Web版 有鄰

557平成30年7月10日発行

イサム・ノグチと神奈川 – 海辺の創造力

中村尚明

20世紀を代表する彫刻家のひとりイサム・ノグチ(1904―1988)は、アメリカと日本を拠点としながら世界を股に掛けて活躍した。そうしたノグチの重要な節目や転機の舞台が神奈川にいくつかある。6歳のイサムが母親と移り住んだ茅ヶ崎では大工仕事や自宅「三角形の家」の新築を経験した。単身アメリカに渡る13歳のイサムを乗せた船は横浜から出帆した。やがてアメリカで成人した彼が抱く、日本での記憶の多くは神奈川に由来している。

時は移り1950年5月、19年ぶりに日本の土を踏んだ彫刻家ノグチは、到着早々、かつて父野口米次郎が英文学を講じていた慶應義塾大学で、建築家谷口吉郎から新萬來舎のノグチ・ルームと庭園のデザインを依頼される。仕事場が必要となったノグチは、画家猪熊弦一郎の依頼によって、デザイナー剣持勇がいた川崎津田山の工芸指導所を使うことができた。ひと月足らずで庭のための彫刻のマケット(ひな形)をはじめとする一連の作品と家具を作り上げ、日本橋三越での個展に間に合わせる荒業をやってのけた。やがてノグチは鎌倉山崎に北大路魯山人を訪ねて親交を結び、窯場の使用を許された。加えて隣地の「田舎屋」を提供され、これを増改築して新妻山口淑子との住居兼仕事場とした。同じ鎌倉の県立近代美術館では1952年9月からノグチの新作による大規模な個展が開催され、岡本太郎、小説家林房雄が長文の展覧会評を寄せた。

1966年、横浜奈良町の「こどもの国」の一画で建築家大谷幸夫との共同でノグチの念願であった児童遊園が実現した。今は様変りしているが、カーブした切通しと左右非対称のアーチ、マウンド型の遊具「まんじゅう山」、幾何学的な形の小さな橋など、ノグチ独特の明解かつ考え抜かれた造形が見られる。

2006年に横浜美術館でノグチ展を開催した時、ゆかりの地を訪ねるワークショップを実施した。永い歳月を経た茅ヶ崎や鎌倉の旧居跡に往時の遺構はなかったが、それでも参加者は、かつて少年イサムが、彫刻家ノグチが生活し、想を練り、制作したその場所[サイト]に立ち、思いをめぐらすことで、心中のノグチ像を膨らませたようだった。それはノグチ彫刻の本質とも通底する。彼は彫刻を単なる「もの」とは考えず、作品と周囲の建築や人が対話し、空間それ自体が息づくことを目指した。それを画家の長谷川三郎は的確にも、「ノグチの彫刻は空間を美しく見せる」と評した。モダンアートと日本古来の美の融合を目指した長谷川は、再来日直後のノグチと運命的に出会い、お互いの芸術観が驚くほど似ていることに驚いた。爾来2人は京都奈良に古い文化遺産を訪ね、日本美の本質を研究し、そこからオリジナルな作品を生み出そうとした。当時辻堂に住んだ長谷川と鎌倉のノグチは毎日のように会い、かつて米次郎が滞在した鎌倉円覚寺で共に座禅を組んだと伝えられる。こうしたノグチと長谷川の1950年代に焦点を当てた2人展が来年1月から3月にかけて横浜美術館で開催される。

(横浜美術館主任学芸員)

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.