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有鄰


平成14年12月10日  第421号  P4

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 「文学」と「時代のニュース」が両輪 (1) (2) (3)
P4 ○東巴(トンパ)文字  浅場克己
P5 ○人と作品  神坂次郎と『猫男爵』        藤田昌司



不滅の象形文字 ——
東巴
(トンパ)文字

浅場克己
 


東巴文字(恋する)・画像
恋する



麗江多山多水多英才。麗江は山多く水多く英才が沢山居ると書き残したのは、麗江古城博物院で書の展覧会をした中国の若い書家だ。

確かにその通りだと思って感心した。

このごろ僕の周りでも麗江(中国雲南省)に行って来たという人が多い。先日も軸装をたのんでいる青玄社の天草仁司夫妻が十日ほど麗江に行ってきますと気軽に出発していった。JAS(日本エアシステム)の直行便が成田→昆明間を飛んでグーッと近くなった。

東巴文字をデザインした「原弘賞のクリエーターたちI」 展出品作品   浅場克己氏
東巴文字をデザインした「原弘賞のクリエーターたちI」 展出品作品   浅場克己氏
東巴(トンパ)文字との出会いは12年前のことだ。世紀末には人類の関心事のひとつに文字、タイポグラフィがあると思い、若い人たちと東京タイポディレクターズクラブを創立した。年1回の展覧会と年1冊の年鑑の出版を目標にし、2回目の展覧会は、「熱いアジアのタイポグラフィ」展とした。

僕は代表的なアジアの文字22文字の「ア」の字を拡大して作品化した。アメリカ、ヨーロッパはラテン文字で統一されているが、アジアには何故こんなに沢山の文字が生息しているのかに注目した。韓国のハングル文字、タイ文字、ビルマ文字、またインドには十三種の文字が現在使われているのには驚いた。そして漢字だけかと思っていた中国にも、イ族のロロ文字、(ナシ)納西族の東巴文字があることを知った。56ある少数民族中に少数ではあるが、文字を持っている民族がある。

1年に一度、地球の文字を探す旅に出ようと思った。アジアにはいろんな知恵と知識が文字の中に潜んでいると思う。

グラフィックデザインの中核が文字にあることは、青春時代、修行した横浜の幸ヶ谷にある佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所で五年間鍛え込まれていた。活字の設計、写植の設計をするには、烏口で一ミリの中に十本線が引けぬとダメだと思い、その修行にも励み、22歳の春に達成した。文字の仕事は僕にとって青春時代の忘れものだった。


東巴文字(星を見る)・画像
星を見る



尊敬するグラフィックデザイナーの杉浦康平さんに東巴文字の第一人者は誰ですかと聞いた。即答で言語学者、西田龍雄博士の存在を教えてくれた。西田先生は、35年前に納西族東巴文字の本『生きている象形文字』を書かれていた。その頃、西田先生は京都大学の図書館館長をされており、世界の文字のコレクターの中西亮さんとも友人だった。中西さんは地球の百八の国を歩いて、直筆書の文字と新聞を集めていた。新聞が発刊されていることが生きている文字としての大切なポイントだった。

「東巴文字」——こんな不思議な文字が地球上で現在も使われていると知った僕は、この眼でこの足で訪ねてみたくなった。地球の僻地探検家を自認する浅葉克己としては日常的な事柄だった。

旅の名人中西亮さんに旅の計画を立ててもらった。訪問の目的を「文字を探す旅」としたらスパイ行為になると中国側から言われ、旅の名前は「少数民族訪中団」に変更された。

西田博士の本を読むと、文中に「私は残念ながら東巴文字の生息している雲南省麗江には行ったことがない」と書かれていた。僕はこの個所に赤鉛筆で印をつけた。京都大学図書館に恐る恐る電話をして旅の同行を求めた。快諾を得た。1990年6月1日から18日と長い旅だった。

文字を探す旅には必ず言語学者の同行が必要だ。特に東巴文字は文法が複雑で老東巴[ラオトンパ(祭司)]しか本当の意味を知ることが出来ないという厄介な代物だ。

中国の格言に「文不如表、表不如図」というのがある。文章は表に及ばず、表は図に及ばない。東巴文字は図であり文章であるから魅力は倍加するのだと思う。

少数民族訪中団六名は西田博士の本を拡大コピーして製本した本を持ち、勉強しながらの旅だった。雲南省の少数民族をグルグル回り、目的地の麗江到着まで10日もかかった。昆明から大理で1泊し、さらにもう1日、車で走りっぱなしで夕方、麗江に到着する。2400メートルの高地なので車はゆっくり登って行くのだ。


東巴文字(玉龍雪山)・画像
玉龍雪山





東巴文化研究所の山門
東巴文化研究所の山門(中国・麗江/筆者撮影)
麗江は聖山玉龍雪山を中心に展開する広びろとした未知の高原だ。玉龍雪山の頂上はいつも雲に隠れていて、その美しい姿を見せてくれない。天候が変わりやすく、未踏峰の山だ。世界中の登山隊が狙っている。「玉龍雪山」という東巴文字も山の上に雲がかかっている。

街は四方街を中心に、店が沢山並んでいる。東巴文字の本拠地は黒龍潭公園の中にある。公園の池は透明でコンコンと泉が湧き出ている。坂を登る石段を踏みしめると目の前に、明代そのままの建築様式の東巴文化研究所の看板が見えて来る。瓦屋根の先がビュンととがっているのが特徴だ。山門に東巴文字で祝辞が書かれている。

案内役の李さんは納西族の民族衣裳姿。黄色と水色が基調色。腰に犬の皮を巻き、その上に北斗七星のあざやかな丸い刺繍を7個つけている。


東巴文字(祖先)・画像
祖先



展示室で教典を見せてくれた。ガラスケースに大切に納められている。東巴教の1番の宝ものなのだ。撮影は禁止。踊る文字が小節に区切られ、人間や動物や見たこともない記号で埋められている。千年以上も手で書くことだけで伝えられた教典。宇宙人が書き残した謎の絵画のようだ。

別室で81歳になる老東巴の和国相さんが正装で待っていてくれた。頭に冠。赤い服。顔は黒かった。大切な教典がポンと机の上に置いてある。その中に納西族の文化を伝える、豊富な知識が埋込まれていると思うとゾクゾクした。

宇宙はなぜこのような形をしているのかとか、人類誕生の話、人間卵生説、人類の祖先は猿であるという話。僕は「祖先」という文字が好きだ。「祖先」という文字は、猿の顔の頤(あご)から木を生やした絵で表してある。「親父」という字も人の頭から木が生えている。尊敬するものには木を生やすというのも自然と共にゆっくり生きてゆくという納西族の生活の基本テーマに添っている。

先日、文字が読めるというボノボ(チンパンジーに似た類人猿)の研究者に、ぜひ東巴文字をボノボに見せてほしいと言ったら、喜んでいた。ぜひ実現してみたいと思った。 「ボノボも読める東巴文字」——思っただけでも笑いが出てしまう。

教典をパラパラめくっていた和国相老東巴が突然読み出したナシ語はプとかポとかペとかやわらかく耳に気持ちよかった。祭の時は1時間半ぐいの儀式が続く。「妖怪とオイトヌの戦い」の一節だった。

教典には竹の先をとがらせたペンで墨をつけて早いスピードで書かれた筆触が残っている。和国相さんは格言を書いた書を見せてくれた。ペンでなく、筆で書かれた書の魅力に凄いものを感じた。教典は左から右への横書き、格言は天から地への縦書き、宋代からの漢民族との文化交流がうかがえる。

少数民族訪中団は二日間滞在した麗江を後にしたが、後髪を引かれる思いだった。僕はこの日の日記に「東巴研究所に1週間程詰めたい、日本に研究所を助ける団体をつくりたい」と記している。帰りにイ族の本拠地、月城西昌に回り、イ族のロロ文字の調査を終えて帰国した。


東巴文字(跳ぶ)・画像
跳ぶ



西田先生に東巴文字、ロロ文字、西夏文字のテキストを書いてもらい、その年の10月に銀座の3Gギャラリーで始まる新作展の制作に入った。手に入るあらゆる資料をそろえた。J・F・ロック博士の辞典、李霖燦の辞典。雲南人民出版社の「納西象形文字譜」、「方国瑜」、和志武の著作の三冊は毎日目を通した。

和紙に筆で気に入る形が出来るまで書き続けた。気に入った形にハードエッジを入れて、一文字一文字、現代のタイポグラフィとして新鮮に見える。東巴文字の新書体の創作は続いた。

案内状を送ったクリエーターのサイトウマコト氏からめずらしく電話がきて、感動したと言ってくれた。初めてみるデザインの原初的な形態を持つ東巴文字の発表は、デザイン界を驚かせた。

その後、アジアの文字に関する仕事で、91年にトルコのイスタンブールでアラビア文字を習得し、アラビア文字の作品を発表したことをはじめ、92年、インドで13の文字を習得し、デバナガリー文字を中心に新作を10点発表した。

94年に、目黒のO(オー)美術館で「JUMPIG TYPOGRPHY展(踊る文字・弾む活字‐現代における文字世界)」に出品。同展覧会は、石川九楊氏、徐冰(「さんずい」に「すい」)、ネヴィル・プロディ、ニャー・マダウェイら十作家によるものであった。そこで松岡正剛氏、石川九楊氏、浅葉克己の三人で公開てい談を行ない、書家石川九楊さんの言葉「書を捨てると日本は滅びる。筆触は思考する」に感動し、石川さんに相談した。

答は簡単、「書かなきゃダメ」。素直な浅葉克己は石川九楊塾に入門、アジアのタイポグラフィを極めるには書道を極めなければダメだと気づいた。特にデザイナーにとっては一番むずかしいといわれている楷書を極めたいと、唐代の虞世南、欧陽詢、ちょ遂良、顔真卿に挑戦。くる日もくる日も楷書の臨書を続け、七年後にちょ遂良を全臨。現在、顔真卿「多宝塔碑」二千文字の全臨に挑戦中。

筆の力が東巴文字制作に生き出した。東巴文字制作は筆の力を必要としていたのだ。99年六月、DVD−ROM「What's Tompa」制作で麗江に行き、10月には麗江国際東巴祭に招待作家として新作30点を制作。2001年「原弘賞のクリエーターたちⅠ」展に出品した三十点の新作が翌年、東京ADCグランプリを受賞。同年春、キリンビバレッジから発売された「日本茶玄米」のパッケージデザインに東巴文字を登場させ、再び東巴文字に火がついた。

東巴文字に書の力、デザインの力を入れると不滅の文字が出来ることを実感している。


 



あさば かつみ
1940年神奈川県生まれ。
アートディレクター。
著書『浅葉克己のトンパ伝心』講談社1,365円(5%税込)、共著
生きる力をくださいトンパ。』KKベストセラ−ズ1,260円(5%税込) ほか。
 


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