Web版 有鄰

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有鄰

平成16年9月10日  第442号  P2

○座談会 P1   横浜美術館・開館から15年 (1) (2) (3)
雪山行二/浅葉克己/岡部あおみ/猿渡紀代子/松信裕
○特集 P4   ばななの日本語   金田一秀穂
○人と作品 P5   平野啓一郎と「滴り落ちる時計たちの波紋」
○有鄰らいぶらりい P5   高杉良著 「混沌」丸谷才一著 「猫のつもりが虎」奥野英朗著 「空中ブランコ」澤田ふじ子著 「花籠の櫛」
○類書紹介 P6   「古代の朝鮮」・・・日本にも深い関わりのある高句麗・新羅・百済の三国など。



座談会

横浜美術館・開館から15年 (2)

 



  ◇「観[み]る」「創[つく]る」「学ぶ」機能を基本理念に
 
猿渡  
市民のアトリエでの制作
市民のアトリエでの制作
(横浜美術館蔵・提供)

それまでの美術館は、まず、常設展や企画展を開催して、作品を見ていただく場所でした。 それを、見るだけではなくて、学ぶ機能やつくる機能という三つの機能を兼ね備えた、みんながそこで楽しむ美術館、あるいは開かれた美術館にしようという理念が掲げられたわけです。

具体的には、市民や子供のアトリエ、そして美術情報センターと図書室が加えられました。 パリのポンピドゥー・センターには子供のアトリエ(アトリエ・デ・ザンファン)がありますけれど、そういったものをモデルとしていました。
 

雪山  

私が横浜の美術館の建設計画を初めて聞いたのはたしか昭和57年ごろでした。 当時、私は上野の国立西洋美術館にいましたが、横浜市が新美術館に300億円をかけるというので、すごい計画だなと驚いたことを覚えております。

それまでの美術館というのは、とにかく見せる、あえて言えば「見せてやる」という姿勢がありました。 それが、1970年代後半から80年代にかけてたくさんできた公立美術館では、市民参加といいますか、開かれた方向に変わってきた。 横浜美術館は、それらのなかでは後発組なんですが、その集大成という感じがしましたね。
 

松信  

他の都市にくらべ、横浜市に美術館ができるのは遅かったですね。
 

猿渡  

1964年(昭和39年)に横浜市民ギャラリーが桜木町駅前の旧中区役所の建物を使ってオープンし、10年後に現在の教育文化センター内に移っています。 その間ずっと「今日の作家展」をはじめとする活動を続けていますが、「横浜に美術館を」という声は根強くありました。

横浜は東京のベッドタウンとして人口が増え続けてましたので、まずは学校とか、上下水道の整備など都市のインフラづくりに追われてしまったんですね。 1970年代の後半から、全国各地で美術館建設がラッシュのように始まっていましたけれど、横浜はそういう点では非常におくれたスタートだったわけです。
 


   ポンピドゥー・センターはアートの複合施設
 
松信  

岡部先生は、今お話しに出ましたポンピドゥー・センターでお仕事をされていたわけですが、これはどういうところなんでしょうか。
 

岡部  
ポンピドゥー・センターの外観
ポンピドゥー・センターの外観
(岡部あおみさん提供)

ポンピドゥー・センターは、パリの国立近代美術館が一つの核になっている複合施設です。 国立近代美術館の歴史は非常に古くて、19世紀にできたリュクサンブール美術館を前身に、国立現代芸術センターと合併しました。 そこに公共情報図書館と、音響音楽研究所(IRCAM・イヤカム)などが同居してます。 ですから、美術館というよりは文化センターです。 それから、もとの国立近代美術館にはなかった、デザインや写真のコレクションがあります。

1977年のオープンなんですが、美術館には見えないハイテックな建物でしたので建築もすごく話題になりました。 図書館があり、シアターみたいなホールがあり、パフォーマンスや音楽会もでき、映画も見られるなど、いろんなアクティビティーが行われています。 それに並行して、美術館の活動がある。 現代の生活のなかのいろいろな芸術的な活動の一つとして位置づけられているのですね。

フランスでも、それまで美術館は権威的な感じで、一般の人が行くにはえりを正すみたいなところがありました。 そこで、芸術の殿堂というだけではなくて、もっと日常的で身近な施設、社会的な機能を持つものとして組みかえたわけです。

1997年に、ポンピドゥー・センターをいったん閉めて改修することが決まったときには、みんな青い顔になってしまったぐらい市民生活の一部に溶け込んでいるわけです。 そういうことが大事で、それがまさに文化のあり方で、偉大な気がします。
 

浅葉  

美術館のすごいところは、どうしてもキラキラしているみたいなところ、パリに行ったら、絶対ポンピドゥーに飛んでいきたいと思いますね。 あそこに行くと大道芸をやっていたりして、市民が集まっていますね。 すばらしいなと思った。 ルーブルとオルセーとポンピドゥー、一観光客として行くんですけどね。
 


   「観る・創る・学ぶ」のコンセプトを表現したロゴマーク
 
 浅葉克己デザイン 「横浜美術館ロゴマーク」
浅葉克己デザイン
「横浜美術館ロゴマーク」
松信  

浅葉先生は横浜美術館のロゴマークをデザインされているわけですが、どんなイメージでつくられたのですか。
 

浅葉  

「観る・創る・学ぶ」という三つのコンセプトがありますね。 それが横浜の「Y」の字になっているんです。
 

猿渡   赤・緑・青の三色ですね。
浅葉  

三色です。 名刺の印刷代が高いんですよ(笑)。 僕はシンボルマークに色は使わないんですけど、このときだけは三色使いたいなと思ったんです。
 

雪山  

そのとき、「観る・創る・学ぶ」はもう打ち出されていたんですか。
 

浅葉  

開かれた美術館というのは決まっていましたね。 「Y」という字を書いたら、ちょうど三つに開かれているみたいな感じがあって、ぴったりだった。
 

猿渡  

『横浜美術館ニュースRGB』のタイトルはレッド、グリーン、ブルーの三原色の意味で、ロゴマークから来ています。 すべてがここから始まったみたいなところがあって、浅葉先生のロゴマークで、こちらとしてはすごくラッキーだったと思います。
 

松信  

浅葉先生は、横浜美術館の展覧会のポスターもかなり手がけていらっしゃいますね。
 

浅葉  

そうなんです。 6点つくっています。 89年の「ニューヨーク・ニューアート チェースマンハッタン銀行コレクション展」「東山魁夷展」などがありますが、その前に横浜博覧会のポスターをつくっているんですよ。
 

猿渡  

横浜博覧会のポスターもそうなんですか。
 

浅葉  

ええ。 「宇宙と子供たち」というテーマでした。 榎本了壱さんがプロデュースをして、字は亀倉雄策さんがつくって、イラストレーションはタナカノリユキさんが描いたんです。
 

    浅葉克己デザイン「ニューヨーク・ニューアート チェースマンハッタン銀行コレクション展」ポスター (C)ADAGP,Paris & JVACS,Tokyo,2004
浅葉克己デザイン
「ニューヨーク・ニューアート チェースマンハッタン銀行コレクション展」ポスター 大きな画像はこちら約100KB
(C)ADAGP,Paris & JVACS,Tokyo,2004
浅葉克己デザイン「東山魁夷展」ポスター
浅葉克己デザイン
「東山魁夷展」ポスター

  ◇「横浜に美術館が欲しかった」
 
松信  

先生は横浜のお生まれですね。
 

浅葉  

僕は県立神奈川工業高校の出身ですが、学生時代は1950年代ですから、まだ焼け野原ですよ。 横浜には美術館がないですから、東京に見に行きましたね。 「東京都横浜区の考え方でいなさい」と先生が言うんです。 よく上野まで行かされました。 横浜にあれば横浜で見るんですけどね。 何で横浜に美術館がないのかなって、欲しかったですよ。

一番お世話になったのは、山下公園通りにあったアメリカ文化センターでしたね。 あそこにアメリカの情報が集まっていたので、全部の本を借りましたよ。 アメリカのデザイナーのハーバート・バイヤーの「世界地図」という傑作があるんですよ。 それを繰り返し借りて、結局返さなかったんです(笑)。 督促状が何回も来た。
 

岡部  

ブラックリストに載っていますね。
 

浅葉  

そうですね。 この間亡くなったカメラマンの横須賀功光も横浜出身なんです。 彼が本を借りようとすると、必ず「浅葉克己」と書いてある(笑)。 全部先に見たのかと。

『Vogue』とか『Harper,s Bazzar』とか、『Art&Decoration』とか、雑誌の一番新しいのも来ていましたから、毎週行ってましたよ。 学校に行っても資料は全然ないですからね。
 

岡部  

特に海外のはね。
 

浅葉  

ええ。 海外のはなかったので、そこばっかり行ってましたね。 横浜に戦後すぐにできたのですが、随分助かりましたね。
 


   8万冊の蔵書を揃え利用者も多い充実した図書室
 
浅葉  

だから、横浜美術館に行っても必ず図書室には行くんです。 結構珍しい本がありますよ。 図書室はすばらしいですね。
 

雪山  

今、蔵書は8万冊ほどあります。 首都圏では東京国立近代美術館、東京都現代美術館、そして私どもの横浜美術館が、大体同じぐらいでしょうか。

それから定期講読をしている雑誌については、横浜美術館は特にすぐれていると思います。
 

猿渡  

著名な方もたくさんいらしていて、執筆などの助けにされているようです。
 

浅葉  

そうですよね。 コピーをとってもらえるし。 8万冊ですか。
 

雪山  

利用者も年間約1万5千人と随分多いし、また喜ばれてもおりますが、昨今の財政難でどんどん予算がカットされると、こちらは収益がなくてかせぎようがありませんので、大変苦しい立場にあるんです。
 


   美術館がもたらす波及効果を都市の戦略に
 
松信  

その辺は、ポンピドゥー・センターはどうなんですか。
 

岡部  

もともと、かせぐことを第一には考えてないですね。 一番大きな組織である公共情報図書館はすべて無料です。

ただ、フランスの場合、特にパリは観光客が多く、現在ルーヴル来館者の60%が観光客です。 つまり、各施設の収支が合わなくても、フランス全体では収益が上がる。 結局、文化国家の魅力というのが非常に重要な要素なので、文化予算を基本的な投資と考えることができるわけです。
 

雪山  

美術館というのは、単体としては採算なんて成り立ちっこない。 ですが、ことしの1月から2月に「東山魁夷展」をやったとき、ちょうど、みなとみらい線の地下鉄ができて、2月からお客さんがわっとふえました。 アンケート調査の結果をみると、これから元町や中華街へ行くという方が多いんですね。

それと、みなとみらいの幾つかのホテルで、宿泊と展覧会の観覧券をセットにしたものを売り出した。 そういう点ではみなとみらい、元町、中華街といった地域に対して、かなりの経済的な波及効果があったと思います。

それに、数字では出せないことなんですけれども、やはり美術館が存在することで、地域の文化的、精神的なレベルアップに貢献していることは間違いありません。 だから、もうちょっと明確に都市の戦略のなかに美術館を位置づけていただきたい。 美術館が地域の発展に役立つことだけははっきりしていますね。
 


  ◇アーティストが住める需要をつくる
 
岡部  

横浜に在住のデザイナーとか、アーティストはどのぐらいいらっしゃるか、ご存じですか。
 

浅葉  

結構いるんですが、みんな東京に行っちゃうんですよ。
 

猿渡  

今また、そういう人たちに、横浜に住んだり、アトリエや事務所を開いていただいて、芸術文化を都市づくりの核に置こうという構想を中田市長が立ち上げています。
 

岡部  

芸術構想を持っていらっしゃるみたいですね。
 

雪山  

でも、アーティストが横浜で食えなきゃだめなんです。 だから、横浜に呼び戻そうとかいろいろやっていますけれど、横浜でそれだけの需要をつくらないと、ほんとのところはだめでしょうね。
 

岡部  

美術館が、横浜出身者とか在住の人をフォローしていけば、若いアーティストにとって横浜が魅力的になるんじゃないでしょうか。
 

猿渡  

そうかもしれないですね。
 

岡部  

ポンピドゥー・センターは国レベルですけれどもたとえば、リニューアル・オープンしたら、フランスの現代作家をバーンと押し出します。 そんなふうに横浜の現代作家を押し出すとかもしたらいいと私は思います。 バックアップしてもらえたら、アーティストはうれしいですし。 ただ、フランスの場合はものすごく文化政策が強いので、やり過ぎて頼られてしまうこともある。 でも、日本の場合はその辺がまだ弱いから、積極的にしてもいいと思いますね。
 

雪山  

アートは付加価値が高いから、国や都市の戦略としてうまく活用すれば、地域の発展とか収入につながる。 日本ではそこまで考える政治家はいないですね。
 

浅葉  

日本ももうちょっとで来ると思いますよ。
 

猿渡  

そういう点で、「横浜トリエンナーレ」などを戦略的に使えばいいと思うんです。 3年おきに開催される国際的な現代美術展で、2回目が2005年に予定されています。
 

岡部  

今、私たちの未来や世界がわからなくなってきているなかで、きちんと発言しているのはアーティストやデザイナーですから、そういう人たちを自信を持って支持する必要がありますね。
 


   地場産業とアートが結びついた歴史がある横浜
 
猿渡  

横浜は明治期、生糸の輸出が盛んで、原三渓もそれで実業家として成功されたわけですが、実は素材だけじゃなくて、絹のハンカチなど加工品もたくさん輸出されていました。 横浜スカーフも有名です。

横浜には、ツーリストアートと呼んでいいような、美術というジャンルのなかに入れてもらえないようなお土産品としてのアートがあるんです。 「幕末・明治の横浜展」で取り上げましたが、絹地に外国人や日本人の肖像を非常にリアルに描いた、いわゆる「横浜絵」は、外国人が喜んで注文して持って帰った。

また、日本の典型的な風景や風俗などを、ちょっとビクトリアン調に描いた水彩画が輸出されていたようです。

横浜写真という彩色された写真については、横浜開港資料館を中心に研究が進んでいますけれど、これも、明治20年代から30年代初めにかけて横浜の港から積み出されて、欧米に相当輸出されています。 地場産業とアートが結びついた歴史というのが横浜にはあるんですね。
 


   「お願いしたい新人作家の発掘」
 
猿渡  

横浜美術館の基本構想に示された収集方針のなかにも、実は、現代の市民生活と密着した分野として工芸、デザイン、建築などが掲げられていますが、そこがまだ弱い部分かなと思います。

横浜は、商店街のモール化による活性化など、都市デザインの点で他都市に先行してきました。 美術館とか、地場産業とかいうものが、うまく有機的に結びついて、一つの大きな動きになるといいですね。
 

浅葉  

僕が入っている日本グラフィックデザイナーズ協会では、デザインキャラバンをやっているんです。 東京のデザイナーと地元のデザイナーが組んでモノをつくる。 そこから結構ヒット商品もでています。 そういうことはできると思いますよ。
 

岡部  

その中から新しいアーチストがあらわれるという可能性もありますよね。
 

浅葉  

新人の発掘、これを強烈にお願いしたいですね。
 

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