Web版 有鄰

560平成31年1月1日発行

50年前の寅さん – 1面

秋野太作

テレビ版から始まった寅さんシリーズ

今年はあの寅さん映画が作られてから50年とかで、松竹さんがあれこれ企画を考えてるらしいね。新作映画が作られるんだってさ。主役はあくまで渥美清だって。山田洋次監督は「どんな映画になりますか?」という記者の質問に、「ちょっと不思議な映画が出来るんじゃあないかと楽しみにしています」と答えてる。驚いた。もう死んでる俳優を主役にして映画を作るんだよ。こりゃあちょっとどころじゃあない不思議な映画になるだろうねえ、間違いないよ。

――ファンは喜んで見に行くんだろうなあ。私の友人のリタイア爺さんは毎晩チビリチビリやりながら旧作の「寅さん」ばっかり見てる。「他に見るものないもん。セリフを全部覚えたぞ」と笑ってる。奴のカミさんは、「あたしゃもういい加減、寅さんもアンタも見飽きたわ」と呆れてる。孫の大学生は、どこのトラだかも知らんて顔だ。……ああ、ワタシャもういやんなるんだ。あれから50年だとさあ。ああ、光陰屁のごとしだね。いや、違った……かな?

実は最近、私は渥美清に関する本を出版したんだ。アンタ知らなかった? 昔はいろいろ面白いことがあったからさ、忘れないうちにそれを書いておこうと思ったんだ。何しろ近頃の私は齢のせいで、朝何を食ったかも昼には思い出せないんだよ。昔のことはよく覚えてるんだけどなあ。

――50周年とは言うけど、私に言わせりゃあ51周年だぞ。「テレビ版」を忘れてもらっちゃ困るんだ。全てはテレビ版から始まったんだから。――テレビ版の寅さん、大活躍だった。それでマグマの大爆発が起こって何もかもが始まったんだ。映画化されて続き、マグマの冷えきるまでに50年もかかってついに今年、50本めの映画が出来る、というわけなんだ。それくらいに面白かったんだ、テレビ版もね。ところがどういうわけだかコレが無視されてるんだよね。今ではアレはつまらなかったような話になってるんだ。自慢話を嫌うあの渥美さんも「いや、あれはあれで素晴らしかった」って、どこかの記事で認めてたけど……。

あの頃(テレビ版)の渥美さんはムチャクチャカッコ良かった。女はもちろん男の私でも惚れ惚れするような、きっぷのいい、明るく楽しく溌溂として才気溢れる、1度演技が始まればもうハラワタがよじくれるほど面白い、まぎれもない天才役者だったねえ。笑いを堪えるのが必死だったんだ私たち共演者はね。あの頃が彼のキャリアの絶頂だったと私は思うよ。前番組のヒット作が終わる頃には「次は何をやりましょう?」と、テレビ局から自分の番組の企画を相談される立場にあったんだ。そこで渥美さんが出した案が「香具師(やし)の話」だった。キャラクターと基本の状況設定は渥美さんが考えたんだ。「では脚本を誰に?」となって「山田洋次さん」と決めたのも渥美さんだった。私は当時毎日のように渥美さんの傍にくっついていてその辺の事情はしつこく聞いたからね。私の記憶は確かだよ。朝何を食ったかは忘れても。

今となってはテレビ版も映画版も両方知る者はもう私しかいない……。山田洋次さんはテレビ版では一脚本家として雇われた立場に過ぎなかったからね。テレビの現場にはいなかったんだ。

役者渥美清が作り上げた「車寅次郎」

テレビ版での渥美さんは実のところ台本は無用に近かった。要らないのさ。本番になると突然思いもよらない演技をするんだ。セリフも自由に変えてしゃべっていたよ。いわゆるアドリブだけど、彼の場合はもう台本の書き直しだったねえ。私は(どうすればこんな凄い役者が出来上がるんだ?)とそれはもう興味津々だったのさ、新人のヘッポコだったからね。……聞けば聞くほど驚いた。普通は「本」があって役者は後から配役されるけど、「寅」は渥美さんが実体験から考え出したキャラだった。「寅」は渥美さんなんだ。当て書きとも違う。自分でキャラを作り上げたんだ。あの香具師の口上なんか台本に無かったんだぞ。突然やるからビックリした。だから彼が亡くなった後も誰にもあの役は代われない……「役」としては代われない。役じゃあないから、演じられないんだ。だからあの作品は特別で、奇蹟なんだ。後の映画版『男はつらいよ』の大成功の最大の功績はあの渥美清にあるんだよ。

渥美さんの才能はあの頃眩しいばかりに煌めいていた。当時のテレビ人の熱意と自由な雰囲気もまた良かったね。皆、彼に一致協力してね。だからさ、番組の終わる頃には大評判さ。当然番組の延長を、と局は考えたが。それを(台本書くのを)断って「映画化したい」と強引に松竹に持って行ったのが山田さんなのさ。映画が大ヒットしたのは偶然じゃあない、当然なんだ。

人としても役者としても魅力溢れる人

渥美さんという人は知れば知るほど興味も湧くし、見れば見るほど聞けば聞くほど味わい深まるというか気がかりになるというか、人としても役者としても魅力の尽きない人だった。こうと明快に割り切れる人ではなかった。だから死後も色んな人から色んなことを言われるハメになったんだ。……でもね、私にはね、(違うな)と思うことも多いのよ。今日ある彼の人物評価に関してだがね。彼は根暗で孤独な性格だったとか、人づきあいが悪かったとか、秘密主義で孤高の人だったとか。アンタも聞いたことがあるんじゃないかい? ……失礼な話だ。そんなことはなかったよ。結婚式を秘密裏にやっただって? フン。古い新聞週刊誌を見たまえ。堂々と一流ホテルで披露宴をやってるよ。胸の結核手術の傷痕を必死に隠していただって? 気楽に彼は誰とでも風呂に入ってたよ。バスタブに浸かってニッコリ笑う写真が週刊誌に載ってたよ。自分の住所を誰にも知らせなかった、だから秘密主義だっただと? 当たり前だろう。それは個人情報だぞ。宴会を嫌がり地方ロケでは折角地元側で用意してくれた宴席を全部断って評判を悪くしただって? 言っておくが役者は芸者じゃないからね。彼は煙草の煙を嫌がったんだ。片方しかない肺を大事にしたんだ。一時期、彼は確かに香具師の世界に関わったこともあったさ。だけどさあ、そんなことをうっかり広言できないよねえ。一般人には暴力団と香具師の区別がつかないから。彼がテレビのトークショウなどに出てプライバシーを売らなかったのは孤高だったわけではありませんよ。あれは俳優としての矜持ですよ。ただ戦後の混乱期に青春期を迎えたものだから必死で泥田を這いずり廻った人であったことは、これは間違いのないことでした。彼が晩年大事な命を縮めたのは、その頃の無頼が祟ったのです。残念です。無念です。でも……まあ仕方なかったのです。誰もが時代の子ですからね……あの終戦直後には荒波に翻弄される人たちがたくさんいたのです。この私も、ボロをまとって焼け野原で泣いている欠食児童でしたから……ああ、思い出せば涙がチビリ出るのですよ。

ある時、あれはテレビ版の頃だったけどね。私はフト聞いたんだ。「渥美さんはどんな映画が好きなんですか?」と。そしたら「こないだ見た『ブラザーサン・シスタームーン』に感動した」と言うんだ。すっ飛んで見に行ったさ。びっくりしたよ。キリスト教の聖人の映画だった。美しく花咲く野原で僧服の聖人が小鳥とお話して讃美歌唄ってるんだ。仰天した。(渥美さんが何でこんな映画を?)と頭抱えた。そしたらまもなく渥美さんが結婚してね。そのお相手が後援者のお嬢さんで、幼い頃から知っている二回り近くも歳の離れた若妻で、しかも熱心なクリスチャンだったのさ。ウッフッフ……渥美さん、あの映画は一人で見たわけじゃあなかったんだ。暗いところで彼女の手をギュッと握っていたんだ、キットね。妄想だけどね。そして、私は思ったのさ。信じたのさ。(渥美さんは全てをやり直すつもりだな? これまでの埃を払って人生をリセットして、そうしてまた頑張るつもりだな?)とね。そのすぐ後からだった、映画版の寅さんが始まったのは――。初めのうちはね、何かとね、問題もあったのさ。実はね。でもね。続けてね。我慢して。やがて押しも押されぬ大成功へと彼は駈け上って行くことになるんだ。どうだい、偉かっただろう彼は?

映画版を途中で降りた私は、その後、徐々に渥美さんとは疎遠になったけど……。

――渥美さんが亡くなって、葬式が終わった後のことさ。遺族が囲み取材に応じたんだ。今は未亡人となった奥さんと息子さんと娘さんだった。テレビ画面に並ぶ3人の姿を見て、私はフッ? と息子さんに瞠目した。彼が代表で質問を受けていたんだが、その背広姿が渥美さんによく似ていて、テキパキと頭良さそうで、渥美さんの足元から黒い影を払い除けたような、爽やかで目の覚めるような好青年だったんだ。……私は思った。(ああ! 渥美さんが今の時代に生まれていたらきっとこういう人になったに違いない! まともな仕事?について、まともな仕事でも、きっと成功したに違いない――)。

そこには……屈託ない……健康そうな……明るい現代の若者がいたんだ(!)私は胸を熱くした。……あの人は立派に家族を守った。役者である前に、家庭人として父として、立派にその私生活を守りきった。彼は良い人生を歩んだんだ。見事だ。絶対に絶対に彼は幸せだった。そうなんだ。彼は本当に頭のいい人だった。――私はそう思った。

渥美清は孤独で根暗だったなんて誰が言ってるんだ?

おい、そこの君か? 無礼者。そこに直れ。打ち首だあ。

秋野太作氏
秋野太作(あきの たいさく)

1943年東京都生まれ。俳優。著書『私が愛した渥美清』光文社 1,600円+税、他。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.