Web版 有鄰

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有鄰


平成16年1月1日  第434号  P4

○座談会 横浜駅物語
 
(1) (2) (3)
P1 P2 P3  小林 重敬国吉 直行岡田 直篠崎 孝子
○司馬史観と現代 P4 磯貝勝太朗
○人と作品  横山秀夫と『影踏み』 P5  




司馬史観と現代

磯貝勝太郎
磯貝勝太郎氏
  磯貝勝太郎氏

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 ◇辺境史観


竹内街道と大道
司馬遼太郎の世界を解明するためのキー・ワードは、“辺境史観”と“技術史観”であると、筆者はおもっている。

“辺境史観”は、悠久の歴史の流れの中で、融合した東西の文化が古代日本にもたらされた、シルクロードの東の終着点である奈良の飛鳥の近くで、司馬遼太郎が生まれたことによってつちかわれた。

そこは、ユーラシア大陸(アジアとヨーロッパ)の辺境である日本の、大阪府と奈良県の境に近い、奈良県北葛城郡当麻[たいまちょうたけのうち]町竹内である。生家の河村家(母親の直枝[なおえ]の実家)にそって竹内街道が通っている。

竹内街道のコースは、推古天皇21年(613)、難波ノ津[なにわのつ](現在の大阪の四天王寺と大阪城のある上町台地[うえまちだいち]のあたりに位置していた大和朝廷の外港)と奈良の京[みやこ]の飛鳥をむすぶためにつくられた大道(だいどう)のコースと大部分がかさなっている。

この大道のコースは、大和朝廷がユーラシア大陸の異文化、異文明を取り入れるための吸入路として重要な役割を果たした。遣隋使、遣唐使、留学生は、隋や唐の文物(法律、学問、芸術、宗教などの文化に関するもの)をもとめて、飛鳥から長尾、竹内峠、春日、古市、岡、金岡を通って北上し、難波ノ津を経て、そこからは海路のコースを通った。瀬戸内海から対馬海峡、朝鮮半島西沿岸、渤海[ぼっかい]湾、山東半島にいたるコースと、瀬戸内海から対馬海峡、東シナ海、揚子江(現在の長江)河口にいたるコース、そのいずれかを利用したのである。

日本からの彼らとは逆に、大陸からの渡来人は、海路のコースを経て、難波ノ津に上陸し、飛鳥にいたる大道を通って仏教の教典、仏像、絵画、工芸などをもたらし、飛鳥文化に大きな影響をあたえた。

 歴史観をつちかわせた生家にそって通る竹内街道

この国際的な幹線道路ともいうべき大道の建設にあたったのは、開明的な大臣[おおおみ]の蘇我稲目[そがのいなめ]と馬子[うまこ]の父子である。ここで注目にあたいすることは、司馬遼太郎が歴史家の林屋辰三郎との対談で、“私の母方の祖母の実家というのは蘇我氏の直系を称してきた百姓です”(『歴史の夜咄』)と語っていることだ。祖母シカの実家、西川家は奈良県大和高田市磯野町の豪農として知られている。

司馬遼太郎は自分が生まれた河村家にそって通っている竹内街道が、古代には大道とよばれ、飛鳥、天平文化に甚大な影響をあたえたこと、さらに、血につながる蘇我稲目、馬子が大道の建設にあたったことなどを知って、感動で胸が高鳴ったにちがいない。

この感動は、大道とユーラシア大陸の異文化、異文明の接触、交流への関心を深めていった。そして、その関心は、ユーラシア大陸と日本、さらに、大陸の異文化、異文明と日本文化をそれぞれ、相対的に考えることをはぐくませ、“辺境史観”をつちかわせたのである。

“辺境史観”は、極東という辺境にある日本の大道がユーラシア大陸に通じているというグローバルな発想による史観である。それは極東の辺境、日本から中央のユーラシア大陸を、歴史的、空間的にみる視点であり、特殊な日本文化から、普遍的な中国文明やヨーロッパ文明をとらえる視点にほかならない。

そして、逆に、中央のユーラシア大陸から辺境の日本を、中国文明や西欧文明から日本文化をとらえる観点である。人間が生涯に為すことは、幼少年期に用意されているといわれる。このことは、司馬遼太郎にもあてはまる。竹内街道から芽生えた異文化、異文明への強い関心が、ゆたかな詩的想像力を飛翔させ、ユーラシア大陸に幾十世紀にわたって、くりひろげられてきた人間の悠久の歴史に、あこがれとロマンをもとめて漂泊する詩情の作家にしたのである。

 辺境の少数民族に強い関心を寄せる

司馬遼太郎は大阪外国語学校(現在の大阪外国語大学)でモンゴル語を専攻し、中国の辺境、モンゴルから中央の中国をみる視点をつちかい、逆に中央の中国から、辺境のモンゴルをみる観点を身につけた。そして、中央の多数民族、漢民族から辺境の少数民族のモンゴルが長いあいだにわたって、差別され、いためつけられてきた歴史を知った。この“辺境史観”は、辺境の少数民族に対する司馬遼太郎の温かいまなざしであり、彼はそれを生涯を通して、世界の辺境の少数民族にそそぎつづけた。

司馬遼太郎は文化が辺境に残りやすいということも知っていた。例えば、室町時代以前に、中央で使われていた古い日本語が、辺境の沖縄にカンヅメのように残されているだけでなく、日本の中央における古代信仰が、沖縄でいまだに信仰されていることなどである。

中央において成立した文化は、辺境に伝わっていく。中央は変化が早いので、文化は失われてしまうことが早い。一方、辺境は変化がゆるやかであるため古い言葉や風俗などが保存される率が高い。司馬遼太郎はこのような観点から辺境にこだわり、ケルト人やバスク人などの辺境の少数民族に強い関心を寄せていた。


 ◇技術史観


“技術史観”は、学徒出陣による戦車隊において過ごした2年間につちかわれた。学生あがりの下級士官であった司馬遼太郎は、戦車の修理ひとつさえできないため屈辱を感じた。この体験は技術というものが、精神を卑屈にすることを教えてくれた。

さらに、陸軍の上層部の連中が技術についての常識すらもたず、技術を無視、軽視し、兵隊たちを死に追いやったことを知って愕然とした。戦車隊で、ソ連戦車の威力に絶望的な思いを抱いていた司馬遼太郎は、日本国家の近代性というものを、“技術”の側から考えるようになった。

敗戦で復員した司馬遼太郎は、新世界新聞社に勤め、“新聞記者として大成するには、おのれの文章の技術を磨くことだけに専念し、社会部長や編集局長になることを目標にすべきでない”ということを、ベテランの整理記者から教えられた。このことも、“技術史観”をつちかわす要因となった。

技術を重視し、それにこだわるようになったため、技術の観点から、歴史上の人物や事件などを解釈する傾向が顕著となる。それは“技術史観”とよぶことができる。

 『坂の上の雲』は技術主義の集大成ともいうべき長編

書籍画像
処女作「わが生涯は夜光貝の光と共に」は、主人公の蒼洋[そうよう]が螺鈿[らでん]の技術に生涯を賭け、それに生き甲斐を見い出すという短編。出世作『ペルシャの幻術師』は、玄妙な幻術という技術のおもしろさをとらえた幻想小説。「下請[したうけ]忍者」は、忍術が貧困の生んだ生活技術であり、諜報技術を売って金穀[きんこく]に代えて生きるありようを描いた短編。

燃えよ剣』は、剣技という技術にすぐれ、新選組という日本最初の組織をつくった組織作りの技術者、土方歳三の生涯を書いた長編。『尻啖え孫市[しりくわえまごいち]』は、すぐれた鉄砲の技術者、雑賀[さいが]孫市が紀州の鉄砲集団の技術を諸大名に売り込んで活躍する有様をとらえた長編。

』は、剣術、槍術などの日本風の技術を捨て、西洋の軍事技術を重視し、ミニエール銃、ガットリッグ機関銃を積極的に導入した、越後長岡藩の開明的な河井継之助を主人公とする長編。

花神』は、医学と蘭学に通じた長州藩の西洋式の軍事技術者、大村益次郎を通して、革命期における技術と人間との関連というテーマを鮮明に映し出した長編。『菜の花の沖』は、造船技術と操船技術に長けた、江戸時代の豪商で、合理主義者、高田屋嘉兵衛の生涯を描写した長編。これらの作品は、いずれも、“技術史観”による長編である。そして、その典型的な作品が、『坂の上の雲』である。日本の近代化の過程を“技術史観”によって見事に解釈しており、技術主義の集大成ともいうべき長編である。

これらの“技術史観”による作品は、日本経済の高度成長期の技術革新がおこなわれた時代(昭和30年〜48年)に、機能化、組織化された管理社会が形成されると、政治家、ビジネスマン、企業経営者、サラリーマンたちによって愛読された。

彼らは『峠』『花神』『菜の花の沖』『坂の上の雲』などの作品中の歴史的事象から、政治、経済の不透明な将来を読み取ったり、英傑、軍司令官、参謀長らの決断力、先見性、戦術・戦略上のオリジナリティー、システム・プレーなどを、政治運営、企業経営上などの参考として、“歴史を衝き動かす能力”を、“政治、企業を動かす能力”として現代に役立てようとしたからである。

 “辺境史観”の作品には日本人としてのアイデンティティーが

“辺境史観”による数多くの作品が、21世紀のこんにち、多数の人びとによって読まれているのは、グローバル化が急速に進み、文化、文明を異にする民族の接触、交流がいっそう活発におこなわれる時代なので、日本人としてのアイデンティティーとは何かということを考えることが肝要になったからだ。



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磯貝勝太郎 (いそがいかつたろう)
1935年川崎市東京生まれ。文芸評論家。
著書『司馬遼太郎の風音』1,785円(5%税込)。 『武蔵と日本人』2,100円(5%税込)。 いずれも日本放送出版協会。
 



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