Web版 有鄰

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有鄰


平成16年2月10日  第435号  P4

○鎖国から開国へ   P1   加藤祐三
○座談会 関家住宅   P2 P3 P4   関 恒三郎関口 欣也西 和夫神崎 彰利井上 裕司
○人と作品   P5   いしい しんじと『絵描きの植田さん』

 座談会

東日本最古級の民家
国指定重要文化財 関家住宅 (3)


 

  ◇関東地方でもまれな世襲名主

うちは元和[げんな]2年(1616)に分家を出しているんです。次が親が隠居して次男坊が連れてお隣に出た元和3年。そう考えると、元和2年にはもう本家があったと思うんですよ。

文禄の検地のときの図書[ずしょ]という方は、文禄4年(1595)に亡くなっています。だから、図書という人がいたときには、建物はもうあったんじゃないかと思うんです。

編集部 検地帳の表紙に、案内者と書いてある方ですね。

神崎 検地の案内は名主の役目なんです。

小机城主の三男という方ですから、ある程度の権力というか、力があったんだと思いますよ。

神崎 小机城は北条氏の有力な支城です。もう一つ、図書とか、侍らしい名前の農民がいます。これは江戸時代のごく初期に限られるんです。多くは北条氏の家臣が土着して、そのまま旧侍の名前をつけて、土地の名請[なうけ]になり、持ち主になって、やがて変わっていく。図書はその典型的な名前だと思っていいですね。

今、関さんはなにげなく分家とおっしゃいましたが、これについては幕府から制限令が出ているんです。名主の場合は、持高二十石以上を持っていないと分家は許可されない。一般の農民が十石です。ですから、分家と言っても、できるうちとできないうちがあったんですよ。


    名主は村の最高責任者であると同時に旗本の財政を賄う
 
編集部 関さんのお宅は名主を務められたから、古文書が残っているわけですね。

神崎 「都筑郡勝田村五人組書上覚」を始め、素晴らしい資料ばかりで、都筑郡収録文書全体の49%は関さんのお宅のもので占めています。

なかでも重要だと思いましたのは、徳川幕府が出した法令とは違った法令です。旗本の法は江戸幕府の法に抵触しないものばかりである。また抵触したら旗本は存在し得ない。そんな定説があったんですが、関家の文書でこの間違いが是正されました。幕法とは別に、旗本の権限による支配をやっていた。享保年間の法令ということで、県史に具体的に書きました。

編集部 名主には村の支配などの役目がありますね。

神崎 名主は、今の地方自治体の長に相当しますから、村の行政全般を司ります。村の一番の長が名主ですね。それから組頭[くみがしら]、百姓代、これを村方[むらかた]三役と言いまして、村の行政の責任者だった。

関家は代々名主をやっていた世襲名主ですね。関東や都筑郡下で世襲名主だったお宅はあまりない。普通は交代、ときには入札=選挙もあります。神奈川県下では、小田原北条氏の家臣が土着した場合のお宅では、世襲名主が多いのです。身分社会ですから、一つは家格、もう一つは小田原北条氏の家臣であったという伝統が問題になる。その家格と伝統が備わった場合に、名主を命じられる。世襲名主をおやりになったということは、その条件を満たしていたと考えられますね。

村の最高責任者であると同時に、もう一つ大事なことは旗本領では、領主としての旗本の財政は、大体において名主が賄うんです。領主がどこか遠くに行くときは、必ず名主が金を持ってついて行く。財政的な力と、家格と伝統、つまり経済と身分を備えた頂点が名主だった。

近世の後期からは、入札制の選挙が始まったり、領主の指名によって名主が交代するようになります。

関さんのお宅では、世襲名主であったからこそ、文書が散逸しなかった。交代や入札だと、引き継ぐ間になくなったり、公的な支配のために必要ないものは破棄する。関家の文書には、世襲であったという歴史性があるんです。

これは、関口さんも関係された相模の石井家も同じですね。津久井郡で北条氏の津久井衆が土着した。山間地域には、世襲制の名主が多いんです。現在の横浜市内では、世襲制の名主は少ない。その中で関さんは、代表的な世襲制の名主であったことははっきり言えると思います。行政の責任者、村のもめごとの相談役、これを全部やっていた。


    屋号は「おだいかん」、半分は武士の身分
 
江戸の後半に代官職を兼務していたこともあって、うちは屋号を「おだいかん」と言うんですよ。今も「おだいかん」で通っている。

神崎 旗本領に「おだいかん」という名前が残るんですね。村の行政とは別に領主との間に入っていた。神奈川県下では「おだいかん」という名前を使うお宅は十軒ぐらいでしょうか。いずれも世襲名主をなさったお宅です。

都筑郡全体で、「おだいかん」と言えば、うちのことだったわけです。

神崎 時には、旗本から、小姓格とか代官見習、代官格といった役職を委任される。ですから、片方の足は武家のほうへ踏み出していることにもなるんです。

そういう事実を考えると、世襲制をとった一つの意義も出てくると思いますね。さきほどの津久井の石井家の住宅も重文に指定されているんですが、2代前のご当主の話では、明治から大正のころ、お宅のちょっとした高台で「おーい」と大きな声で呼ぶと周辺の人々が集まって来たというんです。そういうことができた。それが名主です。

編集部 幕府からの法令を領民に読み聞かせる役割も。

神崎 そうした法を読むのは名主の役目なんです。高札などがありますが、勝田村では、関さんのお宅の門前に張っていたはずです。

高札は二つあると思います。お隣の分家にもある。

神崎 農民を庭に集めて、御公儀様からこういう法令が出てきたから遵守せよと、全員にそれを読み聞かせる。支配の根幹だったんです。


    家康の関東入国から明治維新までを一貫してたどれる資料
 
神崎 明治維新で幕府が解体します。領主の久志本氏は土着せず、徳川氏にも残らずに国に帰りますが、そのときに家族を関さんのお宅に預けていく。帰る途中には官軍がいるので、大勢の旗本が箱根でストップされたんですが、単身だった久志本氏は、帰ることができた。

そのときに使った寝布団が、昭和の初期ごろまであったそうです。

神崎 一つの家の資料で、徳川家康の関東入国から明治維新まで、一貫して歴史をたどれる。これは神奈川県下では少数です。


  ◇平成17年7月に竣工の予定

編集部 今後、関家住宅はどのようになるんですか。

井上 現在は、解体工事が終わり、材料が保管されている状況です。これからどういう形で整備していくかが検討されて、最終的な方針が決まります。それに基づいて部材の補修からの組み立て工事に着手します。

今回の修理では、発掘で発見された地下の遺構は保存し、地表面を保護した上に建物を復原することになります。長年伝えられてきた文化を途切れさせずに伝えていく。ある意味では、次の世代に託す部分もあると思います。

建立年次を知るための手法として年輪年代法という、使われている木材の伐採時期を調べる方法があるんですが、現在は主にヒノキに限られていて、マツとかツガはまだその方法では追えません。記録もないので、現段階でできる調査を進めています。

編集部 昔の大工さんの仕事ぶりはいかがですか。

井上 本当に計画を立ててつくられている感じです。場所によって材料の仕上げの仕方が違う。道具も手斧だけでなく、かんなも使われているんです。そういう工具や技法の区分などについても調査、整理したいと思っています。

編集部 内部の間取りなどは変わってくるんですか。

井上 主屋の天井とか、間仕切りなど、後の時代に付け加えられた部分がいろいろありますので、どういう形で当初の状態に戻すかどうか検討している段階です。

西
関家・書院 (昭和60年)
関家・書院 (昭和60年)
今回は、書院の屋根が茅葺きになります。主屋のほうも、今は寄棟屋根という形式ですが、入母屋屋根に変わりまして、棟がもう少し延びます。屋根をほどいてみたら間違いなくそうだったことがわかりましたし、古い写真もあるんです。

工事は平成17年7月に竣工の予定ですが、こういう修理でいつも課題になるのは、いろんなことがわかったとして、どういうふうに戻すか。いつの年代に戻すかということなんです。今回の復元では主屋の大きくなっていた部分を縮めようということなんですが、重要文化財の建物ですから、そんな大事なものを私たちの判断で小さくしていいのかという問題があります。

例えば一番最初のかたちにしようというのが、一つの考え方としてある。そうすると関さんのお宅では書院はなくなってしまう。それはちょっと違うだろう。では書院が建った時代に戻すかとか、結構複雑なことがあって、今、相談しているところです。

ただ、雰囲気は大事にしたいと思いますから、そんなにがらっと変わってしまうことはないと思います。

関口 歴史的にみても全国的にみても非常に重要な古民家ですからね。

編集部 きょうはいろいろとありがとうございました。




 
関 恒三郎 (せき つねさぶろう)
1923年横浜生れ。
 
関口 欣也 (せきぐち きんや)
1932年川崎生れ。
著書『鎌倉の古建築』 有隣堂(有隣新書) 1,050円(5%税込) ほか。
 
西 和夫 (にし かずお)
1938年東京生れ。
著書『海・建築・日本人』 日本放送出版協会(NHKブックス) 1,124円(5%税込) ほか。
 
神崎 彰利 (かんざき あきとし)
1930年厚木市生れ。
著書『検地』 教育社(品切) ほか。
 
井上 裕司 (いのうえ ゆうじ)
1966年神奈川県生れ。
 

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