沢村 凜氏
就職浪人中の青年が出会ったのは、猫のために奔走し、他人の犯罪にまで首を突っ込んでしまう女性――。地方都市を舞台に、語り手の古賀知章と、彼を振り回す四元真季とが遭遇する事件を描く、連作ミステリーである。
「エンターテインメント小説を書く者は“職人”だと私は思っていて、注文に応じて、自分なりに最善のものを作るスタンスで仕事をしています。今回は、『悪漢小説(ピカレスク)を』という注文が端緒でした。私なりのピカレスクに取り組んだ結果、この連作になりました」
就職が決まらないまま大学を卒業した古賀知章は、父親にアルバイトを禁止され、スポーツクラブに通い、将来への鬱々とした不安を紛らわせていた。ある日、スポーツクラブの常連が集う「おしゃべり会」で猫の叫び声の話題が出、調査を依頼された知章は、夜の張り込み先で30歳ぐらいの女性、四元真季と出会う。やはりスポーツクラブで見かける彼女と知り合ったがために、数々の事件に巻き込まれることになる――。
「最初に生まれた人物は四元真季で、主人公と猫のイメージがセットで浮かびました。彼女に振り回される、巻き込まれ型の人物として知章が浮かび、常識をわきまえた知章の視点で書くことにしました。今回の主人公像には、私自身の願望が入っていると思います。私も猫好きなのですが、数年おきに引っ越すので、猫を飼うことができません。引っ越しを繰り返す生活は、町の違いを知る面白さもありますが、なじめずに孤独な思いをする人も少なくないと思います。四元真季の心情が、どのように変わっていくかは未知数でした」
6編が収められ、虐待や誘拐などの猫の危機を救おうと行動するうちに、思わぬ真相が浮かびあがる。グレーゾーンの中の白黒をさばく微妙な一線の引き方は、沢村さんの小説の読みどころだ。善悪の揺らぎが作中に落とし込まれ、読者の共感を呼ぶ。
「特殊な大事件にも関心がありますが、犯人の動機が腑に落ちないと書きづらい。登場人物は全て私の分身なので、このシチュエーションなら誰にも起こりうるなと、私自身が納得できないと筆が進まないところがあります」
“四元さん”という試練にも遭う、知章の就職はどうなるのか。しかし、自分にとって大事なものを守ろうと、がむしゃらになる四元さんの姿は、なぜか小気味よい。
「ピカレスクと言われて思い浮かべたのは、鼠小僧やアニメのルパン三世のイメージでした。震災や土砂災害の被災地での窃盗事件に心を痛めている人がいて、泥棒に対してさえ、何がしかの倫理観を求める気持ちが人間にはあるようです。鼠小僧を求める人の気持ちと共振するのが、悪漢小説。よいことをしようと思っていず、自分の欲望に忠実に行動しながら、結果的に義賊になるような人物って魅力的だと思います」
1963年、広島県生まれ。鳥取大学農学部卒業。1998年、『ヤンのいた島』で第10回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主著に『あやまち』『夜明けの空を掘れ』『脇役スタンド・バイ・ミー』など。『ディーセント・ワーク・ガーディアン』は、労働基準監督官の奮闘を描いて大好評を博した。12月に文庫化される予定だ。
「物心がついたときから本を読むのが好きでした。ミステリー好きの母の蔵書を片端から読み、自立心が芽生えて自分で本を買うようになると、SFをよく読みました。学生時代に飼った猫には、ハインラインのSF長編『夏への扉』に因んでピートと名づけました。タウン誌の編集者をした後、文章を書くことならできるかもしれないと小説に挑戦してみました」
ファンタジー、ミステリーと作風が広い。
「面白かった、読んでよかった、と読者が思ってくださればいいと、ただそれだけで、そのときどきの注文に応じ、ベストを尽くして書いています。ただし、私自身が気持ちを込めなければ、読者の心を動かせる小説にはならないと思っていますし、社会と地続きの何かがあるほうが面白いので、社会的な事象を取り込んだりしています。大きな謎があって、謎が解けたときに物事がくるりとひっくり返り、そこにカタルシスがあるもの。ただ単に謎が解けるだけでなく、筋の通った人間模様の理屈とカタルシスがあるミステリーを書けたらいいなあと。そう思いながら書いています」
(青木千恵)