Web版 有鄰

541平成27年11月10日発行

珈琲と本
その広大なフィールド – 2面

岡崎琢磨

デビュー作執筆のきっかけとなったバリスタとの出会い

アイデアを練るために、散歩に出かける。途中で珈琲豆の販売店を見つけて、ふらりと立ち寄ることがある。産地や銘柄ごとに並んだ何種類もの豆の中から、何を買って帰ろうかと悩むのが楽しい。購入したのちは取り急ぎ自宅に帰り、珈琲を淹れて飲みたくなる。こうなるともう、アイデアのことなんかそっちのけだ。今年の春に地元福岡から東京に出てきたばかりなので、理想の珈琲豆と出会うべく、新しいお店を見かけては飛び込んでみる日々である。

僕が珈琲のおいしい喫茶店を舞台にした小説を書こうと思い立ったのは、まだデビュー前、文学新人賞に投稿を重ねていたころのことだった。探偵役の特徴づけとして何かふさわしい職業がないかと探していたところ、たまたま現職のバリスタさんとお話しする機会があり、題材としておもしろそうだ、と感じたのだ。

当時から珈琲はよく飲んでいたけれど、人並みに好きといった程度で、こだわりなどはなかった。日常的に飲んでいたのはインスタントコーヒーかせいぜいドリップバッグだったし、専門的な知識もまったくといっていいほど持ち合わせていなかった。そこから調べ始めて3ヶ月ほどで書き上げたので当然、付け焼き刃ということになる。応募した原稿に手応えはなかったが、幸いにも賞の最終選考まで残り、実際に珈琲への理解が薄弱であることなどを理由に落選したものの、デビューの機会を手にすることができた。バリスタさんとのささやかな出会いが、僕の人生を一変させたのである。

『珈琲店タレーランの事件簿』シリーズ
『珈琲店タレーランの事件簿』シリーズ
STORY STORYにて撮影

学生時代に住んだ街ということで、デビュー作の舞台は京都にしてあった。喫茶店の文化が住民に浸透した街であるという認識もあった。ただ学生のころの僕はというと、喫茶店で珈琲をたしなみつつ文庫本を読みふけるといった優雅な若者ではなく、むしろラーメン店めぐりに熱中していた。多いときでは月に10軒以上、異なるラーメン店に足を運んだ。京都の主だった喫茶店をめぐったのは小説家としてデビューしてからだ。学生時代のラーメンにかける情熱をほんの一部でも珈琲に向けていたら、その後の執筆では格段に血の通ったものを書けていただろうと思うにつけ、後悔の念を禁じえない――まぁ、ラーメン店めぐりもそれはそれで楽しかったからよいのだが。

「にわか仕込み」であればこそ分かる珈琲と本の親和性

デビューしてからは《珈琲通》と目されることが少なくなかったものの、人に誇れる知識や経験はまるでなく、冷や汗をかくことも少なくなかったのはここまで述べてきたとおりである。ただ、それでもデビュー作がシリーズ化され、珈琲について調べる機会が多くなるにつれ、自然とおいしい珈琲を飲みたいという欲求は高まった。いまでは都度豆を挽いて珈琲を淹れる手間を惜しまず、むしろ珈琲そのものに対する礼儀のように感じている。

同じようなことで、作家になった以上は読書通とみなされる機会も多い。たしかに読書が好きでなければ作家になろうとは考えなかっただろうし、現に中学生のころには夏目漱石を始めとする日本の文豪たちや、クリスティのミステリといった作品の数々に触れていたから、読書好きといってよかったと思う。けれども高校から大学にかけては読書とすっかり縁遠い生活を送ってしまったので、現在に至るまでその空費は取り戻せておらず、読書量は業界を見回しても下の下か、せいぜい下の中に位置すると思う。これもまた、のちに作家になるとわかっていたならいくらでも読書に費やす時間はあったのに、と後悔の念を禁じえないわけだ。

つまり僕は、にわか仕込みの珈琲の知識と、にわか仕込みの小説への愛とで、作家になってしまった人間なのである。基本的には恥ずべきことだと思うし、特に読書量についてのコンプレックスは日増しに膨らむ一方だ。だが、呼吸をしたり水を飲んだりするようにそれらに接してきた人には見えない、新鮮な美しさが僕には見えるという一面もまたありうるのではなかろうか。そんな視点から、珈琲と本の親和性について語っていきたい。

珈琲豆を選ぶように直感を信じて本を選ぶ

――珈琲と本には、いくつもの共通点がある。

たとえばあの、書店に行って本を選ぶときのワクワク感は、珈琲豆を買うのとよく似ている。表紙やタイトルは珈琲豆でいうところの産地や銘柄に、あらすじは香味の説明に相当する。たくさんある中から自分の好きそうなものを探し出し、素晴らしいものであるようにとの期待を込めて購入する。期待が大きければ大きいほど、急いで家に帰ってその中身を確かめたくもなるだろう。

もちろん本のジャンルや著者によって、ある程度の好き嫌いは判断がつく。だが、本当にお気に入りの一冊かどうかは読んでみるまでわからない。珈琲豆も産地ごとの特色、あるいは焙煎の度合いなどにより香味を予想することは可能だが、淹れてみると驚くほど好みだったり、そうでなかったりする。読み方次第で本の印象がいかようにも変わる点も、淹れ方によってさまざまな違いを見せる珈琲と同じだ。

珈琲に覚醒その他の効能を求めて飲む人もいるだろう。どちらかといえば僕は、ほっと一息つきたいときに飲むことが多い。小腹の空いてくる夕方、甘いお菓子をお供に珈琲を飲むのが至福のひとときである。

本に対してはどうか。知識を得るべく読書をする人は少なくない。あるいは人生観すら変えるような、特別な何かを探している人もいるかもしれない。僕はといえば、緊張したときや寝つけない夜などには進んで本を開く。そればかりではないが主には、珈琲と同じく癒しを本の中に求めている証だと思う。

ここに挙げたのはほんの一例で、共通する魅力を探っていけばきりがない。珈琲にしろ小説にしろ、僕はその広大なフィールドに足を踏み入れ、少しばかり散策してみたに過ぎないのである。知り尽くしていないからこそ、まだまだ開拓の余地がたっぷりとある。たくさんの新しい発見がある。これからそのフィールドを、ゆっくりとした足取りででも、歩き回れるのが楽しみでならない。

散歩の途中に、珈琲豆の販売店を見つけて入る。豆を買ったあとは、早く帰って味を確かめたくなる。同じように、散歩の途中で何気なく立ち寄った書店で、読みたくて仕方がなくなるような本に出会えたらいい。最近ではネットやSNSで検索すればすぐにレビューが出てくる。読む前から読んだ気になり、おもしろそうと感じた本を手に取るのもやめてしまう。でも、それは他人の感想でしかない。誰かがおいしくないと言った珈琲を、もしかしたら僕は大好きかもしれないのだ。お店で直に見て珈琲豆を選ぶように、リアル書店で、レビューのない場所で、直感を信じて本を買う。そして家に帰って、淹れたての珈琲とともに、ページをめくる――そうやって、広大なフィールドにおける未踏の地に飛び込んでみる日々なのである。

喫茶スペース併設の書店
喫茶スペース併設の書店
有隣堂トレアージュ白旗店

最近では、喫茶スペースを併設した書店も増えているようだ。選んだ本をその場で、淹れたての珈琲とともに楽しめる。本と珈琲の親和性は増し、僕だけでない多くの人がさらなる共通点を見出すことだろう。

岡崎琢磨  (おかざき たくま)

1986年福岡生まれ。作家。著書『珈琲店タレーランの事件簿-また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』宝島社 648円+税、ほか。

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