Web版 有鄰

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有鄰

平成16年11月10日  第444号  P3

○インタビュー P1   瀬戸内寂聴さんに聴く
源氏物語、そして幻の一帖 「藤壺」 (1) (2) (3)  
聞き手・ 松信裕
○特集 P4   百歳になる片岡球子先生  山梨俊夫
○人と作品 P5   出口裕弘と「太宰治 変身譚」
○有鄰らいぶらりい P5   馬見塚達雄著 「『夕刊フジ』の挑戦」秋葉道博著 「サムライたちの遺した言葉」渡辺淳一著 「幻覚」安岡章太郎著 「雁行集」
○類書紹介 P6   「火山噴火」・・・三宅島、浅間山、次は? 日本列島には86の活火山が並んでいる。




インタビュー
瀬戸内寂聴さんに聴く
 
源氏物語、 そして幻の一帖 「藤壺」 (3)
 
聞き手・有隣堂社長 松信裕




  ◇背丈より長い髪は「女の命」。剃髪は大変なこと
 
松信  

『源氏物語』は光源氏の恋の遍歴の物語ですが、女性たちが実に魅力的に描かれていますよね。
 

瀬戸内  

光源氏に愛された女たち、光源氏よりももっと魅力的に書かれた女たちですけれど、物語の中で、次から次に出家していくんです。 7割方が出家している。 私も自分が出家するまでは、そういうものだと思っていました。 千年前の貴族の女たちは、ある時期が来たら出家するのが女の生き方の一つのパターンだと思って読んでいた。 与謝野さん、谷崎さん、円地さんのどの訳も、そこをすらっと通っていますし、原文にも、古注にも、特にそれについて書いてあるところはないんです。 それが当たり前のように扱われている。 ところが、私は、自分が髪を落としたことで、いかに剃髪ということが女にとって大変なことかが身をもってわかりました。

平安朝の出家は、私のように坊主にはせずに、肩口で切りそろえる程度だった。 それを「肩そぎ」あるいは「尼そぎ」と申します。 そのころの女の人たちの髪の毛は背丈よりもずっと長い。 それが美人とされて、「女の命」と言われるほど大切だったんです。

昔は、たとえ貴族の家でも油がもったいないので、夜はほとんど明かりをつけなかった。 ですから、密事を行うときも真っ暗な中でしたんですよ。 手探りでね。 そのときに手にさわるものが、髪の毛だったのね。 長い髪の手ざわりで「この女は、髪が長くて、つやつやしていて、いいな。」って、男がなでたんですよ。 ですから、愛撫のために非常に女の髪の毛は重要な役目をしただろうと思います。 その髪を肩まで切るんですから大変なことですよね。
 


   愛されたために嫉妬に苦しむ女たち
 
松信  

瀬戸内さんが出家されたのはずいぶん前ですね。
 

瀬戸内  

瀬戸内寂聴氏
瀬戸内寂聴氏
 

私は中尊寺で出家して髪を切ってからもう30年になります。 剃髪は『源氏物語』に出てくるような優雅なものではなくて、お坊さんがちょんちょんと日本かみそりを当てて、その後、別室で電気バリカンでバアーッとやられて、あっという間に坊主になってしまいました。

そんな味もそっけもない剃髪でしたけれど、着せられていた白いシーツみたいなものに、髪の毛がフワーッと落ちてくるのを薄目で見ていて、やはり感慨がありました。

私は改めて『源氏物語』を読み直しました。 出家の場面が、それまでわからなかったことがいろいろわかってきたんです。

なぜ彼女たちは出家したのか。 誰も喜んで出家はしていません。 源氏に愛される喜びももちろんあったでしょう。 しかし、愛されると同時に、愛されたがために、それまで知らなかった苦しみを伴うんですね。 愛イコール苦しみと言っていいと思います。

愛は独占欲がありますから自分だけを愛してほしい。 ところが、浮気な夫や恋人は、自分以外の人も愛している。 自分のところにいないときに男が何をしているかと想像すると、苦しみが始まるんですね。 これは嫉妬です。 ジェラシーね。 この嫉妬の情にかられて、女は苦しむんです。
 

松信  

当時の結婚は通い婚ですね。
 

瀬戸内  

一夫多妻の上に、男が女の家に通うんです。 結婚しても、夫は自分のうちに住んで、毎晩お嫁さんのうちに通って、朝になると出ていく。 ずうっといるのはだらしがないと言われるんですね。 さらに一夫多妻ですから、一人の男がたくさんの妻を持ってもいいという習慣だった。 夫が通ってこなくなると、これは捨てられたということになるんです。

乗り物は牛車[ぎっしゃ]です。 牛が引く車が、ガラガラ、ギシギシと音を立てていく、その音を妻はじっとうちの中で聞いて待っている。 貴族の車が行くときは先払いというのがありまして、「何々様のお通り。」と、家来が声をかけていくんです。 自分のところに来てくれると思って、一生懸命お化粧して待っているのに、自分のうちの門の前を牛車はガラガラと通り過ぎて、どこかよその女のところに行ってしまう。 悔しくてたまらない。 源氏物語の女たちも、みんなそういう思いをしていた。

恐らく紫式部にも、現実の生活の中でそういう経験があったんだと思います。 小説というものは、経験を即書くものではありません。 でも、心に経験しないことは書けません。 自分は実際に殺さないけれども、人間誰にでも殺してやろうと思ったことはあると思うんです。

その、殺してやろうと思って憎んだときに、あの手でやろうか、この手でやろうかと眠れないままに思うこともあったと思うんです。 そういう思いを、殺人の思いを心に経験すれば、その小説の中の殺人は生きてくる。 だからそれが人の心を打つんですよ。
 


   ◇出家した瞬間に「心の丈」が高くなる源氏物語の女たち
 
瀬戸内  

『源氏物語』の世界では、光源氏が次から次に女を愛するけれども、愛された女たちは一人も幸福になっていないんです。 これは大変なことだと思います。 天下一のハンサムに愛されるんだから悪くないです。 ぜいたくもさせてもらう。 しかし、心が十二分に、あるいは十分にでも満ち足りたことはない。 必ず源氏には自分以外の女がいて、それを耐え忍ばなければいけない。 これは女にとって大変つらいことです。

その苦しみから逃れるために女たちは出家したんです。 どの女も、源氏に言わないで出家していく。 出家したとわかったら、源氏は飛んで行って、女にとりすがって「出家したいのは自分だ。 私は前から出家したいと思っているけれど、あなたを愛しているから、あなたを守らなければいけないから出家しないのに、あなたは私を捨てて、なぜ先に出家したか。」なんて言って泣くんですよ。 どの女が出家しても同じ言葉で泣く。
 

松信  

どの女性も、源氏に相談したらとめられるということを分っていたんですね。
 

瀬戸内  

源氏に相談したら源氏は絶対とめます。 その当時、千年前はまだ仏教の戒律が生きておりました。 出家者は結婚できなかったんです。 結婚だけではない。 女とそういうことをしちゃいけなかったんです。 源氏のような色好みで、女たらしでも、やはり仏教の戒律は怖かったんですね。 仏教の戒律に畏怖、恐れを抱いていたんです。

だから、源氏に相談したら絶対とめますね。 女たちはそれをよく知っている。 必ずとめる。 だって出家したらセックスができなくなるから、源氏にとっては都合が悪いから絶対とめるんですよ。

男は、自分の女が出家して尼さんになったら、もう絶対手をつけられなくなる。 つけたっていいんですけど、やはり仏様がどこかから見そなわしていらっしゃいますから、罰が当たったら怖いと思うんでしょう。 だから、絶対に自分の妻や恋人に出家されては困るわけなんです。

しかし、女たちはもう来てくれなくていいというところまで心が離れていますから、源氏に相談しない。 出家すると、源氏はよよと女にとりすがって泣くんですけれども、女は毅然としている。
 


   出家後、何事にも動じない姿を知って現代語訳を決意
 
瀬戸内  

そのとき「女の心の丈」ということばを、私は発明いたしました。 心にも背丈があると思うんですよ。 出家した瞬間に「女の心の丈」がさっと高くなるんです。 『源氏物語』を丁寧に読みますと、紫式部はそれがちゃんとわかるように書いてあるんです。

しかし、それはどなたも気がつかなかった。 私は自分が出家したからわかりました。 私も、出家しないでと、よよととりすがられた覚えがあるようなないような、もうあいまいになりましたけれども、思い切って出家しました。 その瞬間にそういう迷いがほんとに吹っ切れるんですよ。 解放されるんですね。 我慢しているんじゃないんですよ。 自由に、もうほんとに広々と心が広くなって、心の丈が高くなって、「何であんな男にほれたのかな。」って、そういう気持ちになるんですよ。

『源氏物語』の中の女たちは出家した瞬間、心の丈がさっと高くなって、源氏を見下ろすような立場になって、源氏に幾らとりすがられても動じないんです。 どの女も動じない。 これは見事に描かれているんですよ。 しかし、それについての論文は余り見たことがありません。

それで私は、ここから『源氏物語』を訳してもいいんじゃないか。 私に『源氏物語』を訳すカギが与えられたと思いました。

それでお三人の天才文豪に対抗して、私のようなものが源氏の現代語訳をするという恐ろしい仕事を、やってもいいという許可を得たと思ったんですよ。 それで自信を持って訳したのが、私の『源氏物語』なんです。

女たちは愛されることの苦しさの余りに出家して源氏との縁を切っていく。 なぜ彼女たちが出家していくか。 なぜ光源氏がよよと泣くか。 私はそこがわかるように書いてある(笑)。 何となく。
 


   情熱を持続した朧月夜も最後には出家
 
松信  

物語では、最初に出家するのは藤壺ですね。
 

瀬戸内  

源氏はすごくショックで、なぜ出家したか、どうしてこんな大事なことを自分に言ってくれなかったかと泣く。 藤壺としては、出家したら、源氏の身も守れるし、それから不倫の子の東宮の身も守れる。

源氏との恋愛で喜びもあるけれども、苦しみも多い女たちが、たまらなくなって自分の身を守るために選ぶ道は出家しかないんです。 それで次から次に出家していく。 朧月夜のような人でも最後には出家する。
 

松信  

東宮の婚約者でありながら、光源氏と不倫する朧月夜[おぼろづきよ]というのはどういう女性ですか。
 

瀬戸内  

朧月夜は、ぱあっとあたりが輝いてくるような華やかな人ですね。 私は、初めから好きなんですよ。 朧月夜を好きと言うと、みんなびっくりする。 丸谷さんも、断然、朧月夜がいいとおっしゃる。 非常に育ちがいいし、わがままで、かわいがられている。 自分のしたいことをしていますよね。

『源氏物語』の中で一番意志的な人なんですよ。 そして非常に情熱の持続がある人ですね。 それでも出家したら、源氏がとりすがっても知らんと言って突っ放す。 あそこはとてもおもしろいです。
 

松信  

それほど情熱的に源氏を愛していた人でも、出家したらその後は一切関係しない。 それぐらい覚悟が決まっていたということですね。
 


   女も出家すれば成仏できる「男はだめね。」
 
瀬戸内  

「宇治十帖」にでてくる浮舟も、出家のあと、恋人の薫が、過去のことは許すからまた自分と仲良くしようと、わざわざラブレターをよこすんですが、浮舟はその手紙を、お人違いだったら困りますと突っ返してしまう。

その返された手紙を見て、薫は浮舟には男がいるんだなと想像する。 そうして、この長い、長い『源氏物語』が終わるんです。

浮舟はお姫様だけれども、田舎で育って教養も余りなくて、恋人がいるのにほかの男に身を任せてしまう。 出家しても、数珠をどう持っていいかわからないし、お経もろくに言えない。 読者としては、大丈夫かなと思うように書いてあるんですね。 その浮舟が見事に薫の誘惑を退けた。 出家者としてそこで全うできるんですね。 それこそ心の背丈がぱっと高くなっているんですよ。

つまり紫式部は、女人は成仏できないというふうな仏教の教えでしたけれど、そんなことはない。 女だって救われるよ。 本気で出家すれば、女もきっと成仏ができるということを彼女は言いたかったんだと思う。 そして「男はだめね。」ということも言いたかったんだと思うんですね。
 

松信  

先生のお話はたいへん面白く、興味深いことばかりで、時間が何時間あっても足らないように思います。 実は、11月24日(水)から26日(金)に「第6回図書館総合展」が文部科学省などの後援で、みなとみらいのパシフィコ横浜で開催されます。 図書館の運営・管理や情報検索システムなどを展示・紹介するもので、有隣堂もお手伝いさせていただいておりますが、瀬戸内先生は記念の講演会をなさいます。

『源氏物語』について、お話しはまだまだ尽きないようですが、講演会の会場でその続きなどもお聞かせいただけるものと思います。

本日は、長時間、ありがとうございました。
 





瀬戸内寂聴訳 『源氏物語』 全10巻
『瀬戸内寂聴の源氏物語』
瀬戸内寂聴訳 源氏物語
(12345678910)
講談社刊 各1,365円(5%税込)
瀬戸内寂聴の源氏物語
全1冊 講談社刊 1,575円(5%税込)

 
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