Web版 有鄰

559平成30年11月10日発行

手塚治虫論 – 1面

切通理作

60年代から70年代の漫画界

今も書店に並ぶ手塚治虫作品

今も書店に並ぶ手塚治虫作品
有隣堂テラスモール湘南店にて撮影

筆者は、子ども時代である60年代後半から70年代にかけて、手塚治虫が現役作家でありながら「漫画の神様」と呼ばれ、石森章太郎(80年代に石ノ森章太郎に改名)、赤塚不二夫、藤子不二雄といった、当時大御所と感じていた花形作家のさらに「師」であったことを知っていた。この「師」という言葉は、単純に教えを請うたという意味ではなく、彼ら作家たちが少年時代、手塚漫画に心酔して育ち、長じて漫画を描く中でも本人と出会って時に仕事を共にしたという、歴史の折り重なりが起きていたことも認識にあった。

現役作家としては、この時期、手塚は劇画ブームなどに脅威を感じ、自分が時代に遅れるのではないかという焦りを感じていたというが、私も周りの子どもたちも「終わってしまった作家」という印象は持っていなかったと思う。ただ、テレビアニメ版の放映が終了しても、再放送や単行本などで繰り返し親しむことが出来た児童向け作品の代表作『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』からは、60年代までの、まだ過度の刺激よりも、丸みを帯びた、童心と共にあった漫画の世界の匂いを嗅ぎ取っていたことは確かだ。

筆者は自分の子ども時代を振り返る時、60年代いっぱいまでと、70年代前半とでは、明確に区切られた意識を持っていた。それはたとえば安保闘争といった時代のトピックに敏感だった早熟な子どもだったからではない。むしろその面では意識が低く、年齢以上に幼い人間であった筆者でも、読む漫画の違いによってそれを明確に告げ知らされたのである。

70年代前半、少年漫画誌は青年層も読むものになり、その内容も、夢や冒険を牧歌的に謳うものから、青春が出会う世の残酷さを抉り取るようなものが時代を牽引するようになっていく。

だが筆者は思春期を迎えたころ、手塚のライフワークであった『火の鳥』B5版シリーズの刊行と継続作の再開や、「カノン」「ペーター・キュルテンの記録」といった、文庫に収録された青年向けの作品に触れ、少年漫画を生み出してきた背景にある死生観と直に触れたような気がして、読み応えを感じ、「単なる流行作家でなかったのも、むべなるかな」と再認識したものだ。だから「手塚治虫」という名前が、表現者として古びることはなかったのである(これは私感だが、作家としての現役感で言えば、冒頭に名前を挙げた3人よりもむしろ手塚の方が長かったとさえ言えるのではないかと思っている)。

医師免許を持つ手塚が生み出したブラック・ジャック

しかし、少年向け週刊誌連載の現役作家としての手塚治虫に接したということでいえば、なんといっても『ブラック・ジャック』体験に尽きるであろう。1973年に『週刊少年チャンピオン』で始まったこの漫画によって、私は手塚治虫を「いま」の作家そのものとして認識できた。

現代では権威とみなされている医師という職業も、近代の勃興期には、人間の身体を切り刻む、忌み嫌われる要素を持っていたことを思い出させる、作品と同名である天才的な外科医(ただし無免許)の活躍を描く『ブラック・ジャック』。それは60年代後半から70年代にかけて、手塚が脅威と捉えた、他作家による犯罪劇画ブームや、スポーツ根性もの、ナンセンスギャグなどに見られる、より写実的な殺人・暴力、主人公が極限まで鍛え抜く肉体性、すべての秩序や価値観を否定するカタルシスの勃興に対し、しっぺ返しをするごとく、接近戦で切り結んだものであったのかもしれない。

どんなコワモテのヤクザや不良番長やスポーツマンであれ、身体に病気が巣食えばいとも簡単に命の危険にさらされてしまう。喧嘩が強くても腕が切断されれば戦えない。

ブラック・ジャックの数奇な過去が途中の話で明らかになるが、そんな主人公の容姿を嘲笑し、これを遠ざけようとしたり、医師界の権威の側に立って排除しようとしても、彼の手にならなければ自らの、あるいは自らにとって大事な存在の命が救えないとなれば、その前に膝をついて助けを乞う以外にないのである。

それは自ら医師免許を所持し、人間の身体の構造に対する探究心を持ってきた手塚にとって、時代に対してふるうことの出来る、メスという名の<刃>であったともいえよう。

ウィキペディアにも同様のことが書かれてあるが、筆者もまた『ブラック・ジャック』に魅了された大きな要素の1つとしては、十数ページしかない1回分の展開の中で、ゲストとして主人公と出会う患者(後述するが、それは「人間」に留まらない)のドラマを語り抜いてしまうところが挙げられる。当時ストーリー漫画の多くは連続ものであった。本作は、その当事者にとってはあまりに大きい生と死の逆転のドラマを、惜しげもなく、毎回結論まで投入してしまうのである。難病や重症になるような事故に遭った人物が、1回の中で、運命が繰り返されるようにふたたび同様の事態に遭遇してしまうという回も、当たり前のようにあった。

だが『ブラック・ジャック』という作品の真価は、そうした、同時代と切り結んだインパクトや、ジェットコースターのごときドラマチックな展開にばかりあったのではない。

いま連載を読み返してみると、こちらの「医療もの」という狭い限定意識からすれば変わり種といえる、ブラック・ジャックが獣医でもないのに動物を治療するという回が、早くも第2話から描かれていることが再確認できる。以後『ブラック・ジャック』にとって動物がゲスト主役になる回は定番の1つになっていく。人間の身体を完全に鳥に改造してしまうという、もはやSFと言うほかない展開も初期から見られる。

また、連載の1回目からしてそうなのだが、整形や皮膚の移植によって、人間が別人になり替わる話が非常に多い。これは作劇としての基本パターンの1つと言ってもいい位だ。女が男になるというものもあり、この発想はブラック・ジャックの過去にただ1回だけあった恋愛に絡める重要なものとして差し出されている。

人間の身体をバラバラにして、またつなぎ合わせるという、思い切った展開も少なくない。

これらに通底するのは、命を規定するものは姿かたちの同一性ではないどころか、身体そのものですらなく、それらは時として他の動物にすら置き換えられるというまなざしである。医大時代は、タニシの精子の研究を通して人間の精子のメカニズムを考えることを博士論文のテーマにしていたという手塚にとって、特に奇異なことでなかったのかもしれない。『火の鳥 未来編』では、人類が滅んだ後にナメクジが代わって万物の霊長となる未来を描いてみせてもいた。

〈境界〉に位置する存在

人間が、他のものになり替われるということ。あるいは、なり替わられてしまうということ。手塚が生涯追い求め実践してきた「アニメーション」を制作するという夢もまた、実はこれと軸を同じくしている。

手塚はアニメーションというものに惹かれた最大の理由を、あるものがべつのものに変形していく「メタモルフォーゼ」の表現ゆえだと語っているのだ(ちなみに筆者は「メタモルフォーゼ」という単語を手塚漫画で覚えた)。

アニメーションの魅力が、変わっていく過程だとするならば、手塚治虫は人間が人間以外に変わっていく、その境界に潜むものに目を凝らし続けた。考えてみれば、人間と機械の境界にあるアトム、人間と動物との境界にいたレオ、男性と女性の境界にいたサファイヤと、児童漫画ヒット作のビッグ3『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』の主人公たちもまた、境界線に立つキャラクターであった。

あるいは、手塚の生み出したキャラクターそのものもまた、人間と、絵という「記号」の境界に位置するものであり、手塚は常にそれを意識していた。

手塚治虫は、自分が人物のデッサンをまともに勉強してこなかったことを悔やむ発言を繰り返ししている。一方で手塚は、旧制中学在学中、フルカラーの昆虫図鑑など夢のまた夢の時代に、立体感あふれる写実性で一体一体を描き起こした自作の昆虫図鑑を作っていた。絵の具の乏しい時代、赤は自分の血の色を使ったという逸話も残されている。後年それが収められた出版物を見た時、筆者は「まるで写真だ」と思い、ハイパーリアリズムという言葉すらなかった時代に、この少年が迫ろうとしていたもの、掴もうとしていたものの「予感」に震えた。

手塚治虫という作家は、いつでも読む者に、新たな発見を与えてくれる。描き尽くせなかった何かすら、予感させてくれる。

遠い過去と遠い未来から描き始められた、永遠の生命を追う物語『火の鳥』の最後は、現代が舞台になるはずだと手塚は語っていた。手塚の死に接した時、筆者は「これで『火の鳥』は未完になってしまった」と思ったが、現代が未完である以上、読者である我々もまた、常に変化の途中に居るはずだ。死を超えた「いま」を掴もうとする時、手塚治虫という先人の存在はいまだにそびえ立っているのである。

切通理作氏
切通理作(きりどおし  りさく)

1964年東京都生まれ。批評家。著書『怪獣少年の〈復讐〉』洋泉社(品切)、他多数。

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