Web版 有鄰

534平成26年9月10日発行

箱に入れてとっておきたいような夜――須賀敦子さんへ – 1面

大竹昭子

物書きがことばを声にする時も

お元気でいらっしゃいますか。

須賀さんがそちらの世界に逝かれたのは1998年ですから、お会いしなくなってもう16年がたちます。その間、日常生活にいろいろな変化がありました。以前はよくお電話しあいましたけど、いまは電話はほとんど鳴らなくて、替わりにeメールを送りあいます。

これ、須賀さんならたぶん気に入られたはずです。

須賀 敦子 イタリア・ボルディゲラの海岸で
須賀 敦子
イタリア・ボルディゲラの海岸で

以前に金沢にご一緒したとき、夜、須賀さんがふとんに足を入れたままなにかに熱中しているので見ると、イタリア語のクロスワードパズルを解いていました。どうして今そんなことするんですかあ、と訊くと須賀さんはこう答えました。

昼間のあいだにバラバラになった自分を集めているの。

いまだったらそんな夜にひっそりと、今日はこういうことがありました、なんてだれかにメールを打ったりなさったんじゃないかなと夢想しています。それをすると、自分が元の鞘に収まったような安堵を覚えたのではないかと。

そのようなわけで、再会のときには真っ先に、eメールというものが出来たんです、と言ってしまいそうですが、実はそれよりもっと先にお伝えすべき重大なことがあります。

2011年3月11日、東日本で大規模な地震があり、東北の太平洋沿岸の町は巨大な壁のような津波に呑み込まれて多くの人が命を落としました。また津波の影響で福島の原発炉が壊れて、付近は放射能に汚染され、住人は退避しました(いまだにその地域は無人のままです)。

これまで体験したことのない悲しみと不安で手足が縛られたような状態になったとき、ともかく声をだしてこの呪縛を解かなければと思い、ことばを持ち寄りましょう、と詩人や作家の知人に呼びかけました。いまもつづいている朗読イベント「ことばのポトラック」のはじまりです。

もし須賀さんがいらしたら、出てください、と声をかけていたでしょう。いえ、それ以前に、アイデアを思いついたとき、まっさきに相談したはずです。こういうことをしようと思うが、どう思われますかと。

duomo
ミラノ、ドゥオモ屋上より  写真・大竹昭子
『須賀敦子のミラノ』(2001年、河出書房新社)より

須賀さんはミラノでカトリック左派の文芸活動に参加していましたよね。夫のペッピーノさんにも、その活動を通じて出会っています。いかに生きるかと、いかに書くかは、つねに同一線上の問いかけであり、日本に帰国してからもエマウスの家というカトリックの奉仕団体の中心となって働いていらっしゃいました。

いつかその話になったとき、須賀さんがこうつぶやいたのを憶えています。

どうしてあんなことしてたのか、自分でも不思議なの。

『ミラノ霧の風景』につづいて、『コルシア書店の仲間たち』がでて、物書きとして大きな注目を浴びはじめたころですから、これからは書くことだけで充分、ほかのことは要らない、とそう確信していらしたのでしょう。社会活動に熱中していた自分を、逃げていたのよ、と厳しく弾劾することもありました。

そうした体験を経てきた須賀さんは、作家が社会的な行動に走るのを簡単には受け入れない一面がありました。どこか懐疑的だったように感じます。行動することで何かを成しているように錯覚したり、作品が理念を表面的に移し替えただけのものになることを恐れていました。それは文学じゃないのよ、という言い方もよくされました。

「ことばのポトラック」を呼びかけたとき、おなじ葛藤に襲われたことを告白しておきます。それはいまも消えてはいません。物書きの仕事は書くことであり、それによって世と関わるべきであり、公の場に出て安易に孤独を解消してはいけない、書くことに持ちうるエネルギーが注がれるべきだ、という内なる声に責め立てられます。

でも、ああいうときは衝動的に行動してしまうものです。みんなが家に閉じこもって心身を萎縮させている光景が浮かび、それを振りほどいて、エネルギーの流れを潤滑にするのが先決だと思いました。人間の生き物としての力をとりもどさないことには、何もはじまらない、そんな気がしたのです。

生きた人々のことを人間の物語として綴る須賀文学

出会ったばかりのころ、須賀さんに年齢を訊かれて答えたら、若いわねえ!と驚かれました。40代に入ったころで、充分に歳をくっていると思っていたので、若いだなんてヘンなことを言うなあと、そのときは思いました。

けれども当時の須賀さんの年齢を超えたいま、そのお気持ちがよくわかります。与えられた時間に限りがあること、できると思っていたことがもうできないかもしれないということを、ひしひしと感じずにはいられません。

須賀さんのデビューは遅く、最初の著作をだされたのは60歳を過ぎてからでした。これほど完成度の高い作品を書く人が、どうしていままで書かずにいたのだろうと周りはいぶかりましたし、私もロングインタビューの機会を得たときに、そのことを訊かずにはいられませんでした。須賀さんはこう答えました。

だって書けなかったんですもの。

人生では、どうしてあのとき、こうしなかったのか、と自問することがよくあります。たいがいが、気づいていなかったゆえに出来ないのです。意識していなければ、はじめるのは不可能ですから。

でも須賀さんの場合はそれとはちがいます。ずっと書こうとしていたし、実際、自分なりに書いてもいた。けれども、世に問うものをまとめあげるには到らなかった。「書けなかった」というのはそういうことです。そして60に近づいたとき、書けそうだと感じ、実際、書きはじめたのです。

いま、須賀さんの著作を読み返して気づくのは、登場するほとんどの人が須賀さんよりも年長だということです。ということは、それらの人々の晩年の訪れも、人生の完結も、ご自身のそれよりも早くやって来たということにほかなりません。

死が身近な年齢になったときに、自分の先を生きた人々のことを、人間たちの物語として綴ろうとしたのが須賀敦子の文学の旅立ちだったと、改めて思うのです。

作品には出会ったばかりの人は登場せず、現在進行中のことも描かれず、どの文章にも長い時間が流れています。40代では時間の経過はまだ充分には意識されないでしょう。肉体に老いが訪れ、社会が別の世代によって動かされているのが実感される50も半ばを過ぎたとき、時間というものが重さをもってきます。その時期になって人間存在を描くということが切実なテーマとして浮上し、また書けるという確信が生まれたのではないでしょうか。

ロングインタビューは須賀さんの勤めていた大学でおこなわれました。終わると日はとっぷりと暮れ、外には夏のはじまりを予感させるやわらかな風がそよいでいました。須賀さんはふと風の姿を探すような顔をして言いました。

箱に入れてとっておきたいような夜ね。

毎年、その季節が巡るたびに、箱を開いてあの夜のにおいを感じています。

大竹さん・写真
大竹昭子 (おおたけ あきこ)

1950年東京生まれ。作家。
著書『須賀敦子のミラノ』河出書房新社 1,800円+税、編著『ことばのポトラック』春風社 1,800円+税、他。

神奈川近代文学館「須賀敦子の世界展」

神奈川近代文学館では、2014年10月4日から11月24日まで、「須賀敦子の世界展」を開催します。須賀敦子は、1990年、61歳のときに『ミラノ霧の風景』を刊行し、一躍注目を集めました。その後も『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』など、次々と珠玉のエッセイを発表します。
生前刊行したエッセイ集はわずかに5冊ですが、29歳から13年を過ごしたイタリアの風土やそこで出会った人びとを生き生きと描き、あるいは少女時代や、家族、読書などにまつわる記憶を織り重ねるようにして構築された世界は、その洗練された文章とともに多くの読者を魅了し続けています。

没後まもなく、『遠い朝の本たち』(筑摩書房、1998年)が刊行されました。
生前には間に合わなかったものの、単行本化にむけて加筆訂正していたことを示す校正刷りが残る〈6冊目のエッセイ集〉です。須賀は無類の読書家として知られ、古今東西の書物に関する書評を晩年まで手がけていました。
本作には、物心ついたころから学生時代に至るなかで出会い、影響を受けた何冊かの本を手がかりに、遠い日の大切な思い出が綴られ、読者は、その〈本たち〉に会ってみたい、読んでみたいという思いをかき立てられます。

須賀文学の最大の魅力は、テーマもさることながら、洗練された文章にあります。
それは、小学校から英語を学び、フランス語、イタリア語、ラテン語と多くの言語を習得して、日本語との間を自由に行き来することができた類いまれな言語感覚と、長年の読書によって培われた豊富な語彙に支えられているといえるでしょう。

展覧会では、エッセイの背景となった起伏に富んだ人生とともに、須賀と「本」との関係についても紹介します。
本が大好きだった少女が念願の作家となり、亡くなってなお我々を魅了する作品を残した、その軌跡を、再確認いただく機会となれば幸いです。

(神奈川近代文学館展示課・斎藤泰子)

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.