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有鄰


平成15年1月1日  第422号  P5

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 ベストセラーは世相の鏡 (1) (2) (3)
P4 ○丹沢のシカ  山口喜盛
P5 ○人と作品  岳真也と『吉良上野介』        藤田昌司

 人と作品

吉良悪玉説に真っ向から挑戦した

岳真也と吉良上野介を弁護する
 

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  今も吉良上野介を愛し慕う地元の人々

岳真也氏
岳真也氏

旧ろう(去年の12月)14日は赤穂浪士の討ち入りから300年にあたった。ゆかりの地では記念行事が盛大に催されたが、いずれも四十七士を忠臣と讃えるものが多かった。そうしたなかで、岳真也(がくしんや)氏の『吉良上野介を弁護する』(文春新書)は、吉良悪玉説に真っ向から挑戦するものとして注目される。岳氏は数年前にも小説として『吉良の言い分』(小学館文庫)を出しているが、今度は歴史み物として、精細かつ客観的に吉良上野介の立ち場を弁護しているのだ。「動機は簡単でして、20数年前、旅行記を主に書いていたころ、吉良の領地だった土地の温泉へ行って、地元の漁師たちと酒を飲んで話し合ったことがあるんですが、その時、地元の人々が今も吉良を愛し、慕っているのを知って驚かされたんです。上野介が築いたといわれる黄金堤は今も残っていますし、吉良の像も残っていて、尊敬されています」

その像で吉良が乗っているのは”赤馬”といった農耕馬。それに、吉良といえば痩せた顔で意地の悪そうな表情をしているというイメージが一般に定着しているのに反し、この像の吉良は丸顔で穏やかな顔をしているという。 「それで、いろいろ史料を掘り起こしてみますと、今まで書かれてきたような悪人ではないということがはっきりしてきたんです。たまたまそのころ、飲み屋で友だちと大喧嘩をやりましてね。なぐられそうになったんですが、俺には俺の言い分があるのに……と思った瞬間に、”吉良の言い分”というタイトルが浮かんだんです」

江戸城の松の廊下で、赤穂の城主浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかったのが事件の発端だが、なぜ内匠頭が刃傷沙汰に及んだのか。その時、内匠頭が叫んだという”この間の遺恨おぼえたか”という言葉が事件の真相を解くキーワードとされてきた。

しかし内匠頭が実際にそう叫んだかどうか、調べてみると、あやふやなんです。それを証言したのは、事件の際の唯一の目撃証人とされる留守居役・梶川与惣兵衛の書き記した『梶川氏筆記』なんですが、これも晩年になってからの記録です」

つまり内匠頭が”この間の遺恨……”と言ったという確たる証拠はなく、何やら聞き取りにくいようなわめき声だったと解するのが公平だというのだ。

だが、”この間の遺恨”はその後、ひとり歩きしてしまった。高家筆頭として勅使接待のマナーを内匠頭に伝授しなければならなかった上野介は、意地悪をしてそれを正しく伝授しなかった。それは内匠頭が上野介への賄賂を惜しんだからだ。上野介は悪らつに賄賂を取ることで有名で、 内匠頭はそれを憎んでいた…等々の解釈が広まっている。

エコノミストでもある南條範夫や堺屋太一らは、その背景に吉良と内匠頭の領地から産出される塩をめぐる争いがあったとする説を打ち出して注目されたこともある。「しかし最近わかったところによると、吉良の領地には塩田はなかったのです。ですから、この説は成立しません。 吉良の領地は飛び地が多く、海岸には面していなかったんです」

それに、賄賂といっても当時は正当な束脩(そくしゅう=教授料)であって、道義にもとるものではなかったと解することができるという。


  原因は癇癪症だった浅野内匠側にあったと憶測

そこで浮かび上がってくるのは、原因はむしろ浅野内匠頭の側にあったのではないかとする憶測である。内匠頭は癇癪症だったといわれるのがその一つだ。いずれにせよ、上野介にその責任はない。

また、上野介は怯懦な男だったというイメージが一般に流布されている。その一例が赤穂浪士に討ち入られた時、 炭小屋に隠れているところを発見され、引きずり出され、命乞いをしたというエピソードだ。「だが、上野介は武士として立派に戦って死んでいるんです。決して卑怯な男ではありません」

それともう一つ、赤穂浪士の討ち入りを成功させた原因に吉良邸の転居がある。吉良邸は、江戸城の東に面したところ、今の呉服橋の近くにあった。ここなら討ち入りなど到底かなわない。

だが、吉良邸は上野介が役職を離れたとたん、辺鄙な両国の粗屋に移転させられる。今の国技館の近くだ。警備も手薄だった。討ち入りの噂が伝わっていなかったはずはない。上野介はその時点でもう覚悟を決めていた、というのが岳氏の解釈だ。


 神坂次郎著
 『吉良上野介を弁護する』 (文春新書)
       文藝春秋 714円(5%税込) ISBN:4166602853

(藤田昌司)


(敬称略)


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