Web版 有鄰

540平成27年9月10日発行

『日本史のなかの横浜』を書き終えて – 1面

五味文彦

日本通史と地域史を連動させる新たな試み

横浜の歴史を書く直接のきっかけは、昨年6月に横浜市立荏田南中学で歴史の授業を行ったことにある。横浜市の歴史博物館に関係するようになったことから、依頼されて授業を行うことになったのである。

若い時、中学校で地理の授業を行った経験を思いおこしつつ授業に臨んだのだが、日ごろの講演とは違い久しぶりに緊張した。その時の生徒の溌剌で真剣な授業態度や反応に感心したことから、改めて私自身が横浜の歴史を考える必要性を痛感した。

そうしたところにたまたま横浜市ふるさと歴史財団で、大規模な連携展示に動き出していたので、それにあわせて横浜の歴史の本を出版しようと思い立った。しかし通史を1人で書くのはとても困難なことである。

日本史の研究が古代史や中世史・近世史など時代ごとに専門化・分断化されているため、なかなか専門分野以外に手を出せないからである。

それもあって地域の歴史を考えようとすると、どうしても時代ごとに叙述が分断されがちであった。そのことから手薄になっているのが日本史の流れと地域の歴史との相関関係である。政治史に重点を置くと地域の歴史が後退してしまい、地域の歴史に重点を置くと日本史との関連が希薄になってしまう。

地域史から日本史に迫り、日本史から地域史に迫るにはどうしたらよいのか、それを一人でいかにまとめてゆけばよいのか、悩みながらの野心的な試みとなった。だがそう思ったのはよいにしても、その頃の私は3つの本の企画が進んでいたので、少なくとも2つは先に片づけねばならなかった。

こうして昨年11月に1冊目を書き終えたところ、そこに有隣堂から本の依頼があった。昔から書く約束をしていたものの催促を受けたのである。そこで私は前に依頼されていた書目ではなく、横浜の歴史を書いたほうが最適であると決断し、編集者の了承を得て、正月から取り掛かることになった。

すぐにこの正月31日には横浜市歴史博物館の20周年記念講演の機会があったことから、新たな構想に基づく講演を行った。とはいえすぐには取り掛かることができなかった。2冊目の本の仕上げがあり、2月にその原稿を書きあげたので、やっと本格的に書き始めた。

当初は極めて順調であった。というのも2冊目に書き上げた本が『文学に歴史を読む』という古代史を扱っていたので、その成果が利用できたからである。ところが私が専門とする中世史の叙述になってからは、いかに書き進めればよいのか悩みながらの執筆となった。これまであまり扱うことのない室町時代以降の歴史について考えねばならなかったからである。

古代の国郡と現在の横浜市域
古代の国郡と現在の横浜市域
横浜市歴史博物館

その際に大いに参考になったのが大部の『横浜市史』(横浜市編)や図版の豊かな『横浜歴史と文化』(財団法人横浜市ふるさと歴史財団編)などの先行する書物であって、その成果を踏まえつつも、独自な視点から横浜の歴史の流れを通観していった。

西暦の67年・68年を画期とする100年ごとの変化に注目

100年ごとの変化を見る表

この独自の視点とは100年ごとの変化に注目することにある。100年は、人生でいえばほぼ3世代にわたり、物の見方や考え方はほぼ100年もたつと変化していることがこれまでの研究から見えてきていた。日本列島に即して見てゆくと、西暦の67年・68年あたりを画期とする100年ごとの変化がとくに顕著であれば、これにそって叙述を進めていった。当初の本の構成は上の表の通りである。

このような年表に沿った構成に基づいて横浜市域の歴史を日本史のなかに位置づけたのである。各時代にどのような動きがあり、どんな考えからその動きがもたらされたのか、さらにその時代の考え方が今へといかにつながっているのかを見た。

しかし近世の江戸時代へと書き進める段になって、もう紙数は尽きてしまった。そこに2冊の本の初校が同時に到来したからもう大変である。本書を出稿するとともに、2つの本の校正を手早くすませるなか、4冊目の本の原稿もさらに書き始めることになった。これには横浜の歴史を書いてきた経験が役立ったので、あまり手間はかけないで書き上げたが、そこに本書の校正が到来したのである。

土日は各地での講演や授業が詰まっており、校正を行うのが新幹線や飛行機などのなかになることは常のことであったから、ついに地下鉄に校正刷を置き忘れてしまい、編集者には迷惑をかけてしまったこともある。こうして本は出来上がった。

中世・近世を通じ 武家政権を支える役割を果たした横浜市域

本書で明らかにした横浜市域の特徴は次の通りである。横浜市域は武蔵国の南部、相模国の一部も含む武蔵と相模の境界地域に位置しており、このことがその後に大きな影響をあたえるようになった。

やがて関東の中央部に位置づけられるなか、武蔵と相模の武士の対立・抗争の場となって、その武士の成長にともない鎌倉に幕府が成立すると、横浜市域は鎌倉首都圏に位置づけられ、歴史の表舞台に登場することになった。ここに以後の方向性が定まった。

鎌倉時代末期の職人の成長とともに、町や村の人々の自治が育つなか、室町時代には「横浜村」の名も見えるようになり、戦国大名の小田原北条氏の大名領国下に包含されてゆく。北条氏は民政に力を注いで戦国国家を形成したが、その遺産を継承したのが徳川氏であって、徳川幕府を成立させ江戸に政権の所在地を置くと、横浜市域は江戸首都圏に位置付けられることとなった。

このように横浜市域は中世・近世を通じて武家政権を経済的・社会的に支える役割を果たしてきたのであり、その力なくして政権は維持できなかった。そして横浜開港とともに今度は東京の首都圏に位置付けられるようになるが、これはまさに横浜の歴史的な地域の力によるものである。東京が近代日本の首都となるのに横浜の経済力の果たした役割は大きい。

本書はこのような横浜の位置づけを知るとともに、身近にある文化財や史料を考えようとする時に大いに参考になるであろう。それが何時のものかわかれば、どのような性格のものなのかがわかってくる。さらに横浜市域に限ることなく、狭く区部や広く他地域の歴史を考える際にも手がかりをえることになるに違いない。一読されたい。なお横浜市ふるさと歴史財団では「3万年の横浜の歩み」についての展覧会を博物館・開港資料館など関連施設で開催しており、ご覧いただければと思う。

五味文彦さん
五味文彦 (ごみ ふみひこ)

1946年山梨県生まれ。
(公財)横浜市ふるさと歴史財団理事長、東京大学名誉教授、放送大学教授。
専攻は日本中世史。
著書『枕草子の歴史学』朝日選書 1,500円+税、共著『もういちど読む山川日本史』山川出版社 1,500円+税、ほか多数。

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