Web版 有鄰

546平成28年9月10日発行

辻村深月と『東京會舘とわたし』 – 人と作品

伝統と格式のある建物が見守った数々の人間ドラマ

辻村深月
辻村深月

事実の中にいかに虚構を混ぜるか

1922年(大正11)創業の「東京會舘」は、2度目の建て替えのため、昨年から3年間の休業中である。100年の歴史の中で、どのようなことがあったのか。建物を〈主人公〉に、人々の記憶を描きだした長編小説だ。

「読むのが好きでも、歴史小説を書くのは難しいだろうと思っていました。ただ、今存在する建物や場所に注目して、建物が見てきた歴史を現代に繋げる形なら書けるかもしれない。漠然とそう考え始めていた頃、東京會舘の建て替えを知り、建物から歴史小説を書くならこのタイミングしかないと、東京會舘に小説の執筆を申し込みました」

大正、昭和、平成にわたる出来事が、10章構成で描かれる。第1章は、大正12年のフリッツ・クライスラーの演奏会をめぐる物語だ。

「東京會舘のご協力で、昔の資料をたくさん見ることができました。澁澤栄一、高橋是清ら、大物の名前が記された芳名帳を見たり、手紙などを読むうちに、時代は昔でも、資料の内側にあるのは人と人の交流や普遍的な感情だと思ったので、まずは小説として思い切って書こうと思いました。可能な限りお話を伺い、みなさんの思い出に支えてもらうようにして書きあげることができました」

最初に取材したのは、戦時中に東京會舘で結婚式を挙げた女性だった。“お支度を担当してくださった人がずっと側にいてくれて、彼女の手の温もりが70年後の今も忘れられない”と聞いた。その担当者が、名高い美容師の3代目遠藤波津子さんだと、その後の取材で分かった。

「資料に無機質な感じで書かれている歴史上の出来事や人物が、実は現実と地続きで存在していて、血が通っているのだと実感できた瞬間でした。ほかにも、資料に数行あったことが、遠く離れた人の生活で実を結んでいたり、伏線と真相が繋がっていく謎解きのような醍醐味がありました。この繋がりの素晴らしさをどう伝えたらいいか。小説だからなんでもありにはしたくなく、歴史と小説の距離感を考え、できる限り事実に基づいて書きました」

東京會舘の1度目の建て替えが行われたのは昭和46年のことで、大正11年に竣工した建物は「旧館」、今回2度目の建て替えとなる建物は「新館」と呼ばれる。関東大震災と東日本大震災という、2度の震災に遭遇しており、平成23年3月の震災が起きた日の物語が、第8章で描かれている。

「東京會舘という場所を通してなら、『あの日』を書けるのではと思いました。家で温かい食事を食べる、非日常から日常に戻っていく感覚の象徴として、會舘の料理の力を借りました。

私にとっても、東京會舘は思い出深い場所です。直木賞を受賞した時の記者会見と贈呈式の会場が東京會舘でしたし、建て替えに対して惜しむ気持ちもありました。でも今回、旧館から新館へ移り変わる時代を書きながら、旧館がなくなることを惜しんでいた人もたくさんいたんだと思いました。変わりながら、それでもきっと続いていくものがあるのだと思います」

誇りを持ってエンターテインメント執筆に取り組む

1980年、山梨県生まれ。2004年、『冷たい校舎の時は止まる』でメフィスト賞を受賞しデビュー。2011年『ツナグ』で吉川英治文学新人賞、2012年『鍵のない夢を見る』で直木賞を受賞。『ハケンアニメ』『家族シアター』など、著書多数。

「『東京會舘とわたし』に登場する小説家の小椋と同様に、図書室に育ててもらった感じで、ここだけが世界ではないと本を通して教えてもらいました。小学校の時、小説を書いて読ませあうのが流行って、自然に書き始めました。ただ、好きだった作家の影響で、私が書いたのはホラー小説でした(笑)。『続きを楽しみにしている』と、高校時代にクラスメートが言ってくれたことは、小説を書く大きな支えでした」

ミステリーでデビュー後、作風を広げてきた。

「“遊び”と言われる本に誇りを感じていて、胸を張ってエンターテインメントを書きたい。ミステリーの技法を使いながらミステリーに限定しない物語を、『ツナグ』ぐらいから意識するようになりました。初期の頃のような物語もまた書きたいですし、いろんなことができたらと思っています。今回、自分がこれまで読んできた歴史小説家の資料の読み方がいかに丁寧であるかを知り、先輩作家への尊敬がより深まりました」

(青木千恵)

東京會舘 上・下

東京會舘とわたし』 辻村深月/毎日新聞出版/上下巻 各1,500円+税

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