Web版 有鄰

547平成28年11月10日発行

僕と師匠と横浜 – 1面

桂 枝太郎

岩手から落語家を目指して横浜へ

桂 枝太郎さん

私が岩手県の田舎から上京し、桂歌丸門下に入門、横浜に住み、今年で20年が経ちます。50代で若手の落語界、30代で芸歴20年なんてまだまだ若輩者ですが、それでも私なりに色々な事がありました。

岩手県の衣川という小さな村で生まれ育った僕は、落語とは無縁の人生。ただ人を笑わせる事が好きだったので、高校を卒業したら漫才師になりたいと、ぼんやりと考えてました。高校3年の秋に芸術観賞会があり、いらしてくださったのが桂米丸師匠。映画を扱った新作落語で高校生をガンガンにウケさせてる。勝手な偏見で、「落語は古い、堅苦しい、つまらないもの」と決めつけていた僕にはかなりの衝撃でした。「落語はこんなに新しく刺激的なのか!」。孫くらい年の離れた高校生相手に、一人で爆笑をとる。居ても立ってもいられず、米丸師匠に手紙を書いてました。

「落語家になりたいです!」

米丸師匠から実家に、「本気なら話を聞きましょう」とわざわざ電話があり、卒業式の前日に御自宅に伺い、お願いをしました。若さゆえ、身の程知らずの強情さに呆れたのか「こんなに厳しい世界と諭してもやりたいなら、本気なんだね。ただ君が真打ちになるまで15年。それまで僕は生きてないだろうから、僕の弟子を紹介するからね」

台所で、米丸師匠がおかみさんと、「歌丸さんに預けようか?」「ヨネスケがいいんじゃないか?」と話しております。隣の部屋でその会話を聞きながら、「ヨネスケ門下になったら落語会より、晩ごはんの準備を手伝わなきゃいけないのか!?」と、不安でいっぱいでした(笑)

入門時、歌丸師匠と 平成8年
入門時、歌丸師匠と 平成8年

「落語をきちんと仕込んでくれる、歌丸さんがいいだろう」。米丸師匠が師匠に取り次いでくださり、僕の落語家としての修行が始まりました。前座名は「桂歌市」

運が良いのかタイミングが良いのか、普通よりも早く真打ちに昇進させていただいた時、真っ先に師匠、歌丸が言った言葉が、「米丸師匠、生きてるじゃないか。とるんじゃなかった」。いや、師匠…(笑)

高校時代、金髪にピアスをして自堕落に過ごしていた僕にとって、落語家修行は全くの別世界でした。近所に住んで朝早くに師匠宅へ伺い、掃除をして、都内の寄席へ行き、お茶を汲み、着物を畳み、太鼓を叩き、また師匠宅へ。一年中休みがない。師匠、先輩から怒られ、毎日辞める事ばかり考えてました。クビになった事も多々あります。師匠の鞄を電車の網棚に置き忘れ、鞄はそのまま熱海まで行きました。反省の意味を込めて頭を剃って謝りに行ったら、「俺に対するあてつけか!」とかえって怒られました(笑)

クビになった時に何度も庇ってくださったのが、師匠のおかみさんです。おかみさんからは一度も怒られた事がありません。「貴方はお父さんの弟子で、私の弟子じゃないから」と、何をしでかしても笑って肯定してくれます。一人暮らしで風邪をひいて熱でうなされた時も、事故にあった時も、師匠とおかみさんは必ず心配の電話をくれました。上京した初日に言ってくださった言葉「今日から私達がこっち(関東)のお父さん、お母さんだから」。心細かった18歳の少年にとって、この言葉はどんなに嬉しく温かったか。

コンビニもない村から出てきた田舎者にとって、横浜はお洒落で品がある街だったので、最初は慣れなくてホームシックになってしまったんです。ところが横浜橋通商店街や伊勢佐木長者町を歩いてると、「歌丸さんの弟子だね!頑張れよ!」と声をかけてくれる。三吉演芸場も近いし、町の人が見守って応援してくれる。ちなみにその頃、横浜松坂屋の前にいたのが「ゆず」でした。雨でお客さんが誰もいない中、歌っていました。精一杯、熱唱していたので、思わず「頑張れよ!」と声をかけた思い出があります。あんなにスターになるとは!「お前の方が頑張れよ!」と自分に言いたくなります(笑)。

二つ目昇進、そして真打ちへ

何度も泣いて、転んで汗かいて、日々が過ぎていき、二つ目昇進「桂花丸」に改名、そして気がつけば30歳になっていました。

落語会が終わり、いつものように師匠宅で片付けをしていると、師匠が突然言いました。「真打ちが決まったぞ」

漠然と、真打ちまでまだ年数があると考えていた僕にとって、この言葉はショックでした。そして朝、師匠から電話があり、「三代目桂枝太郎を襲名するように」

青天の霹靂とはこの事。自分が真打ち?? 大名跡を襲名?? 急な展開に頭がついていかなくて、「…はい」と寝ぼけた返事をして電話を切りました。

正直言いますと、嫌だったんです。落語芸術協会の真打昇進は、通例は1人か2人、多くても3人。僕の時は、先輩達と5人同時昇進でした。十把一絡げのような扱いはないだろう!一生に一度の真打披露…、その為に前座の時から歯を食いしばってきたんだ。

ふてくされていた気持ちが顔に出ていたのか、ある日、師匠が言いました。

「おれが若手の頃は、同期に志ん朝さん、談志さん、圓楽さんがいて、出る隙がなかった。後輩に真打ちを抜かれ、悔しい思いもした。噺家は一生が勝負だ。ゴールは真打ちじゃない。死ぬ時だ」

頭をガンと殴られたような気持ちになりました。嘆いている暇があるなら、稽古しよう。師匠はいつもそうなんです。大事な事を要所要所で突いてくる。「稽古しろ」と言われたことは一度もありません。ただ、自宅へ伺うと、必ず部屋でブツブツと稽古をしている。その姿を見たら弟子は奮起せざるを得ない。身をもって、背中で教えてくれる。誉められた事もありません。唯一、誉められた事といえば、年末の大掃除で寒空の下でガラスを磨いた時くらい(笑)。いつか僕の落語で「面白かった」と言ってもらう事が目標です。

それからの日々はジェットコースターのよう。真打ちの準備、挨拶回りで追われていきました。

真打披露興行 浅草演芸ホール楽屋にて 平成21年
真打披露興行 浅草演芸ホール楽屋にて 平成21年

平成21年。真打披露パーティーを行い、新宿末廣亭を始まりに真打披露興行がスタート。口上には米丸、歌丸、米助、歌春と各師が並び、師匠が口上を述べてくださるのを聞きながら泣いてしまったんです。今までの事が走馬灯のように流れてきて…。お客様ももらい泣きをされ…「頑張れよ!」という声も飛び、謝罪会見のような披露口上に。ちなみに口上が終わり、僕がトリで上がった時には、泣いていたお客様も声をかけてくれたお客様もお帰りになってました。なんだったんだ!?(笑)

偉大な存在、師匠歌丸への思い

平成23年3月、東北出身の僕にとって、いや日本にとって、忘れられない出来事が起こりました。東日本大震災。

岩手県の実家は被害を免れましたが、多くの友人知人が被災し、犠牲になりました。被災地に行くと報告すると、「声を届けてほしい」と師匠からテープを渡されました。

避難所の体育館で、落語をやりました。演目は「つる」。師匠から初めて教わった落語です。落語は案外、ブラックユーモアもあり、キツい言葉も出てきます。災害時等では人を傷つけてしまう怖れもある。不安もありましたが、皆さん笑ってくださり、最後に師匠から託されたテープを流しました。

「桂歌丸です。我々は同じ日本人です。何かあれば必ず力になります。どうか頑張ってください。負けないでください」

避難所にいる方々、皆さん泣いてました。師匠の声で、これだけの感動や勇気を与えられる。売れるという事は、皆に力を与える事が出来るんだ。師匠に感謝すると同時に、初めて心から、「売れたい!力を与えられる存在になりたい!」と思いました。

笑点は今年で50年。アシスタントとしてずっと笑点に入らせていただいてます。師匠の笑点司会勇退については、発表の日まで僕も知りませんでした。記者会見で師匠が言った言葉は「80歳になるので落語を勉強したい。笑点の歌丸では終わりたくない。落語家の歌丸で終わりたい」

5月22日、師匠が笑点最後の大喜利の司会へ向かう後ろ姿は、一生忘れる事はないと思います。

「弟子は師匠の名前を残すことができる」という言葉があります。春風亭柳昇師匠を知らない若い方でも、「昇太師匠の師匠」と言えば分かると思います。いつの日か、何十年後に、「枝太郎の師匠」として師匠の名を高めたい夢があります。その為には精進、また精進していくしかありませんが。

金髪でピアスをしていた田舎の小僧は、20年経ち、ようやく何とか落語家としてやっていけてます。全ては師匠、大師匠、おかみさんのおかげです。師匠が私の入門を引き受けた60歳という年齢に私がなった時、そして今の年齢の80歳になった時、私は必ず師匠を思い出すでしょう。

どうか健康に気をつけて長生きしてください。また10年後、私が芸歴30年の時にも90歳になった師匠についてのエッセイを書きたいので。

桂 枝太郎 (かつら えだたろう)

1977年岩手県生まれ。落語家。1996年、桂歌丸に入門、桂歌市で前座入り。2000年、二つ目昇進、桂花丸に改名。2009年、真打昇進、三代目桂枝太郎襲名。

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