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有鄰


平成15年6月10日  第427号  P3

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 小島烏水と版画コレクション (1) (2) (3)
P4 ○大自然の愛・母の愛  鮫島純子
P5 ○人と作品  前田速夫と『異界歴程』        藤田昌司

 座談会

小島烏水と版画コレクション (3)
登山・文学・美術に遺した多彩な足跡



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ラスキンの影響 — 水彩画の普及に尽力

篠崎 烏水が風景画などに関心をもったのは、19世紀に活躍したイギリスの美術評論家であり思想家であるラスキンの影響もあるそうですね。

沼田 ラスキンの影響はとても強かったと思います。当時の文学者とか芸術家たちはかなりラスキンの影響を受けた。夏目漱石や島崎藤村の小説の中にも、登場人物たちがラスキンの本を持って歩いたりとか、ラスキンの影響で自然の観察をするとか、そういうエピソードがたくさん出てきます。

恐らく今までの日本人にとっての自然と、ラスキンが知らせてくれた欧米の自然というのは違っていた。目に見えたとおりの自然を表現していくとか、もっと広い意味で自然をとらえるとか、とても新鮮だったと思います。

「春の山」
木下藤次郎 「春の山」
水彩 個人蔵
(大きな画像はこちら約80KB)

あと、ラスキンが芸術家のパトロンであり、コレクターでもありましたから、恐らく烏水もラスキンのようになりたいという考えもあって、芸術家を育てていくようなことも始めたと思うんです。特に『みづゑ』の作家たちとのかかわり方は、ラスキンの影響があるんじゃないかと思います。

先ほどお話のあった、大下藤次郎とか、丸山晩霞とか、当時、水彩画が急に広まっていくんです。水彩画は、イギリスでは19世紀、大変盛んだったんです。それが明治時代に日本に伝えられたのですが、新しい水彩画の動きとうまく連動していったんじゃないかと思います。

あと『みづゑ』との関係でいくと、水彩画は、今まで芸術のジャンルとして認められていなかったのを、独立したジャンルとして認めてほしいと、文部省あてに要望書を出したりしているんですが、そういう社会的な活動は、恐らくラスキンの社会主義的な立場から影響を受けていたんじゃないかなと思います。

もう一つ、烏水は社会的な発言もしています。例えば昭和10年、富士山にケーブルカーを通すのに反対しました。

近藤 『山岳』の早い時期に、すでにラスキンのことを書き出していますね。いい文章があります。

 
  衝撃的だった西洋版画との出会い

篠崎 烏水はアメリカに転勤して、どういう形で西洋版画を集めたのでしょうか。

沼田
「キリスト磔刑」
ウルス・グラーフ 「キリスト磔刑」
1509年 木口木版 横浜美術館蔵
(大きな画像はこちら約80KB)

西洋版画を集めるきっかけになったのは、アメリカのある美術館で烏水が持っていた浮世絵を展示する機会があったそうです。

アメリカの美術館での浮世絵の展示は、最初訪れたとき余りにもひどかった。それで自分が持っている浮世絵を展示したらどうかと持ちかけたら喜ばれて、展示してくれ、そのときに向かいの壁に西洋版画を展示してくれたそうです。 日本と西洋が出会い、東西比較がとても面白く、そこで西洋版画に目を向けるようになったと言われています。

烏水にとって、東西比較は一つの大きなテーマだったのかなと思うんですが、それもまた横浜的ですね。幼いころから恐らく日本的なものと西洋的なものをいつも身近に感じていた。それがアメリカに行って、自分が専門にしていた浮世絵と、初めてきちんと見た西洋版画との出会いは、とても衝撃的だった。

それから、西洋版画の研究方法はアメリカでは確立されていた。日本人は浮世絵をちゃんと理解していなかったために、すべて貴重なものが外国に流れてしまった。外国では日本の浮世絵もちゃんと理解してくれたということで、烏水は西洋版画も日本でちゃんと紹介して、いかに版画自体が価値があるとみなされているかを紹介しなくてはいけない。そうすることによって浮世絵も日本人から理解されるんではないか、と考えたと書いてありました。


西洋版画史を網羅したコレクション

篠崎 烏水のコレクションの代表作品をご紹介いただけますか。

沼田 今はどこに行ってしまったかわからないんですが、デューラーの作品などはいいものだったと思います。烏水はミレーが好きだったようで、ミレーについては丹念に研究をしていて、代表的なものはかなり収集したと聞いています。 「落ち穂拾い」「乳酪を作る女」「羊毛を梳く女」「羊飼いの女」。当時の『白樺』などで日本でも評価の高い作家だったんです。

近藤 烏水は、収集の目的を三つに分けていますね。

沼田 オールド・マスターと、バルビゾン派を中心とした19世紀と、あとは20世紀の新しいもの。ですから、それだけ網羅的に西洋版画史を勉強することだけでも大変だったと思うんですが、実際それをまた買っていくというのは、誰にでもできることではないと思います。

「落ち穂拾い」
ジャン=フランソワ・ミレー 「落ち穂拾い」
1855年 エッチング 横浜美術館蔵
(大きな画像はこちら約80KB)

河野 網羅的という考え自体、西洋的、もしくはフェノロサ的な影響が強くあらわれていると思います。フェノロサの美術史の考え方は、美術は系統を追って発展をし、系統を離れて滅びるというのが基本的な考え方なんです。

数年にわたって、ボストン美術館のフェノロサが中心になって集めた絵画の悉皆調査をやったんです。例えば江戸絵画だけについても何千点というものが残っている。つまり、全部を体系的に集めなければ物の本質はわからないというわけです。それに対して日本人はつまみ食い方式で、いいものだけを選択して鑑賞するというのが大変強い性向だと思います。

烏水はアカデミックな意味でのベースが非常に強い人だと思います。ですから今でも浮世絵の烏水の研究は学問的な意味を失っていない。

 
  肖像画や自筆原稿など資料的な集め方

篠崎 烏水の版画のコレクションで何か特徴として言えることはありませんか。

沼田 一つ最近気がついたのは、肖像画が不思議と多いのです。収集していた作家ごとに『目録』ができていますが、その収集している作家のポートレートをかなり積極的に集めていっています。

例えばシャバンヌのポートレートやロダンなども。作品だけでなくその作者自身にも興味があったのでしょうね。

同時に、版画コレクション以外にオトグラフというか、自筆の原稿のコレクションもしていたようです。オトグラフには手書きの筆跡から、その人の個性がわかるという面白さがあると思うんです。 またミレーの住んでいた家を描いた作品を収集するとか、ほかのコレクションにはないですね。

河野 そういう意味でもやっぱり実証主義的ですね。

沼田 そうですね。資料的な集め方という視点があるのかなと思っています。

「ポリチネッラ」
エドゥワール・マネ 「ポリチネッラ」
1876年 カラー・リトグラフ
横浜美術館蔵
(大きな画像はこちら約80KB)

 
  勉強には恰好の時期だった1915年のアメリカ

近藤 私は昭和51年に会社をやめて、すぐアメリカの西海岸に行ったんです。烏水滞在当時の新聞を調べるのが目的でした。そのときに気づいたんですが、烏水が行った大正4年は1915年で、第一次世界大戦2年目です。あのころ、アメリカの知識階級が東のほうからどんどんカリフォルニアに入っているんです。それでサンフランシスコがどんどん膨脹していく。それと、その人たちが自分の国、ヨーロッパから持ってきたものがアメリカの古物商に出始めている時期のようなんです。そういう面で烏水は勉強のためにいい時期にアメリカに行ったという感じがしますね。

沼田 大戦で、ヨーロッパから貴重な美術品とか芸術家たちが避難するようにアメリカに来ていましたから、美術品が入手しやすいとか、新しい情報が入ってくる。

近藤 よく歩いています。西海岸の各書店、美術商。ボストンに行ったのは一回、ニューヨークにも一回だけなんですが、非常に精力的に、かつ大っぴらに集めている。山登りは、銀行の部下の手前、大っぴらにはできませんが。

 
  紀行文、山岳活動、美術の研究と収集がリンクして展開

篠崎 仕事と登山、そして収集や研究が烏水という一人の人間の中でどう結びついていたのでしょうか。

沼田 なかなか一人の人間がなし遂げられる仕事の量ではないですよね。恐らく昼間は銀行員としてなすべき仕事をやり、夜、家に帰ってから美術の研究や執筆活動、山には有給休暇を使って登っていたと思うので、一つのことをするのにすごく集中力があったんだと思います。

それから全体が彼の中で何かしらリンクして展開していたんだと思います。紀行文にしても、山岳活動にしても、美術の研究と収集浮世絵にしても、一つ一つの達成度はとても高く、そしてそれがつながっていたから、これだけのことができたと思います。

けれども、烏水のコレクションは松方幸次郎とか大原孫三郎など、当時の富豪のコレクションとは規模が違うのも事実です。烏水は、あまり高額な版画は自分には買えないとも言っています。自分は小品でも自分にとって興味があるし、集めておもしろいものをコレクションしていくんだと言っています。

 
  大正ロマンチシズムの中にいた烏水

河野 最後に一つ、烏水はやはり大正ロマンチシズムの中にいたと思います。烏水は「一日の労働を終へて、(中略)侘しい住居に立ち帰り、自分に許された僅かの時間を割いて、江戸時代の古錦絵を出して見るのが」楽しい生活の一部だとか、「古錦絵は私のためには、夢を哺ぐくむ土地である」と言っている。永井荷風は烏水より六歳年下ですが、(『江戸芸術論』 岩波文庫)のなかで、浮世絵を「あたかも娼婦が啜り泣きする忍び音を聞く如き」と言っています。どこか通じ合うものがある。二人は一つの時代を表しているのではないかと思います。

篠崎 どうもありがとうございました。




 
近藤 信行 (こんどう のぶゆき)
1931年東京生れ。
著書『小島烏水−山の風流使者伝』創文社(品切)ほか。
 
河野 元昭 (こうの もとあき)
1943年秋田県生れ。
著書『北斎と葛飾派 (日本の美術12 No.367)』至文堂 1,631円(5%税込)ほか。
 
沼田 英子 (ぬまた ひでこ)
東京生まれ。
著書『小島烏水−西洋版画コレクション』有隣堂 2,520円(5%税込) (6月下旬刊)。
 

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