 (1) (2) (3)
P5 ○人と作品  早瀬詠一郎と『しらべの緒』        藤田昌司

 座談会

わが愛する丹沢 (3)


 

  単純に嬉しいのは富士山

篠崎 とくに印象に残っている丹沢は、どういうところでしょう。

 
渋沢丘陵から見た表丹沢
渋沢丘陵から見た表丹沢(昭和43年) 奥野 幸道氏撮影


大沢 単純に嬉しいのは丹沢の山越しに見える富士山ですね。

篠崎 いろいろあると思いますが、どこからご覧になった富士山がよかったですか。

大沢 やはり蛭ヶ岳かな。

シュトルテ これはむずかしいよ。姫次(ひめつぐ)かな。蛭ヶ岳の北の方です。

奥野 僕は鍋割(なべわり)山から大丸に行く鍋割尾根から見た富士山ですね。あそこは昔はテンニンソウの群落があったんですが、今はシカに食べられて何もない。


「塔ノ沢」か「塔カ沢」かで論争も

シュトルテ 山とか沢の名前、これは残念ながら徹底した研究はないんです。しかし、それはぜひ一度専門家に調べてもらいたい。

なぜかというと、一つは、日本で問題になったのは、明治時代、測量のとき、陸軍の陸地測量部が地元の人に名前を聞いて、それを漢字で書いていった。それで、北アルプスの白馬岳は「しろうまだけ」と聞いて白い馬と書いた。 そしてみんな「はくば」と言う。これは「白」じゃなく、苗代の「代」なんです。苗代にあったワラでつくった馬を私も昔はよく日本の水田で見たんです。雪が解けると、岩が黒くなっていって代馬に似ている。だから「しろうま」と言う。丹沢にも、そのようなことがあるだろうと思うんです。

驚いたのは、西丹沢の箒沢で、偶然にそこの村の年配の人に聞かれたんです。「これからどこに登るの」と。それで私は「檜洞(ひのきぼら)に行く」と言った。そうしたら、「ひのきぼら、ではない。ここは、ひのきどう」と言うんです。ほかにも「えのきどう」が雨山峠あたりにある。だから「ひのきどう」の「どう」に「洞(ぼら)」という漢字をつけたんです。

それからあるとき、塔ノ岳山頂の尊仏山荘を管理していた山岸猛男さんに、うっかりして塔カ岳(とうがたけ)と言ったら、「これは塔ノ岳(とうのたけ)だよ」と注意されたんです。

奥野 言われた?

シュトルテ 怒られた。

奥野 山頂近くの坐像に似た尊仏岩とか御塔といわれていた大きな石に由来すると思うので塔ノ岳が正しいと思いますね。「塔ノ岳」か「塔カ岳」かで論争があるんです。

篠崎 その岩は今でもあるんですか。

奥野 大正十二年の関東大地震で大金沢に落ちてしまって、今はないんです。

 

  昔の丹沢は現在、東丹沢といわれている狭い地域

植木 私も丹沢の山の名前を調べてますが、最初に言葉ありきだったと思うんです。それで後になって漢字を当てはめている。そのへんで聞き違えたり、間違えたりすることもあるんでしょうね。

シュトルテ 水ノ木の先から山中湖に出る三国峠のそばに「鉄砲木ノ頭」という山がありますが、これは「鉄砲水」なんです。なぜかというと、その下に鉄砲水の沢がある。沢の名前は普通は上の山の名前になっているんです。「木」と「水」を間違った。

奥野 大室山も、かつては僕たちは大群山と書いていましたね。

植木 字を間違ったということではないんですが、丹沢山は、昔は三境山と呼ばれていたんです。さきほど大沢先生が言われたように、かつての丹沢は、現在、東丹沢といわれている狭い地域だった。 それが、一つの山に丹沢という名前がついたばかりに山地全体が丹沢と呼ばれるようになった。

丹沢山も、私は三境で十分だったと思うんです。地名というのは簡単に変えてはいけないと思いますね。

 

  湘南軌道の駅名と区別するため小田急は「大秦野」に

シュトルテ 丹沢の表玄関ともいっていい小田急の「秦野」駅は数年前まで、「大秦野」という駅名だった。

奥野 僕たちが丹沢に行き出した戦前から、表丹沢へ行くには、小田急の大秦野駅と渋沢駅が拠点だったんです。渋沢駅は水無川や四十八瀬川の沢登りをする人や西丹沢の玄倉(くろくら)川の沢に行く人なども利用していた。

シュトルテ 小田急の駅名に「大」がついていたのは、大正二年(一九一三)に、製材や葉たばこなどを輸送するため秦野・二宮間に開通した軽便鉄道の「湘南軌道」の駅名が「秦野」だったので、昭和二年(一九二七)に開通した小田急の駅は、それと区別するためだったんです。

植木 同じ名前をつけられないですからね。その軽便鉄道は昭和十二年には廃止されています。


丹沢を守ることの難しさ−自然保護と資料保存

大沢 植木さんもいろいろ麓のほうはお調べになったんですか。

植木
丹沢湖の湖底に沈んだ世附の集落
丹沢湖の湖底に沈んだ世附の集落
(昭和31年) 奥野 幸道氏撮影
奥野さんとはまた違う視点で、山麓の文化に興味を持ちました。道祖神とか。

峠に立つと、かつて通った人たちのにおいがぷんぷんするんです。仕事の人も、病人を担いで越えた人もいるでしょうし、峠は生活の道だったと思うんです。 峠の頂上付近には石仏があったりする。昔の人たちが旅の安全を祈願したんでしょうね。

峠には不思議と二つの名前があるんです。例えば尺里(ひさり)の人は虫沢に行く峠のことを虫沢峠と呼んでいる。ところが同じ峠を、虫沢の人は尺里へ行く峠だから尺里峠と呼んでいる。

篠崎 目的地に向かっているんですね。

植木 そうです。国土地理院の地形図には一つしか書いてないんです。多く使われているほうが峠の名前として載っているんでしょうね。

峠を通して、ただ単に山の高さ、山はこうだというのではなくて、山を昔から見上げていた人たちの生活がわかるような気がしました。そうするともっと大きな意味の、例えば丹沢の麓から中腹や頂上を見ると、視点が広がって私自身も楽しいなと思った。

大沢 山麓の村には古文書などの記録も随分残っているでしょうね。

奥野 箒沢などは明治、大正で三回も大火があって、古文書とかは全部焼けてしまって、今残っているのは藤衣、つまり藤の繊維でつくった衣だけだそうです。古文書とかがたくさんあったそうです。この地域は北の道志とのつながりが深いんです。

幸いにして火事にならなかった古いものが、丹沢近辺にはまだまだ残っていると思うんです。それを何とか発掘して、丹沢の文化を紹介していきたいなと思っています。

 

  丹沢の資料保存会を設立

植木
ウメバチソウ
ウメバチソウ
 奥野 幸道氏撮影
テンニンソウ
テンニンソウ
 奥野 幸道氏撮影
丹沢に関する本もたくさん出ていますし、奥野さんが撮影された戦前からの写真をはじめ、貴重な写真類もたくさんあります。これらが次の世代の人に役に立つのなら、私たちが残していかなくてはいけないと思うんです。

昔の人は、どちらかといえば本は自分の手元に置いていた。しかし、その人が不幸にして亡くなった場合、家族に理解がなければ、それらの本は古本屋に出されて散逸したり、写真は捨てられたりして貴重な資料がますます少なくなってしまう。それは大変残念なことですし、何とか残す方法はないだろうかと、遅まきながら去年、丹沢の資料保存会を立ち上げたんです。

奥野さんにも相談役になっていただき、今三十人程度のメンバーですが、定期的に集まって、とりあえず丹沢に関する資料のリストづくりを進めているところです。

今後は、資料調査のほかに、地元の人への聞き取り調査なども並行してやっていき、将来的には公立の資料館にできればと思っているのですが。

 

  人が住んでいない場所を守る難しさ

大沢 僕は、ここ二十年間の、丹沢が急速に、また一番おかしくなった時期を見ていますが、稜線を歩いていて、森がなくなってしまった。木が枯れて、草原というか、はげ山みたいになっている。

神奈川県の総合調査によると大気汚染とシカの問題だそうです。とくに変化が激しいのは、主に大気汚染の影響を受けやすい南側の斜面と、一番人が入り、人が歩くことで影響を受けやすい主稜です。

篠崎 シカはどういうところが問題になるんでしょう。

大沢 シカは、もともとは平地にいた動物です。下の方を人間が取ってしまったからだんだん山の上に追いやられた。ちょっと上がった所は植林されており、さらに上に追い上げられてしまった。シカは草を食べますから植物が駄目になってしまうんです。

それで、今、とりあえず、上の方の植生を守ろうと、シカが入らないように柵をしています。以前は植林地を守る柵だったのが、今度は何でもない草を守るためなんです。

奥野 シカはクマザサの芽を食べて生きているんだけどクマザサが枯れているから大きなモミの木の幹をかじっているわけ。死んだシカを見ると、みんな歯がだめになってるんだそうです。

大沢 今、神奈川県では、メスのシカを撃つことと、特別保護区でも撃つことを許可して、シカの数を調整しようという方向に転換しているんです。

丹沢の自然を守るという難しさとも重なりますが、丹沢を守っていくのに一番の問題は、人が住んでいない場所だということです。つまり、丹沢を守りたいと発言する人は外側から丹沢を見ている人で、住んでいる人がいないから、行政も関心を向けない。おまけに 丹沢は、幾つもの自治体にまたがっているんです。

ですから、資料の問題にしても自然保護の問題にしても、丹沢の問題を一つにまとめて結論を出し、実行していくのはすごく難しいんです。だけど、今やらなければだめなんです。

シュトルテ 本当の自然の保護というものは、よそ者に限る。なぜかというと地元の人は、山の木や水や土は自分の生活のためなんです。だから、これにさわらないで大切にしようということは無理な注文だったんでしょう。そういう傾向は日本だけの問題じゃなく、世界中ですよ。

大沢 丹沢は、人が行くことによっても、随分おかしくなってる。そういうのを見てますと、最近は「皆さん、丹沢に行きましょう」とばかりは言いたくなくて、「もう、行くの止めましょう」という気持ちが半分ですね。

篠崎 きょうはどうもありがとうございました。




 
Hans Stolte
一九一三年ドレスデン市生れ。
著書『丹沢夜話』正・続(品切)、続続2,039円(5%税込)。
 
おくの ゆきみち
一九二一年石川県生れ。
著書『丹沢山塊』ゼンリン1,200円(5%税込)、ほか。
 
うえき ともじ
一九三一年群馬県生れ。
著書『かながわ山紀行』714円(5%税込)、『かながわの峠』730円(5%税込)、いずれも、かもめ文庫。
 
おおさわ よういちろう
一九四七年横浜生れ。
 




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