佐々涼子
昨年、海外で亡くなった人の遺体を運ぶ仕事を追った『エンジェルフライト-国際霊柩送還士』で、開高健ノンフィクション賞をいただいた。例年この賞では海外を舞台とした冒険譚や紀行文などが受賞しており、国内で取材をした私の作品が受賞できるとは正直なところ思っていなかった。
私にはほとんど海外への渡航経験がない。大学卒業と同時に結婚し、ふたりの子どもを育てるのに手いっぱい。お金もないし海外旅行など望むべくもない。せめて気分だけでも味わいたいと20代の後半で就いた仕事が外国人相手の日本語学校の教師だ。その職場で私はひとつの疑問を抱く。「日本で亡くなった外国人はどうやって弔われるのだろう?」。当時アジア一の経済力を誇っていた日本で、外国人の生徒たちは昼夜なく働いていた。過労死が頭をよぎることが少なくなかったのだ。しかしその頃はまだインターネットも普及しておらず、情報はまったく得られなかった。疑問は解消されないまま時は経った。
30代後半で私に転機が訪れる。少しでも仕事にならないかと通っていたライターズスクールを卒業して、フリーランスのライターに転身したのだ。最初はお取り寄せお菓子の紹介文を書いた。その後も頼まれれば何でも書いた。鉄道の軌道とメカニズム、写真家のインタビュー記事、時代小説の主人公が歩いた江戸の町案内……。そんな日々の中で書き始めたのがノンフィクションの長編記事だ。このテーマだけは私が自由に決めて書く。だが、子どもはいよいよ育ちざかりでとにかくお金がない。海外をさっそうと渡り歩く作家を羨ましがりながら、私はせいぜい片道700円程度で取材先を探すしかない。たとえば横浜にある自宅から新宿までなら予算の範囲内だが、八王子あたりになるともう予算オーバーだ。
しかしだからこそ、すぐ近くにも知らない世界があるのを思い知らされる。ノンフィクション第1作目となる『駆け込み寺の玄さん』を書きあげたあと、私は10年以上疑問に思っていた国際霊柩の現状を知るために、専門業者のある羽田空港へ赴いた。そこで私は今まで誰も報じたことのない現実を目の当たりにする。遺体を生前の穏やかな顔にして遺族のもとへ返す専門業者の献身と、遺族の悲しみに触れたのだ。
現代はインターネットを駆使すれば情報は何でも手に入ると錯覚しがちだ。だから知らない場所を求めて遥か彼方に目を向けてしまう。しかし京浜急行で行ける場所にも未知の世界は広がっている。
もしも若い時、自由に海外へ行けたなら日本語教師にはなっていなかっただろう。そしておそらく片道700円の範囲にある「世界」には気づかないままだった。『エンジェルフライト』の出発点は海外に行きたいが行けないという境遇にあった。そしてこの本に綴ったのは国外で亡くなった人の遺体を待ちわびる家族の想いだ。異国は遠く国境は越えがたい。今思えば、私からこの本が生まれたのは自然なことだったのかもしれない。
(ノンフィクションライター)