Web版 有鄰

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有鄰
(題字は、武者小路実篤)
有鄰の由来・論語里仁篇の中の「徳不孤、必有隣」から。 「鄰」は「隣」と同字、仲間の意味。

平成16年9月10日  第442号  P1

○座談会 P1   横浜美術館・開館から15年 (1) (2) (3)
雪山行二/浅葉克己/岡部あおみ/猿渡紀代子/松信裕
○特集 P4   ばななの日本語   金田一秀穂
○人と作品 P5   平野啓一郎と「滴り落ちる時計たちの波紋」


座談会

横浜美術館・開館から15年 (1)

横浜美術館長   雪山行二
アートディレクター   浅葉克己
武蔵野美術大学助教授   岡部あおみ
横浜美術館学芸部企画課長   猿渡紀代子
 有隣堂社長    松信裕
 
横浜美術館グランドギャラリー
横浜美術館グランドギャラリー
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大きな画像はこちら約~KB  … 左記のような表記がある画像は、クリックすると大きな画像が見られます。

猿渡紀代子氏 雪山行二氏 浅葉克己氏 岡部あおみ氏 松信裕
左から、猿渡紀代子氏、雪山行二氏、浅葉克己氏、岡部あおみ氏、松信裕


    はじめに
 
松信  

横浜美術館が1989年(平成元年)に、みなとみらい地区に開館してから、ことしで15周年を迎えました。 開館準備の時期を含めますと、その歴史はすでに20年以上を数えます。 横浜美術館では、数々の大規模な企画展が開催され、横浜の文化を語るうえで欠くことのできない美術館として、横浜市民はもとより、世界的にも注目を浴びております。

本日は、横浜美術館開設の基本構想や、それを反映したコレクションについてご紹介いただきながら、その魅力や、現代における美術館のあり方などについて、お話をお聞かせいただければと思います。

ご出席いただきました雪山行二様は、国立西洋美術館学芸課長、愛知県美術館副館長を経て、2002年4月から横浜美術館長をお務めでいらっしゃいます。 スペイン美術、とくにゴヤについてお詳しいとうかがっております。

浅葉克己様は、神奈川工業高校図案科をご卒業後、デザイナー、アートディレクターとしてご活躍で、横浜美術館のロゴマークや、企画展のポスターのデザインも担当され、7月には横浜赤レンガ倉庫で個展を開催されました。

岡部あおみ様は、パリで専門教育を受けられ、開館直後のポンピドゥー・センターの研修生第1号となり、その後、同センターで特別研究員となり、さまざまな研究や展覧会の企画をされ、世界の美術館に精通しておられます。

猿渡紀代子様は、横浜美術館で、開館準備の段階からお仕事をしていらっしゃいます。 近代美術史を幅広くご研究され、「幕末・明治の横浜展」(開館10周年記念展)や「アジアへの眼竏抽O国人の浮世絵師たち」などの展覧会を企画されていらっしゃいます。
 


  ◇国際的な視野と横浜の歴史を意識した収集
 
松信  

1989年(平成元年)3月に横浜博覧会が開催され、横浜美術館はそのときに仮オープンし、11月3日に正式に開館されますが、開館されるまでの経過を、まずご紹介いただけますか。
 

猿渡  

私は1982年(昭和57年)に横浜市の嘱託学芸員として採用されたのですが、その前年には横浜市美術館基本構想委員会ができていました。 今はお亡くなりになられた国立西洋美術館の元館長の山田智三郎先生、その後、横浜美術館長や理事長をなさった河北倫明先生、そのお二人が市長の文化顧問という形でさまざまなアドバイスをされ、高階秀爾先生を始めとする有識者の方々によって、基本構想案が立てられました。

当時は「民活導入」が唱えられ、横浜も例外ではなかったわけです。 民間の資金も募って、パブリックな面と、両方のよさを取り入れた美術館運営にしましょうということが基本構想委員会の答申の中に述べられています。
 


   横浜は日本近代美術の一つの出発点
 
松信  

どういうコレクションをもつとか、どういう美術館にしようという骨格づけがそこでなされたわけですね。
 

猿渡  

まず、国際的な視野に立つ美術館にという一方でコレクションについては、横浜という町が成り立った歴史的背景を非常に意識した収集方針になっています。

開館するときに、『横浜美術館コレクション選』と、図版とデータだけを載せた『横浜美術館所蔵品目録』(二分冊)をつくりましたが、そこに掲載されているように、作品群が収集方針を体現しています。

横浜の港が開かれたのは1859年(安政6年)でしたので、それ以降、つまり19世紀の半ばから現代までの美術作品を所蔵する近・現代美術館です。

高橋由一「愛宕山より品川沖を望む」
高橋由一
「愛宕山より品川沖を望む」
(横浜美術館蔵・提供)
大きな画像はこちら約130KB
 

現代美術の展開を示すような作品も、もちろん入っていますし、関連の企画展も数多く開催しています。 開港のころに目を移すと、横浜は日本最大の居留地になって、そこに欧米各国から商人とか、宣教師とか、旅行者とか、さまざまな人たちがやってきました。

その居留地に住んでいたイギリス人で、特派員兼画家のチャールズ・ワーグマンから高橋由一や五姓田義松らが油絵の技法を教えられて、明治初期の洋画が誕生したように横浜は日本近代美術の一つの出発点となりました。
 


    岡倉天心と原三溪にゆかりの院展の画家たちの作品

 今村紫紅 「伊達政宗」
今村紫紅 「伊達政宗」
(横浜美術館蔵・提供)
原範行・會津子寄贈
大きな画像はこちら約70KB
猿渡  

コレクション収集方針の特色は他にもあります。 横浜生まれの岡倉天心と、彼が創立した日本美術院の運動を物心両面にわたってサポートした人として、原三溪がいます。 本牧の自邸の庭園を三溪園として、早くも明治39年から市民に開放した方でもあります。 その原三溪と岡倉天心の両者にかかわりのある美術ということで、近代日本画のなかでも院展を中心とする画家たちの作品を集めることになったわけです。 たとえば、横山大観、下村観山、今村紫紅、安田靫彦、小林古径、前田青邨といった方々の作品です。
 

松信   初期洋画も近代日本画も横浜が発祥といっても間違いありませんね。
 

   写真発祥の地としてトータルに見られる写真コレクション
 
猿渡  

あと一つ、忘れてはいけないのが写真です。 これも西洋人から日本人に伝授されたものですが、下岡蓮杖が日本で最初期の営業写真館を1862~63年ごろ、横浜で開いています。 上野彦馬がいた長崎と並んで、横浜は日本における写真発祥の地の一つとされています。

それまで写真は、日本の美術館の収集対象にはほとんど入っていなかったのですが、横浜美術館の大きな特徴として、写真をコレクションし、写真専用の展示室をつくりますというのが、大きな柱として掲げられました。

横浜写真については、1981年(昭和56年)に横浜開港資料館が「下岡蓮杖と横浜写真」という展覧会を開いていました。

横浜美術館の写真コレクションでは、西洋で写真術が発明された19世紀の前半から今日に至るまでの写真の流れを、国内外あわせてトータルに見られるように、という構想でした。 現在、7,900点の所蔵品がありますが、そのうちの3,700点近くが写真作品です。

それから、横浜浮世絵も横浜にとっては特徴的な美術品ですけれども、それは、質量ともに随一の丹波コレクションが神奈川県立歴史博物館に入っています。

写真も浮世絵も、すでに横浜にあるものは、重ねて集めなくてもよいのでは、ということになったわけです。
 

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