Web版 有鄰

538平成27年5月10日発行

季節と対話する感性 – 海辺の創造力

広田千悦子

季節は太陽や月の運行が生み出す宇宙の軌跡です。この大きな2つの天体により生まれる季節の移ろいも日本人にとってはあくまでもなじみ深く身近なもの。古くは万葉集などを紐解けば明らかなように、季節との対話を重ねてこころを潤し、日々の糧としてきたようなところがあります。

今もふだんの暮らしの中で、例えば土に触れ草花を愛でるうちに気がつくと頑なだった心がいつのまにか緩やかになったり、あるいは白々と明けていく夜明けを眺めているうちに疲れていた気持ちに息を吹き込まれるように元気をとりもどしたり、何気ない日々の心の内で自然とやりとりを重ねてきたのだと思います。

ただ最近はこのような習慣を持つ人も少なくなってきているようです。現代人は忙しく昔の人のようにゆとりがないからという見方も確かにできますが、単純にそういった「心の動かし方」を何か特別な行為と位置づけ、あたかもパソコンのフォルダにしまいこむかのように忘れてしまいつつある状態に近いのかもしれません。

私が日本の歳時記や文化をテーマに執筆するようになり10年近く経ちましたが、日本の文化や風習の由来をたどっていくと、季節の移ろいや自然現象に自らの内なる気持ちを無意識に重ね、目に見えないものとのやりとりになじんできたからゆえに生まれた発想があちこちに見えます。例えば「花見」は桜の開花を山や田の神がおりてきたしるしと考えて喜び、生きていくために大切な農作業のめどとしたことが由来のひとつ。「端午の節句」は季節の邪気を祓うための知恵として菖蒲や蓬の薬草や鹿の角を採ったことが由来など、季節の愉しみは人々の暮らしや感性と滑らかにつながっていました。

また自然からの恩恵や畏怖そして感謝の気持ちをあらわすために「節目」というリズムをつけて祝い、お祭りや行事などにしてきたものが今も日本全国に広がっています。そしてそれらは地域それぞれに特徴があり、同じではないということこそ大きな魅力です。四季の時期や環境の違いがあることを考えれば、人々の暮らしも当然多様ですから一律と考えるほうが逆に無理がありますし、「違い」を発展させる自由があったということにも注目したいと思います。

核家族化もさらに進んで一人暮らしも増え、さらに多様化する現代の暮らしではありますが、その一方で情報があっという間に手に入る時代になりました。地方の壁を超えてさまざまな風習を知ることができるということですから、ある意味さらに自由に心に響く風習を選んで楽しむこともできる時代となったと考えることもできると思います。多忙な時はなにかと心は囚われがちで孤独を感じるものですが、そんなときこそ自然とのやりとりが心や体を整えてくれます。季節の愉しみや行事は伝統が大事という前に、季節と対話する感性を忘れてしまわないために、ちょうどよい機会なのではないかと思います。

(ひろたちえこ・作家/歳時記研究家)

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