Web版 有鄰

536平成27年1月1日発行

日本人はなぜ芥川賞を読むか – 1面

富岡幸一郎

日本文学史の転換期で制定された芥川賞・直木賞

菊池寛が芥川賞・直木賞を制定したのは、1935年、昭和10年のことである。

この昭和10年という時期は、近代日本の文学史の上でも大きな転換期であった。それは、明治以降の小説がひとつのピークをむかえつつあり、同時に新しい文芸の潮流が渦巻きはじめていたからである。

新感覚派としてモダニズムの先頭を走っていた川端康成は、古典的な日本の美しさを『雪国』で描き、プロレタリア文学の中心作家中野重治は『村の家』という代表作を著わし、明治の自然主義文学の流れのなかにあった島崎藤村は、幕末維新を雄渾な文体で描いた長編『夜明け前』を発表した。明治以降の近代文学から、新たな現代文学への展開といってもいい。

芥川龍之介(中央)と菊池寛(右)
芥川龍之介(中央)と菊池寛(右)
写真提供 文藝春秋

そのようなとき、芥川龍之介の名を冠した文学賞を、盟友でもあった菊池寛が考案したのは、昭和二年に自殺した畏友を偲ぶというよりは、芥川という作家が実現した日本語の達成から、新世代の文学が生れてくるのを期待する、という大望があったからであろう。

芥川龍之介こそ、漱石や鷗外や二葉亭四迷らが模索し形成した近代口語散文を、最も見事なフォルムで創造しえた作家だからである。その文体は、真の意味でのモダンを日本文学に吹き込んだのだった。

1979年にデビューしたポストモダン時代の旗手、村上春樹は、英語版(ペンギンブックス)の芥川の作品集( Rashomon and Seventeen Other Stories )にわざわざ「序文」を寄せて、こう記している。

《まず何よりも流れがいい。文章が淀むことなく、するすると生き物のように流れていく。言葉の選び方が直感的に自然で、しかも美しい》

芥川のこの「生き物」のような日本語は、時を経て、村上春樹のポップな文体へまで流れ続けているのだ。

昭和10年の芥川賞・直木賞から、平成の今日まで、この受賞作が日本人に多く読まれ、ふだんは小説をあまり読まない人々も、芥川賞受賞作は目を通すといった”社会現象”となったのも、芥川龍之介という近代作家の比類なき「文体」の力が、その背景となってきたからだと思われる。

芥川を憧れ芥川賞を熱望した太宰治

第1回の芥川賞の候補となった作家は次の通りである。

石川達三、高見順、太宰治、外村繁、衣巻省三。太宰治は芥川賞をもらうことを熱望した。太宰は、誰よりも芥川龍之介に憧れていたからである。結果的には落選。第3回の候補にもなるが、これも落選する。選考委員の川端康成に宛てた受賞を懇望する手紙は有名である。しかし、以後太宰は時代の寵児として文壇で活躍する。

戦後の芥川賞で特筆すべきは、昭和30年下半期・第34回の石原慎太郎『太陽の季節』であろう。一橋大学の大学生であった石原のこの小説は、戦争と敗戦そして焼け野原と貧困の日本から、新たな高度経済成長へと移行する転換期を象徴していた。選考委員はこの新世代の青春文学に、ある倫理的とまどい(性的な描写など)を覚えつつも、ここに戦後の若者を魅了する明るさがあることを認めざるをえなかった。「太陽族」という流行語が誕生し、湘南を舞台にした自由で奔放な、解放的人間像が打ち出されたのである。映画『太陽の季節』では弟の石原裕次郎がデビューし、芥川賞作品は社会的話題をふりまいたのである。開高健、大江健三郎らもこれに続き芥川賞を受賞し、昭和20年代後半の安部公房、吉行淳之介、安岡章太郎、小島信夫らの受賞作家たちも加えて、戦後の日本文学は文字通り芥川賞作家たちによって、その斬新で多様な彩りをもつ文学の時代を形成した。まさに時代が芥川賞を社会的話題として押しあげていったのである。ジャーナリズムと出版文化が経済成長のなかで肥大化していくなかで、文学は政治や社会とも深く連動していく。

さらに昭和51年(1976年)、第75回の村上龍『限りなく透明に近いブルー』は、米軍基地を背景に麻薬やセックスに明け暮れる青春を赤裸々に描いて大きな話題となった。文学的な力からいえば、第70回の森敦の『月山』、74回、中上健次の『岬』などが注目に値するが、劇画ふうともいえる視覚的な文体によって、村上作品はこれまでの純文学のイメージにおさまりきらない自在さと、時代の空気を濃密に伝えたものであった。村上龍のデビュー後まもなく、『群像』新人文学賞当選作として注目された『風の歌を聴け』の村上春樹と共に、このWムラカミは、その後の現代文学の状況をトップランナーとしてつくり変えていった。

2000年代以降女性作家のアクチュアリティ

平成15年(2003年)の下半期の芥川賞は、金原ひとみ『蛇にピアス』と、綿矢りさ『蹴りたい背中』に決まった。それぞれ20歳と19歳の女性ということで選考結果が出る前から話題となった。芥川賞史上の最年少記録となるか、本が売れないといわれてきた出版業界の光明となるか、などと騒がれた。話題が先行したきらいはあったが、実際にふたりの作品を読むと、1980年代はじめに生れた世代の感性が実にヴィヴィッドに描かれており、『太陽の季節』や『限りなく透明に近いブルー』以来の、新しい小説世代の登場を強く印象づけた。

前回の授賞式(2014年8月)。受賞者は柴崎友香
前回の授賞式(2014年8月)。受賞者は柴崎友香。
写真提供 文藝春秋

女性作家の活躍は、実は1980年代からずっと続いてきた。男の作家がほとんどの戦後文学者たちの代表作は、1970年代前半にライフワークがほぼ出揃い完結し、それにかわって女性の書き手が、これまでの既成の価値観を鋭く問い直す作品を次々に発表したのである。金原ひとみや綿矢りさは、80年代からのこの女性作家の潮流とはまた違う、90年代に入ってからの日本社会の変容と崩壊を自らの体内に内包している。一見何不足ない豊かさに充ちているかのようだが、若い人々はその豊かさの虚妄さに気づき、孤独、疎外、イジメ、暴力などが広がっているのを体験する。

石原慎太郎が、「怒れる若者たち」として、社会の価値や制度への挑戦をなしたというなら、金原や綿矢ら若い女性作家の登場は、高度成長以降のバブル崩壊からの現実のなかで、砕け散った生の感情や家族の価値を、もう一度、言葉の世界において拾い集め、再生しようとしているように思われる。

金原ひとみの『蛇にピアス』が、スプリットタンという身体改造や刺青という、一見風俗的で刺激的な素材をつかいながら、19歳の女主人公が恋人の若者の突然死の後に、その男と深くつながろうとする一種の絶対愛を求めるところに、それは確認することができるだろう。

新鋭作家を受賞者としてきた意味

芥川賞は、このように時代の変遷のなかで、つねに新しい文学の出現をうながしてきた。

直木賞がどちらかといえばベテラン作家の、大衆小説や時代小説のジャンルの作品を対象とするのにたいし、芥川賞はあくまでも新人賞であり純文学といわれる領域の作家を受賞対象としてきた。もちろんこれまでも、戦後派作家の梅崎春生や、女性作家として個人の自由や社会の差別意識などを描いてきた山田詠美などが直木賞を受賞していることもあり、芥川・直木の賞の区分を厳密に引くことはできない。

しかし、芥川賞があくまでも新鋭作家を受賞者としてきたことの歴史的意味は深い。菊池寛は賞の設立のときに、「芥川賞はある意味では、芥川の遺風をどことなくほのめかすような、少くとも純芸術風な作品に与えられるのが当然である」といっている。「純芸術風」の小説は、かくして戦前戦後をつらぬき、そして戦後70年の歳月のなかで、新たな時代の装によって生み出され続けている。

富岡幸一郎氏
富岡幸一郎 (とみおか こういちろう)

1957年東京生まれ。文芸評論家、鎌倉文学館館長、関東学院大学教授。
著書『川端康成魔界の文学』岩波書店 2,200円+税、『最後の思想』アーツアンドクラフツ 2,200円+税、ほか多数。

《芥川龍之介賞》

故芥川龍之介の文業を記念し、日本文学に新風を送る作品を著した有為の新人を選出し、記念品及び賞金を贈る。そして、直木三十五賞と共にその贈呈式及び披露を行う。

対象は雑誌に発表された純文学作品(原則として原稿枚数200枚以下の短編)。12月1日~5月31日を上半期、6月1日~11月30日を下半期とする。日本文学振興会による予備選考を経て、1月及び7月に選考委貞会を開き、その結果は、『文藝春秋』9月号及び翌3月号に場を借りて発表される。正賞は時計、副賞は100万円。現在の選考委員は、小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、高樹のぶ子、堀江敏幸、宮本輝、村上龍、山田詠美の各氏。

第151回(平成26年度上半期)は平成26年7月に発表済み。第152回(平成26年度下半期)が1月中旬に発表予定である。

(日本文学振興会ホームページより・一部編集部加筆)

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