Web版 有鄰

541平成27年11月10日発行

主夫のたのしみ – 海辺の創造力

佐川光晴

私は家庭では主夫をしている。小学校教員の妻があまりにも忙しいために、いつのまにか私が家事全般を引き受けることになってしまったのである。今も私はリビングルームのテーブルでノートパソコンにむかい、洗濯物を取り込んだり、夕食を作る準備をしながら、この原稿を書いている。

午後4時になると、小学6年生の次男が帰ってくる。「ただいま」、「おかえり」に続けて、「学校で、アンポンタンなことはなかったかい?」と私は訊く。

「それがあったんだよ」といっても大ごとではないので、息子はランドセルをおろし、うがいと手洗いをしてから、クラスで起きた些細なケンカについて、身振り手振りを交えて話してくれる。

都内のアパートで暮らす大学2年生の長男は、「今度帰ったときにはクリームシチューが食べたい」と、父親である私に電話でリクエストをしてきたりする。

なにはともあれ月日はたって、息子たちは大きくなった。われわれ夫婦も歳をとり、妻は54歳、私は50歳になる。私が24歳のときに結婚したので、昨年つつがなく銀婚式を迎えられたのは、ひとえに働き者の妻のおかげだということにしておきたい。

「主夫にも主婦にも定年はありませんから、おたがい頑張りましょうね」と、今年の6月に北海道の北見市で講演をしたときに、私は年輩の女性に励まされた。

「そうか、そうなるのか。先は長いなあ」と大げさに嘆いてみせると、会場が笑いに包まれた。

私はまるきり計画性がなくて、せいぜい半年先のことまでしか考えていない。結婚後に妻が料理に無頓着だと知り、自分がやるしかないと頭を切り換えられたのは、行き当たりばったりを好む性格のおかげだと思う。小説を書いてみたいと思ったのも、30歳を過ぎてからだ。

私は故郷である茅ヶ崎をこよなく愛しているが、サザンオールスターズの人気によって人々の憧れの的となった湘南の町で育つことになったのは、両親がたまたま団地の抽選に当たったからにすぎない。現在、埼玉県志木市で暮らしているのも、妻の実家があるからで、私が希望したからではない。

万事そんな調子でやってきたので、今後も将来のことは気に病まず、快食快眠を旨として、朝起きてから夜眠るまでの一日を自分なりに満喫できればと思っている。

良い文章は、それに続く的確な文章を生む。その連なりが作品となって世にあらわれる。

目が覚めて、「さあ、しっかりやろう」と思えるなら、その前日はきっとすばらしい一日だったのであり、今日という日もまた、明日へと続く良い一日になるにちがいない。

妻や息子たちに清々しい目覚めが訪れて、ついでに私にも旺盛な創作意欲が湧くように、これからも無理をせず、主夫をしていこうと思っています。

(作家)

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