Web版 有鄰

538平成27年5月10日発行

夢が叶いませんように
――映画化『海街diary』に寄せて – 1面

大道珠貴

山のなかの古い一軒家で自然と暮らしている

鎌倉のこととなると、書けば書くほど、書きたいことがあとからあとから湧水のようにあふれてくる。といっても、この地をよくは知らない。友達もできていないし、常連として通うお店もなく、それほど気張ってお寺巡りをしたこともない。暮らして6年だが、わたしはここに根づいていないのだ。ただ単に、ふわふわ生きているだけ。いつだって、よそ者の感覚。

世の中のあらゆるものごとを、もうあんまし見すぎない、知りすぎない、語りすぎない――そういう暮らしがしたくって、築年数未詳という(戦争で証明書など焼けてしまったらしい)、山のなかの古い一軒家にやって来た。草ぼうぼう、倒れた木で戸は塞がり、床は抜け、屋根の瓦はずれ落ち、けれどもむかしの家は土台がしっかりしているから、ちょこちょこ直せばなんとかもちこたえてくれるだろう。わたし自身もこれとほぼ同じくらいの「でき」なので、寿命はきっとおんなじくらい。あとはこの家を伴侶として、いっしょに朽ちてゆけばいいんである。実に合理的だなあ。

と、最初は意気ごんでいるから神経も図太く、前向きにあかるくいけた。壁を塗り替え、貝殻を埋めこみ、つばめやイカや魚を落書きし、座敷やら縁側やらで昼寝をした。壁に這う巨大なムカデの夫婦やすさまじい数のアリの行列に驚き、さえずる鳥たちの口真似をしてそうっと仲間に入れてもらい、好きな本の好きな場面をめくって、うっとり熟読、嗚呼、わたしもなにか壮大なもの、生きていればかならず出くわす、震えるような感覚の、そんな物語を書くぞ!と夢みた。梅雨入りごろには大量の梅酒を漬け、冬じたくに保存食の野菜を干し、あいまあいまの季節は草木を植え、果物とかの食べたあとに出る種を、どんどん埋めた(芽が出たら小踊りする)。台風、地震、豪雨もやって来て、「この世の終わりなんて、案外こんなものなのかもねえ」と、ふだん通りの暮らし、はずれた簾やひび割れたガラスなんぞはあとまわしにしてまずお風呂とごはんを済ませてから、ひとりでガタついた家を修繕した。自然災害というものはやっと最近、現代の日本人を賑わわせ、おそろしいものだという認識が広がっているようだけれど、憎しみをぶつけるものではないとわたしは思う。自然は自然としてただ自然にしているだけで、人間が勝手に地球の片隅で住まわせてもらっているんだもの、なにがあろうがこれまた自然のなりゆき、文句はつけられませんわ、耐えて、あきらめて、慣れて、備えていくしかないでしょう。

時間と空間をだれからも侵されたくない。わたしはいま、あえて孤立しているが、そうすると「気が合いそう」とシンパシーを勝手に感じてつきまとうひとが出没し、困っちゃっております。逃げに逃げまくるしか対処法はいまのところないと、ノイローゼ気味だが、気づいた。いいことを。夢って、もうひとつのリアルな世界だ、と。いや、かなり現実じみていて、案外わたしには、そっちの世界で生きるほうが向いているのではないかしら。

もっといっぱい夢を見よう、ぐうすか呆れるほど眠ろう。思うだけでなく、眠りを工夫した。耳栓をし、ムスクか植物系の香りを軽く寝床に撒く。身体はふとんにくるまってリラックスしているが、意識はうつらうつらしていたい。まぶたのうらに、現実よりリアルに、夢みたい。だから眠りというにはあまりにはっきりしすぎ、現実じみている。あこがれの光景を、わざと見ようとしてみるのだ。意識が遠のく寸前まで、じいっと我慢強く、想像していると、不意に、まぶしいまでの光景に出逢える瞬間が訪れて、もう現実に戻りたくないほど。

わたしのなかで一等賞の夢がある。

藍色の早朝、釣り道具をしょって、家の玄関を開ける。まだ車もそう動き出していないからいまのうちだ。きいんと冷えた空気のなか、長あい長あい坂を、ブレーキを踏まずにすううっと、自転車でいっきにくだるのだ。実際は、曲がりくねった道だが、夢のなかではまっすぐで広々とした道となっている。それをすううっとくだった先に、由比ヶ浜の海がある。幼いころ、父にくっついて、夜釣りに行ったのが、相当うれしかったのだろう(ふるさとの海は、由比ヶ浜とは全くちがって、砂は白くさらりとし、カニ穴がぽこぽこ空いていた。荒波だったし、夏は夜光虫というのがまるで星が砕けて落っこちてきたみたいにきらきらしていた。サザエもアサリも採れた)、夜明けのひとのいない海はどこのだって素晴らしいものだ。

是枝裕和監督映画『海街diary』より。

是枝裕和監督映画『海街diary』より。6月13日(土)全国東宝系公開

原作コミック『海街diary⑥』の「逃げ水」の章で、こんな文にぶつかった。「夢や理想はモチベーションになるけど/終点じゃないなって/第一たどりついちゃったら/それで終わりでしょ?/なんかつまんなくないですか?」

まさに導かれたように、出逢った。おなかにドスンとくる言葉だった。わたしもつねづねそう思ってきた。だから創造と想像、夢と現実、そういうもののあいまあいまを、たゆたう方法を、見つけよう。将来なりたい夢と、眠りで見る夢、このどちらも実はおしりとおしりがくっついていて、区別なんてないんじゃないか。合体させたら、生きているという事実が多少なりとも辛くなくなるんじゃないか。もっと言えば、生きることがましになるんじゃないか。

――夢が叶わないように、わたしは今夜も故意に夢をみる。明晰夢というのでしょう、現実よりも景色は美しく、壮大で、走っても走っても脚がすすまないし、いきなり高波にさらわれたり、高層ビルから落っこちたりする。ピューマに食われたこともある。ぜんぜん痛くなかった。夢のなかのわたしはいつだって不死身だ。はっきり目覚めて、ああ現実はこんなに平穏だ、ありがとう、と、すこし物足りないながらも、思う。こうやって、死と生のつじつまを合わせているんだろう。死を受け入れるように訓練しているんだろう。

おおらかなものになんなく溶けこんでしまう街

「下界にようこそ」

たまに、鎌倉の商店街に用事で行くと、そう言われる。

家のあかりには凝りたくて、アジアとヨーロッパを巡って仕入れてくる素敵な店を見つけたので、そこに頼み、するとそこのオーナーから、庭全般のことならあそこがいいよと、おしつけではなく、さりげなく、またまた素敵な店を紹介してもらえた。

べたべたに親切ではなく、賢いさばきかたで、客相手をしてくれるのが、鎌倉らしいと思う。

原作コミックス 吉田秋生『海街diary』
原作コミックス 吉田秋生『海街diary』
鎌倉を舞台に4姉妹が絆を紡いでいく物語
小学館 1~6巻 刊行中

だから女だけの姉妹でこの鎌倉に住むのは、納得だ。この『海街diary』の世界観が非常に心地よいのは、どういう人間関係もおおらかなものになんなく溶けこんでいるからだ。おおらかなもの、それはわたしたち人間の何十倍も長生きしている木だったり、櫓だったり、祠だったり、お寺だったりする。あんまし気に留められない地面だって、延々と生きてきたものだ。いまもちゃんと、ミミズやモグラが棲んでいますしね、うちの庭にも、こんにちはーと、いっぱい出ます。

『海街diary』は、どこか、『星の王子さま』に世界観が似ている。

「かんじんなことは、目に見えない」

これは有名な言葉ですね、でも、「めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ」こちらのほうが、わたしは、胸にぐっと刺さります。

責任っていうと重そうに感じるけれど、ひとと関われ、仲良くできる、ひとつのいいわけとして、立派に成り立つ。責任を介して、ひととひとはあれこれ約束をし、それをかたくなに守ろうとする。家という容れもののなかで、どこかに永遠を求めて。

あ、鎌倉のひとはメルヘンチックでもあります。星の王子さまを初め、白雪姫と七人の小人や不思議の国のアリス、パンダ、リス、こぶたなどなど、どこかしらにひょっこりオブジェやなんかがあり、それを発見するのも、また愉し。浴衣や着物で散策するのも、ジーンズに下駄ばきでも、また愉し。

まあ、生きてりゃいろいろあるさ。ひとを除け者にせず、見捨てず、遠くから見守ろうとするところが、鎌倉の太っ腹で知的な市民性かな、と、いまは思う。わたし以外のひとたちで、仲良くしてほしい。わたしは冷酷な女なので、やさしさとかアットホームだとか身体の具合が悪くなるほどだし、顔が怖いらしいし、(そう言えば、10代のころ、同じ吉田秋生さんの『吉祥天女』の主人公の女のひとに似てると言われていたなあ、目つきの鋭いところが)。ただし、痛みも人生の辛苦も死も、自分のもの。それがいいんである。考えようによっては、なんと豊かなことであろう、こんなにも寂しく、またこんなにもわけへだてなく、自然のなかで生かされ、すると、だれの命も助かってほしいと、わたしの鬼のようなこころにも、祈りの気持ちが湧いてくる。鎌倉に暮らして、悟ったのだ。偏見とか差別とか、人間ならかならずあるはず。良し悪しや常識非常識じゃやってらんないのがこの世、それでも、意地悪にならないですむ方法はいくらでもあるのもまた事実、と。

朝っぱらから酔って大きなひとりごとを叫びながら、近所を元気に徘徊しているご長老、「今日も生きるのをガンバロー、エイエイオーッ、大道さん、握手っ!」

……トンビがのんきに空を舞ってます。

大道珠貴さん大道珠貴 (だいどう たまき)

1966年福岡生まれ。作家。
著書『しょっぱいドライブ』文春文庫 400円+税、『きれいごと』文藝春秋 1,450円+税、ほか多数。

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