Web版 有鄰

532平成26年5月10日発行

有鄰らいぶらりい

小さな異邦人』 連城三紀彦:著/文藝春秋/1,600円+税

柳沢家では、夕方5時過ぎに母親が帰宅した瞬間、子供たちの声がこだまのように響きわたる。物語の語り手である中3の長女・一代を筆頭に、子供が八人もいるのだ。一代の実母の死後、今のお母さんが男の子を連れて家にやって来て、6人の子供が生まれた。大手繊維会社に勤めていた父親はニューヨークで事故のため亡くなり、母さんは下町の借家に越し、昼はスーパー、夜はクラブで働いて、女手一つで子供たちを育てている。決して裕福ではないそんな家庭に、脅迫電話がかかってきた。『子供の命は俺が預かってる』『できるだけ早く3,000万用意してくれ』と言うが、家には子供8人が揃っている。影の薄い誰かが入れ替わった?(表題作)

昨年10月、65歳で逝去した著者は、1977年に探偵小説専門誌の新人賞でデビューし、仕掛けに満ちたミステリーと、人の心理を繊細に掬いとる恋愛小説の両ジャンルで活躍した。表題作は、「オール讀物」2009年6月号に発表された、生涯最後の短編小説。そのほか、男女の別離を描いた「指飾り」、ある殺人事件の時効成立直前、不審な女を刑事が追う「無人駅」など、2000年代に書かれた8編を収めた、著者最後の短編集である。抒情ゆたかな文章と興趣に唸り、著者の急逝が惜しまれる。

春、戻る』 瀬尾まいこ:著/集英社/1,200円+税

どう見ても年下の男の子が、「兄だ」と名乗ってやって来た。語り手の「私」、36歳の望月さくらより12歳年下で、24歳だという彼は、さくらの誕生日や苦手なもの、和菓子屋の息子、山田さんとの結婚を6月に控えているなどの個人情報を把握し、〈やっぱり妹には幸せになってほしいからね。兄として当然だろう?〉と言ってつきまとう。迷惑に思いながらも、男の子の〈ほどけるような顔〉を知っている気がしたさくらは、「おにいさん」と呼ぶようになり、彼のペースに巻き込まれていく。

さくらは8歳の時に父を亡くし、3つ下の妹は7年前に結婚して子供がいる。父の命日には母と妹と3人で墓参りをし、父親の好きだったうどん屋で夕飯をとる。家族のかたちは、少しずつ変わっていく。〈山田さんが家を継ぐ決心をした時に何かを思い切ったように、おにいさんが親や周りの期待から逃れて家を離れた時に何かを手放したように。私も何かをどこかで切り離すことになるのだ。新しく始まる日々にその価値があるのだろうか〉。

結婚を控えて心揺れるさくらの前に現われた、謎の青年の正体と目的は?ずいぶん年下の兄がやって来た冒頭でつかまれ、引き込まれて読むうちに胸が熱くなる。幸福を問う、傑作長編小説。

スペードの3』 朝井リョウ:著/講談社/1,500+税

私は磁石の力に逆らうことができない、砂鉄の一粒に過ぎないのだろうか?30歳手前の会社員、江崎美知代は、ミュージカル女優、香北つかさのファンクラブの幹部を務めている。大手化粧品会社「姫々」の社員だと周りには言っているが、実際は関連会社の社員で、最古参の幹部としてファンクラブを仕切る時にしか充実感に浸れない。ある日、小学校時代の同級生が、ファンクラブに入ってくる。細身で目立つ彼女の登場により、美知代の立場と内心が揺らぎ始める――。

昨年、23歳で直木賞を受賞した著者の最新作。著者が初めて社会人の世界を描いた長編だ。小学校の頃は学級委員や合唱の伴奏者を務める“目立つ子”だったのに、30歳手前で自分の殻から抜けだせなくなった美知代、30代後半で岐路に立つ香北つかさら、社会に投げこまれ、先行き不透明な人生の途上であがく人々の心象を、ミステリアスに抉りだす。

3章で構成され、大劇場前で「つかさ様」の出待ちをするさりげない場面から始まり、美知代を主人公にして物語が進むかと思いきや、物語が大いに変転していき、2章に入った頃には、小説の行方が読めなくなる。鋭く、怖い話だが、一方で力強く、温もりもある。著者の才気を堪能させられる1冊である。

コンプリケーション』 アイザック・アダムスン:著、清水由貴子:訳/早川書房/1,700円+税


『コンプリケーション』
早川書房:刊

アメリカ中西部の債権回収業者で働く青年、リー・ホロウェイは、弟ポールの死が事故死ではないと告げる手紙を、父の遺品の中から発見する。リーは、チェコ共和国の首都プラハに飛び、カフェ〈ブラック・ラビット〉で、父に手紙を出した女性、ヴェラと会う。そしてヴェラから、弟がプラハの洪水で溺死したのではなく、皇帝ルドルフ2世の時計「ルドルフ・コンプリケーション」を盗んで殺されたのだと教わる。

カフェからの帰路、不気味な少女にガイドブックを買わされたリーは、古都の迷宮に迷いこんでいく。カフェで見かけた男はなぜかリーの名を知っており、弟を殺害した人物はプラハにいると告げ、英語誌編集長のハンナに会えと言う。プラハではこの20年間、“神の右手”による殺人事件が連続していた。過去と現在が錯綜する迷宮から、リーは脱出できるのか?

『マクリーンの川』を連想させるアメリカの片田舎から、プラハへ。清水由貴子氏の優れた翻訳ですーっと読まされ、リーとともに迷宮を旅するうちに、“捻り”の効いた展開に驚かされる。原著は2012年4月にアメリカで刊行され、翌13年、アメリカ探偵作家クラブ主催のエドガー賞においてペーパーバック部門の候補になった、読み応えある長編ミステリーだ。

(C・A)

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