Web版 有鄰

540平成27年9月10日発行

本の世界への新たな案内人 – 2面

永江 朗

今年、最大級の話題作・又吉直樹『火花』

出版界で今年いちばんの話題は……なんて1年を振り返るのはまだ早いけれど、でも、又吉直樹さんと彼の小説『火花』が重大ニュースのトップになるのは間違いなし。文芸誌『文學界』に掲載されたときから話題になり、雑誌としては異例の重版となりました。こんなに掲載誌が売れてしまったら単行本を買う人がいなくなるんじゃないかと私なんかは心配したのですが、杞憂でしたね。単行本は発売されるやいなやベストセラーリストのトップに登場。つづいて三島賞にノミネートされ、惜しくも受賞こそ逃したものの選考委員から高い評価を受けました。そして芥川賞の受賞です。『火花』を読む人がますます広がっています。たぶん、発売直後に『火花』を買った人は、漫才コンビ・ピースの又吉さんを知っている人だと思います。でも、芥川賞受賞以降に買っている人のなかには、ピースも又吉さんもテレビで見たことがないという人がいると思います。

又吉直樹と『火花』
又吉直樹と『火花』
写真提供 文藝春秋

『火花』を一読してわかるのは、この小説が文学を読み慣れた人によるものだということ。作者は過去のたくさんの作品を熟読し、よく勉強しているということ。又吉さんが日ごろ公言している文学好きであることや、なかでも太宰治を繰り返し読んできたことなどは、けっしてネタではなかったと納得します。

絶大な影響力を持つ「読書芸人」のリアリティある言葉

又吉さんをはじめ、読書好きのお笑い芸人たちが注目を浴びています。ひと呼んで読書芸人。もとはテレビ番組『アメトーーク』の企画で、読書が好きで本について語るのが得意なお笑い芸人たちをくくる言葉でした。第1回目のときはピースの又吉さん、オアシズの光浦靖子さん、オードリーの若林正恭さんのほか、スピードワゴンの小沢一敬さん、烏龍パークの橋本武志さん、エリートヤンキーの橘実さん、笑い飯の哲夫さんが読書芸人として登場しました。第2回目では、又吉さん、光浦さん、若林さんが出演。番組サイトでそれぞれのオススメ本を確認すると、「光浦オススメの本」には三島由紀夫『不道徳教育講座』や町田康『パンク侍、斬られて候』などが、「若林オススメの本」には川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』や平野啓一郎『私とは何か―「個人」から「分人」へ』などが入っています。なかなか玄人好みのラインナップ。3人ともかなりの読書家だとわかります。

読書芸人たちの影響力は絶大です。彼らが推薦コメントを寄せた本が、書店にはたくさん並んでいます。書評家の私としては、いささか嫉妬を感じずにはいられません。お笑いもできる書評家を目指そうか、なんて思ったりして。番組の反響をみると、読書芸人たちが薦める本を「おもしろそうだから読んでみたい」という素直な感想が多いようです。本を推薦するのは意外と難しいことです。同じ本でも誰がどう薦めるかによって、印象がまったく違います。「あの人が薦めるならイヤだな」と思うことだってある。いまの時代、若手芸人たちはとても身近で、彼らの言葉が視聴者にストレートに響いてくるのだと思います。

芸人の素顔についての情報も増えました。彼らがいかに苦労し、日ごろから努力しているのかを知る人も増えました。まさに又吉さんの『火花』のような現実があることを、多くの視聴者は知っています。だからこそ読書芸人の言葉はリアリティをもって受け止められるのです。読書芸人は現代の若者にとって、アニキ、アネキ的な存在なのかもしれません。

考えてみると、「読書芸人」という言葉がはやる前から、読書が好きなお笑い芸人はいました。たとえば爆笑問題。彼らの所属事務所はタイタンといいます。これはアメリカの作家、カート・ヴォネガット・ジュニアの小説『タイタンの妖女』にちなんだもの。センスのよさを感じます。また、爆笑問題の太田光さんは、ジョン・アーヴィングの大ファンで、アーヴィングの自宅で対談もしています。

読書好きのさまざまな人たちがいざなう本の世界

それにしても、読書芸人という言葉を目にして、あるいは文学を熱く語る芸人たちの姿を見て、私はある種の感慨を覚えずにいられません。思い出すのは雑誌『ダ・ヴィンチ』創刊のころのことです。1994年に『ダ・ヴィンチ』が創刊されたとき、出版界からは総スカンを食わされました。いまでは信じられないことですが。本の情報や本の広告でお金を儲けようなんて許せない、というのが出版界の雰囲気でした。作家や著名人に取材を申し込んでも断られてばかりだった、と創刊編集長で現在は作家として活躍する長薗安浩さんに何度も聞いたことがあります。出版社経由で作家に取材を申し込んでも断られてしまうので、長薗さんは夜な夜な銀座の路上に立ち、文壇バーから出てくる作家を直接つかまえて、取材を申し込んだのだそうです。

書店に並んだ「読書芸人」おすすめの本
書店に並んだ「読書芸人」おすすめの本
有隣堂テラスモール湘南店

表紙に登場する人を探すのも大変でした。都内の書店で本木雅弘さんの写真集出版記念イベントがあると知った長薗さんは会場に出向き、本木さんに直接お願いして快諾を得たのだそうです。毎号、『ダ・ヴィンチ』の表紙では俳優やミュージシャンが愛読書を手にしていますが、この創刊号で本木さんが選んだのはアゴタ・クリストフの『悪童日記』でした。翻訳小説はどちらかというと地味なジャンルなのですが、反響は大きく、すぐ重版されました。

その後、10年間、本木さんは1年に一度、『ダ・ヴィンチ』の表紙に登場。私も何度かカバーストーリーのためのインタビューをしたことがあります。本木さんはほんとうに本が好きで、しかもその時どきのベストセラーや話題の本ではなく、ちょっと忘れられていたような本を持ってきました。あるとき、撮影の合間に、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』の話になりました。ちょうど本木さんは新しい家を普請中で、私も自宅の設計中でした。本木さんは、家を建てるならぜひ『陰翳礼賛』を読んでおくべきだ、と私にアドバイスしてくれました。もっとも本木さん自身、トラン・アン・ユン監督(『ノルウェイの森』などで知られるベトナム系フランス人の映画監督)から、「家を建てるならぜひ読んでおけ」と薦められた本だったのですが。

ところで、『ダ・ヴィンチ』の表紙に登場してくれる俳優やミュージシャンを探すのに苦労した、というのは、読書についてのイメージが当時はいまほどよくなかったからかもしれません。本が好きな人は暗くて友だちがいない、なんていわれたり。

その後、『ダ・ヴィンチ』は本好きのための雑誌としてすっかり定着しました。創刊時はあんなに冷たかった出版社も、積極的に自社の本を取り上げてほしいと言ってくるようになりました。編集部には、表紙に登場したいという俳優やミュージシャンからのオファーが山のようにあるとか。私も何度かカバーストーリーを担当しましたが、みなさん本をよく読んでいます。しかも、好きな本の話になると、それまでのカメラの前とは違った表情になり、好きな本との出会いや、感じたこと、思ったことなどを熱心に語ってくれます。

本に関わる仕事をしていると、ときどき、「どんな本を読んでいいのかわからない」「本屋さんにいくと、本がたくさんあって、どれがいいのか選べない」という相談を受けます。本に関心のある人、本を読みたいという人はたくさんいます。読書芸人や読書好きの俳優、ミュージシャンの言葉は、そんな人たちを本の世界にいざなってくれます。

永江 朗  (ながえ あきら)

1958年北海道生まれ。書評家・コラムニスト。
著書『「本が売れない」というけれど』ポプラ新書 780円+税、『誰がタブーをつくるのか?』河出書房新社 1,400円+税、ほか多数。

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