Web版 有鄰

528平成25年9月3日発行

有鄰らいぶらりい

正義をふりかざす君へ』 真保裕一:著/徳間書店/1,600円+税

長野県の架空の町、棚尾市を舞台にした長篇ミステリーである。地元紙の記者をしていた不破勝彦は、有力者の娘、神永美里との結婚を機にホテル業に転身したが、ある事件により美里と離婚し、故郷を捨てて逃げだした。その後、神奈川県に七つの施設をもつスポーツジムの社長になった不破は、7年ぶりに棚尾市に帰郷する。2か月先に迫った市長選挙に立候補を表明している男との不倫の証拠写真を何者かに撮られたと、元妻の美里が助けを求めてきたからだ。調査を開始した不破を待っていたのは、故郷の人々の悪意だった――。

7年ぶりに訪ねた町は、劇的に変わっていた。地元テレビの元キャスターで、巧みな話術で人心を引きつけて当選した現市長のもとで治安が乱れ、不破にとってはもう故郷ではなかった。もろもろの事実が、町の人々によって改ざんされている。〈人の記憶とはいい加減なものだ。都合よく巧みなすり替えが行われていた。そう信じることで、何より自分が救われる。良心の痛みを忘れられる〉。不倫写真の出どころを追い、帰郷を機に、7年前の事件に改めて迫る不破は、何者かにつけ狙われ、窮地に陥る。

ミステリー界の雄が、「正義」の意味を問う秀作。著者の職人技と、人間のやるせなさに唸る1冊である。

書くことについて
スティーヴン・キング:著 田村義進:訳/小学館/800円+税

1947年に米メイン州ポートランドで生まれた著者は、教師を経て、1974年に発表した長篇『キャリー』で大ブレークした。以降『シャイニング』『IT』『ミザリー』などのベストセラーを生んでモダン・ホラーの巨匠と呼ばれ、『スタンド・バイ・ミー』のようなノスタルジックな名作でも知られる。その著者が、〈いかにして「書くことについて」の技と術に通じるようになったか、いま何を知っているのか、どうやって知ったのか〉(「前書きその一」より)を綴った自伝的文章読本が、本書である。

母子家庭で育ち、見よう見まねで物語を書き始めた幼少期のこと、代表作の創作秘話、文章と描写、アイデアの源泉、読書の喜び、なぜ書くのかについて、小説作品と同様に、スリリングかつパワフルに綴る。1999年に交通事故に遭い九死に一生を得た著者は、「後書き生きることについて」で、〈ものを書くのは(略)立ちあがり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ〉と記す。

たとえ作家にならなくても、ものを書き、本を読む行為が、人生をどれほど豊かにするか。日々を生きる人を励ます巨匠の言葉だ。2001年に邦訳された『小説作法』の新訳版。著者がゼロ年代に読んだ本の、“ベスト80冊”を巻末に収録している。

働かないの れんげ荘物語』 群ようこ/角川春樹事務所/1,400円+税

「月10万円」なら一生暮らせるだけの貯金をして45歳で広告代理店を退社、初めての一人暮らしに踏み切ったキョウコ。家賃3万円のアパートでの1年を描き、好評を博した『れんげ荘』(2009年刊)に続く、シリーズ2作目の長篇小説だ。

時がすぎ、48歳になったキョウコは、まだれんげ荘に住んでいる。”地震が来たら潰れそう”と危ぶんだ古アパートと、月10万円の綱渡り生活はなんとか持続。れんげ荘の住人は、キョウコと60代のクマガイさん、職業が「旅人」で留守がちなコナツさんの3人だ。そして、新住人がやってくる。家財をのせたリヤカーを引いて。

2作目に入り、キョウコの貯金生活はだいぶ板についてきた。刺繍に挑戦してへとへとになったり、階段の途中に板が打ちつけられて”開かずの間”になっていた2階を探検したり、読書をしたり。キョウコの毎日が、柔らかな筆致で描かれる。働かない彼女の生活から、世間体とは別の価値が浮かびあがる。

著者が昨年発表した長篇小説『パンとスープとネコ日和』は、小林聡美主演で今年ドラマ化された。著者が描き続ける、血縁や姻戚関係によらず、単身で生きる人々の姿は魅力的だ。街や、周囲の人との、やさしく打ち解けた生き方が本書でも読める。

暗殺者たち』 黒川創:著/新潮社/1,600円+税

2010年春、韓国・光州市で開かれたシンポジウムに参加した作家の「僕」は、会場に並んだ本のなかから、夏目漱石の随筆「韓満所感」を発見した。1909年11月5日付の『満州日日新聞』に掲載されたその随筆は、全集に収められず、1世紀のあいだ忘れられていた幻の寄稿で、1909年10月26日、公爵・伊藤博文が、韓国人義兵・安重根に暗殺された事件に触れていた。

翌年、ロシアの大学に招かれた「僕」は、「ドストエフスキーと大逆事件」を演題にしながら、幻の寄稿について話しだす。安重根とは何者なのか?伊藤博文は、なぜハルビンまで出向いたのか。そしてこの時代の社会運動家、幸徳秋水と管野須賀子らが処刑された大逆事件へと、作家の話は飛躍する。1909年6月から朝日新聞に連載した長篇小説『それから』のなかで、漱石は幸徳秋水の動静について記していた。

実は安重根に撃たれた伊藤博文も、幕末に国学者・塙次郎を手にかけたのち、68歳の高齢まで生きのびた暗殺者だった。早世した者、生きのびた者。本書は、漱石の幻の寄稿を手がかりに、20世紀初頭のテロルの世相と、イデオロギーをめぐる人間の姿を、独創的な手法で描きだした長篇小説。史実から紡ぎあげられた傑作だ。

(C・A)

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