Web版 有鄰

544平成28年5月10日発行

シェイクスピアのくれた想像力の翼 – 2面

江戸 馨

原作から着想を得て新たな物語を作る

シェイクスピアの肖像画
シェイクスピアの肖像画
明星大学図書館蔵

「シェイクスピアしかやらない」そう宣言して26年あまり、東京シェイクスピア・カンパニーでは、私が翻訳して上演台本をつくり、演出してきた。何故かと問われれば、「シェイクスピア以上に面白い本がない」と私が感じているからであるが、実際は、シェイクスピアだけではなく、シェイクスピアの作品を題材にしたオリジナル戯曲の上演も行っている。それは正直な話、私が本を書きたいからではなく、シェイクスピアの原作だけをやりたい役者も、観たい観客も、あまり多くないという日本の演劇事情のせいである。そこで、シェイクスピア作品の、「その後の物語」や、違った視点(主人公以外)から見た「鏡の向こうのシェイクスピア」シリーズなど作り続けるうちに、いつしか10作を超えるスピンオフものができた。これが可能なのも、シェイクスピアの戯曲が、登場人物が脇役であっても、魅力的に書き込まれているからで、その人物から見ると、どんな物語になるのだろう、とか、喜劇で結ばれたカップルが、結婚後、どうなっただろう、などと想像力をかきたてられるからである。「原作より面白い」と、お客様から感想を頂くと、劇作家としては嬉しいのだが、シェイクスピア・フリークとしては素直には喜べない、実に複雑な気持ちになる。

「言葉」の力に導かれ演劇の道へ

私が初めて出会ったシェイクスピアの戯曲は『ヴェニスの商人』だった。73歳のアイリッシュのシスターが校長をつとめる南インドのミッションスクールで、サリーを着た女教師に「慈悲は強制されるべきものではない」(四幕一場)という裁判でのポーシャの有名なセリフを暗記させられたものだった。そのミッションスクールは上流階級の子女の通う学校ではなかったので、毎朝校長自ら低学年の子たちの頭に虱がいないか調べ、靴下は履いているか、トイレはきれいか点検して回っていた。南インドでは、黒土は高原地帯に行かないとお目にかかれないので校庭は真っ赤、かげろうの向こうに見えるチャペルに続く小道も、脇に咲いているカンナに負けない赤さをしていた。四季はなく、一番涼しい1月でさえ30度を下らない土地であるのに、当然教室に冷房はなく、天井の扇風機の長い腕がいたずらに生温かい風をかき回していた。その教室で私達は、降り積む雪の中、鈴を鳴らして進む馬の詩や、長い冬の終わりを告げる、野の花の生命力の強さをうたった英詩を学んだ。雪の感触も、春の訪れの喜びも、体験したことがあるのは私だけであった。こうして私は、キリスト教国の植民地支配時代につくられた教育機関の恩恵を蒙って、シェイクスピア劇との出会いを果たしたのである。その時以来、改宗を強いられたユダヤ教徒シャイロックと、幸せに結ばれた3カップルの行く末がずっと気になっていて、その後編『ポーシャの庭』を2001年に書いて上演した。2014年には、『ヴェニスの商人』本編との連続上演を行った。

『ポーシャの庭』舞台風景
『ポーシャの庭』舞台風景

高校卒業後、日本に帰国した私は、大学で英文学を学びながら、シェイクスピアの舞台を度々観る機会にも恵まれた。今はなき渋谷のライブハウス「ジァンジァン」で、毎月違う演目を上演していた、日本で唯一、37本の上演を達成したシェイクスピア・シアターの舞台である。地下の穴蔵のような空間、セットは何もなく、あるとすれば、必要に応じて役者達が手に持って出る椅子くらいだった。無論舞台転換の為の暗転などなく、衣装はTシャツにジーンズだった。だが、役者達のエネルギーが、そのまま登場人物達のエネルギーと重なり増幅され、シェイクスピアの狙い通り、観客の想像力は刺激され、狭い穴蔵でアクティウムの海戦は繰り広げられ、王侯貴族の衣装も、宮殿も、深夜の森も、自在に眼前に登場した。具体的な「物」は必要なかった。シェイクスピアが、全て、「言葉」にしてあるのだから。こうして、戯曲を通してしか知らなかったシェイクスピアを「体感」した私は、大学卒業後2年ほど就職したものの、再びシェイクスピアの待つ暗がりへと戻ることを決意し、憧れのシェイクスピア・シアターに入団した。だが、結局、自分で原作から翻訳して上演したい気持ちが募り、大学院に入って勉強を続けながら、自身で翻訳・演出する為に東京シェイクスピア・カンパニーを立ち上げた。

不変かつ普遍的な人間の姿

シェイクスピア劇の魅力についてよく聞かれるが、それは裏返せば、「そんな昔の作品のどこが面白いの?」という問いになるだろう。ハムレットが言うように、「役者は、時代の縮図であり、年代記」(二幕二場)なのだから、400年前の作品では、「ライブ感」が全くないではないか、と、暗に突っこまれているわけだ。だがシェイクスピア劇は決して古典ではない。書かれたのは400年以上前だが、そこには「リアルな人間の心」が存在している。登場人物達は皆、過剰なエネルギーを持ち、膨大な量の言葉を語るが「あるある、こういうこと!」と、膝を打たされることしょっちゅうである。戯曲全体はまるで交響曲のようで、1人の人物が語るセリフはミルフィーユのように作られていて、その言葉の重なりから、刻々と変わっていく登場人物の心が観客にあますところなく伝えられる。人間の心がいかにうつろいやすいものか、役者は長いセリフを言いながら、それを体感し、表現する。それは悲劇においても、喜劇においても同様である。その変わりやすい人間の心を、シェイクスピアは責めてはいない。彼は人間の愚かさを愛し、受け入れ、許していた。むしろ愚かな弱みを持つ人間のほうを「ひいき」していたかもしれない。『夏の夜の夢』に登場する妖精パックに、「人間てなんてバカなんでしょう」(三幕二場)と言わせている。その愚かさの質、度合いによって、違った物語が編まれて行く。例えば根拠のない嫉妬から自滅する高貴な主人公といえばオセローが有名だが、他にも、一国の王が、突然、親友である他国の王と、自分の愛する妻との不義を疑い、親友であった王の暗殺を命じ、結果妻も、跡取りであった王子も失ってしまう『冬物語』という戯曲がある。この主人公の王レオンティーズが、突然嫉妬に取り憑かれる場面は、あまりに唐突な為、舞台を観るまでは、最後の大団円を観客が受け入れることができるか、懐疑的になる。だが上演されると、観客は涙を振り絞られる。王は独白の中で、刻々と変わる己の心と苦悩を吐露する。我々は、「そんなことはありえない!」と思いながらも、その心情がリアルであれば、その設定が現代の東欧の国であれ、神話の国であれ、関係ないのである。人間の愚かな嫉妬ゆえに起こる悲劇がそこに存在しているからである。

今年はシェイクスピア没後400年にあたるが、演目を決める際考慮したことは、「闘いさえなければ人はこんなに能天気になれる」世界や、権力者の横暴が、いかに多くの人を不必要な悲しみに引きずり込むか、そんな世界を描く舞台をこんな時代だからこそつくろうと思った。敬愛してやまない詩人ワーズワースの“Plain living, high thinking”にならって、モットーは常に“High imagination, plain stage”である。

江戸 馨  (えど かおる)

東京生まれ。演出家。東京シェイクスピア・カンパニー主宰。野中しぎの名前で翻訳絵本多数。

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