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有鄰


平成14年9月10日  第418号  P2

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 グレート=ブックス=セミナー (1) (2) (3)
P4 ○私の好みに合った街  バーリット・セービン
P5 ○人と作品  高野和明と『グレイヴディッガ−』        藤田昌司

 座談会

グレート=ブックス=セミナー (2)


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医学教育に必要な問題解決型学習

篠崎 後藤先生はこの「グレート=ブックス=セミナー」を横浜市立大学の医学部で、医学教育の一環として取り上げられているわけですね。

梅田 今、教育の世界的な潮流としては、大きい講義室で一人の先生が一方的な授業をするのは具合が悪いということになっています。

欠席者が多いし、出席していても、眠っていることが多い。たとえ起きていても、全部わかっているかどうか、わからない。理解できた学生はパーセントから言うと限りなく低いけれど、講義しているほうは、恐らく皆理解しているに違いないと思って話をしているわけです。それをいわゆる教師の錯覚と言います。(笑)

私たちは授業の後で、学生に感想カードを書いてもらっているんです。そうすると、「これまでにない、いい授業だった。」「ぜひこれからも続けてほしい。」なんて書いてくるんです。そうすると、それを読んだ人は感激するわけです。素晴らしい授業を私もやったと。(笑)

ところが試験をやってみると、まるっきりわかっていない(笑)。ですから、学生は聞きっ放しで、テレビと同じような感覚で授業を聞いているのだと思います。

 

  何が問題かを見つけその解決策を考える

後藤
看護覚え書・表紙画像
F.ナイチンゲール
看護覚え書』 現代社
一斉授業はどうもぐあいが悪そうだというので、だんだん少人数で授業をやることになります。しかし、少人数でただ勉強するのではなく、何か考えるきっかけがあるのが一番大事だというのです。その課題についてグループで話し合い、その問題を解決していく。

つまり、学生に求められるのは、問題を解決する能力だろうということです。そのほかにも、何が問題かを見つけてくる。これは大変だと思いますが、課題を設定するというのが一つ大切なことです。

課題を設定したら、みんなでそれを解決するための知恵を出し合い、努力をして解決していく。

さらに、それからは実際にそれを実行することにつなげていかなくてはいけないんですが、そこまではできないとしても、何か学生なりの解決案をみんなで考える。そういう学習方式を問題解決型学習とか、問題基盤型学習と言いまして、プロブレム・ベースト・ラーニング(PBL)と言われています。

このプロブレム・ベースト・ラーニングは世界中で盛んにおこなわれています。ハーバード大学の医学部でも一九八○年代から導入しました。法学でも、MBAでも皆、PBLをやっています。それから、この前シンガポールでPBLの学会がありましたが、警察学校でもPBLでやっているそうです。

 

  教養教育には方向を探る羅針盤をつくる役目が

後藤 ただ観念的に非現実的なことを言っていても何の解決にもならない。現実的な具体案を出せるように教育をしましょうというのが、世界的な潮流なんです。その際、情報をいろんなところから集める必要がありますが、方向を探る羅針盤も、是非あったほうがいいということになります。

高校を出た学生にたとえれば、西も東もわからない。座標軸を頭の中にある程度描けるようにするのが、教養教育だと思います。頭に地図がなければ、どこに行ったらいいのかも何もわからない。

私は、「グレート=ブックス=セミナー」は海図的な要素があると思うんです。結局人間の共通課題というのは、特に人文的なものはソクラテスの時代から恐らくずっと同じで、基本的な問題は、すでにそこにあると思います。頭の中にぼんやりとでも海図的なものができればいい。そういう意味で「グレート=ブックス=セミナー」をやってみると、学生たちも教養で授業を聞くよりも、ずっと勉強になったというんです。一つの本をきっかけに、いろいろな ものを読むことになったし、自分たちでいろんなものを初めて読もうという気になったと言います。ですから、そういう意味で効果はあると思います。


アメリカの大学で重要なのはディスカッション

宮原
沈黙の春・表紙画像
R.カーソン 『沈黙の春
沈黙の春』(文庫版)
新潮社
私はアドラー博士の話からではなくて、違うほうから興味を持ちました。一九八○年に私はアメリカへ留学しました。大学院生で入ったんです。アメリカの大学院は電話帳みたいに厚い講義のリストから選択してやるわけです。

それで、レクチャーと書いてあっても、大抵セミナーみたいなもので、私が一番世話になった先生は、大体リーディング・アサインメント(課題読書)は最初にリストが渡されるわけです。この講義にはこれだけのものを読んでこいと。一週間に一時間半ぐらいの授業で、大体百ページぐらいなんです。

そうすると、私たちにとって一科目のために英語を一週間に百ページ読むのは大変なんです。とにかくべそをかきながらやった。それに、その講義だけを聞いているわけじゃないから、ほか講義も、みんなそれぐらいあるから大変なんです。

とにかく、生徒が円卓ふうに並んでいて、それで先生が来て、「今日は何から話をしようかね」と言うんですよ。誰かが何かを言わないと始まらない。

「先生、誰それの論文は、方法としては納得しているけれども、あの結論には納得できない。あれは、どうなんですか」という話が誰かから出る。そこから話が始まるわけです。

要するに、どこから話が始まって、どういうふうに進んでいくかというのは前もってわからない。つまり読んでいないと、ちんぷんかんぷんで置いていかれるんですね。

それで、私と同じようにアジアから来た人がいて、ある日、怠けてあまり読んでいなかったのか、じーっと黙っていた。最後に、先生が「君、さっきから黙っているけど、君の意見はどうなんだい」と言われた。

ちょうど私がしゃべった後だったので、「アイム・アグリー・ウィズ・ミスター・ミヤハラ」と。反対だと言ったら、何か言わなくちゃいけない。(笑)

賛成だと言っておけば、後で何とか逃げられると思ったと、彼は言っていましたが、割にそういうセミナー形式が多いんです。

 

  いい発言をして盛り上げれば評価は高い

宮原 どんなに初歩的なことでも、とにかく何でも口に出す。それで学期の最初に先生が、このレクチャーは何単位であるけれども、評価をどういうふうにするかを宣言するわけです。おかしなことに試験は真ん中ぐらいにあるんです。

それで、試験が半分、クラス・パーティシペーションが半分と言うんです。クラス・パーティシペーションというのは、つまり、出席して何かしゃべらなきゃいけない。それでいい発言をして、ディスカッションが盛り上がれば評価は高い。欠席すれば当然悪いわけです。日本人は出席はよくするんだけど、しゃべらないから余りいい点をもらえない。

それともう一つは、統計学なんかだったら、かなりレクチャーをおこなうんです。わからないところがあれば聞きに来い、と。それで、助手の部屋にオフィスアワーズという時間帯があって何曜日の何時から何時まではこの部屋にいます、と。そこで予約をとって行くわけです。

それで、私も行ったんですが、助手が手に負えないと教授のところに行くわけです。教授が私と一対一で、この式は変形するとこうなる。わかるか? わかる。そうするとこれはこうなる。わかるか?と。それで試験が悪かったら完全に落とされる。

要するに教授がそれだけやっているので、愛弟子でも面と向かって怒られる。あなたはわからないと言って聞きに来なかった。なぜ来ないと言うんです。やっぱりあれだけやられれば、ほんとに頭が下がりますよ。

それと、学期の最後にはちゃんと評価される。私の先生は、学期の最後になると、いつも自宅に招いてごちそうしてくれて、その後に自宅で評価表を渡す。なかなかいい先生でした。

 

  講義の途中で質問すると喜ぶアメリカ人

宮原 いずれにしても、とにかくディスカッションがすごく重要なファクターになっていて、要するに一番最初に質問するのを「ブレイク・ザ・アイス」と言うんです。つまり、砕氷船みたいなもので、あなたの質問でディスカッションのきっかけができたというので評価が上がるんです。

ある人が言いましたが、ドイツ流とアメリカ流には違いがあり、講義の途中で手を挙げて質問すると、ドイツ人はすごく怒る。質問の時間を最後にやるから、それまで黙っていろと言うんです。

アメリカ人は、最後まで質問が出ないと、すごくがっかりする。途中で質問をするとすごく喜ぶんですよ。私も講義をするときに、そういう話をして、途中でもいいから何でも、発言しろと言うんだけど、日本人はしない。

篠崎 それが日本人の習性なのでしょうか。

後藤 日本では、ただ教室で教わっていればいいと思っている。ディスカッションするためにちゃんと読まなきゃいけない。能動的な学生にならないといけない。そういう姿勢に欠けると思うんです。


「生命論理」をテーマにプログラムを作成

篠崎 中央図書館では、独自のバージョンを考えられたとお聞きしましたが。

梅田 一番初めのシナリオは、私と後藤先生と二人でやりとりしながら決めていきました。テーマは初め「生命倫理」をやろうと決めていたんです。「生命倫理」はいいけれども、ベルナールの『実験医学序説』(岩波文庫)みたいに、医学では実験は絶対に必要だということがありました。それから今、脳のことがすごくよくわかってきて、脳の発想が倫理的な発想と、かなり関係している。それも入れたい。

それで脳のことを入れるとなると、最近の科学はどんどん進歩しているから、いわゆるグレート=ブックスで古い本だけを取り上げるわけにもいかない。サイエンスの新しい本も入れざるを得ないことがありました。

  実験医学や脳の話は、直接生命倫理につながらないんですが、間接的に絶対つながるから入れたんです。

それから後は、文学的な考え方や、宗教的な考え方も必要だという話になって、その後から宮原先生に加わっていただいて、修正が入ってカリキュラムができたんです。

後藤 最近の遺伝子的な側面を含めた生命科学、それから進化論的な考え方とか、文系と理系をどううまくまとめるかというので、先生はご苦労されていました。

 

  まず選んだのは『実験医学序説』と『脳のメカニズム』

篠崎 何の本を一番初めに選ばれたんですか。

脳のメカニズム
伊藤正男 『脳のメカニズム
岩波ジュニア新書
梅田
死ぬ瞬間・表紙画像
E.キューブラー・ロス
死ぬ瞬間』 中公文庫
『実験医学序説』とか『脳のメカニズム』(岩波ジュニア新書)。宗教的な考え方については、宮原先生も小説でいいんじゃないかということで、曽野綾子さんの『神の汚れた手』(文春文庫)を選んでもらった。

あとはどうしても『ヘルシンキ宣言』に行きたい。これはヒトを対象とした医学研究の倫理的原則について一九六四年に採択されたものです。 そのためには、一九四七年の『ニュールンベルク綱領』も知らなければならない。これはナチのアウシュヴィッツなどの問題を受けてできるわけですから、どうしてもナチの問題も討論しなきゃいけないということがありました。

それからロスの『死ぬ瞬間』(中公文庫)は、生命倫理では死というのがどうしても問題になるので選びました。

それで苦労したのは、『ニュールンベルク綱領』の前のナチの残虐行為について書かれた良い本はないかと探したのですが見つからず、やっと英語の論文が一つ出てきたんです。それが翻訳されていなくて、翻訳するのに大分苦労しました。古い英語でね。

増田 『独裁制度下の医科学』といういい資料でした。

 

  受講生に恵まれた図書館のセミナー

篠崎 増田さんは、昨年から参加されたんですね。

増田 はい。私は、セミナーが始まった最初から参加したんです。図書館にパンフレットがありまして、生命も倫理も関心があったので。

あと、自分で勉強を進めていく上で勉強のペースメーカーになるようなセミナーが欲しかったんです。受講し始めたら予想以上にいいセミナーで、とても楽しんでいます。

篠崎 インパクトが一番強かったのはどんなことですか。

増田 まず本を読んで事前にアンケートを出さなくてはいけないんです。それがかなりきついんです。ただ漫然と本を読んだだけでは答えられないような質問もかなり入っていまして。

それでアンケートを出す前日ぐらいは半徹夜になって。でもこのアンケートのおかげで、ただ漫然と読むのでなく「あっ、こんなこと考えてなかったな」とかモデレーターの先生の意図もよくわかり、苦しいけれど楽しんでやっています。

篠崎 授業の進め方は…。

増田 セミナー方式です。皆さんものすごく勉強されていて、課題の本だけでアンケートに答えられないときは、関連する本を読んだりして。

参加者の皆さんはそれぞれの経験をお持ちですから、そういう視点からの切り込みがあったりとか。

篠崎 今、何名ぐらい参加していらしゃるんですか。

梅田 市民の方は十四、五人です。もう一つ、横浜バージョンで学生が一緒に入っているんです。大学だけでやっているグループと、図書館だけに参加している学生と、両方に分かれているんです。

篠崎 大学と図書館では、取り上げる本やテーマも違うんですか。

梅田 図書館でのセミナーではいろいろな形でやっています。学生だけに宿題を出して、学生が発表して、それをベースにディスカッションを進めたりしています。おしなべて学生は、社会人に圧倒されて話せないんですよ。

宮原 横浜バージョンというか、図書館のバージョンでラッキーなのは、参加者(受講生)にすばらしい人が集まったことですね。



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