Web版 有鄰

525平成25年3月1日発行

小説家が震災復興のためにできること – 2面

宮木あや子

東日本大震災のときインドネシアに向かう飛行機の中にいた

『文芸あねもね』という分厚い新潮文庫がある。これは元々出版社を介さない同人誌だった。しかも電子書籍の。

書影『文芸あねもね』

『文芸あねもね』 新潮文庫

2011年、山本文緒先生を筆頭に10名の女性作家が集まって「東日本大震災の復興資金を集める」目的で同人誌を作成し、電子書籍販売サイトの「パブー」を使って七月に販売を始めた(2012年2月販売終了)。紙もインクも不足していたため電子書籍という形を取ったその同人誌は2012年、新潮文庫の三月刊ラインナップに入った。そして2013年の3月を皮切りに、収録された10本の物語は、プロの声優さんたちの協力と文化放送のバックアップを得て「文芸あねもねR」というプロジェクトの下、音声になり配信される。

2011年3月11日以降、「自分に何ができるだろう」と一度も考えなかった日本人はいないと思う。否、日本人だけではない。私はこの日このとき、友人とインドネシアに向かう飛行機の中にいたのだが、現地に着いたあと、テレビの映像を観たホテルの従業員やほかの国のゲストたちから、「あなたの家族は無事か」「あなたの家は無事か」と会うたびに訊かれた(狭いホテルだった)。家族の無事が確認できたあと、彼らにそれを伝えたら、涙ぐみながら手を取って神に祈られた。異国の人ですら、私たち日本人のために涙を流し、神に祈った。

無償の祈りはありがたく尊い。しかしこのとき日本に何よりも必要なのはお金だった。少なくとも私はあの映像を観てそう思った。ボランティアスタッフができることは限られている。復興に必要な専門分野の頭脳や現場の技術を雇うにはお金がいる。そして個人が国のために差し出せるお金は、限られている。

上記のとおり私は震災を日本で経験しなかった。ホテルに到着してからしばらくずっと、つながらない電話をかけつづけながらテレビを観ていた。被害のひどい場所は東北。映像は黒い津波を繰り返す。刻々と増えてゆく行方不明者の数。遠く海を隔てた場所にいる私たちにはNHK国際放送の流す情報しか与えられず、その中には横浜の情報は含まれていなかった。

私も友人も横浜に家がある。泣きそうな気持ちで横浜の情報を待った。テレビが横浜という言葉を放映するよりも前に電話がつながり、家族の無事を確認できたのだが、そのあと私は猛烈な罪悪感に苛まれた。この気持ちの詳細は文章にしなくても理解してもらえると思うから省く。

チャリティ同人誌『文芸あねもね』を提案 今自分が書ける物語を

帰国したあとも、罪悪感は拭えなかった。拭えないどころか罪の沼の中でもがいていた。私にはこの国のために何ができるのか。同人誌を作って全額寄付をしようか。しかし私の知名度では寄付できる額などたかが知れている。そんなことをぐるぐると考えているときに吉川トリコから「同人誌作らない?」という運命のようなメールが届いた。同じことを考えている人がいた!と私はその提案に飛びついたのだが、彼女は特にチャリティのことは考えておらず、単行本スピンオフ(外伝的な作品)を発表したいが発表する場がないから私と一緒にスピンオフ同人誌を作りたい、ということだった。じゃあそれをチャリティ同人誌にしようと提案し、結果『文芸あねもね』になった。「震災」をテーマにするのではなく、今自分が書ける話を書こう、自分ができることをしよう。

「とにかくお金を集めよう」それだけを方針として、特に意識のすり合わせもせず、計画は進んだ。

参加作家は吉川トリコと私が集められるだけ集めて、最初は9人の予定だった。3月下旬に企画が立ち上がり、インターネット掲示板を介して制作のやりとりをし、イラストレーターとデザイナーを確保し原稿がふたつ出たところで実現までの道筋が見えたため、4月下旬に告知を行った。この告知を行った日、山本文緒先生から「参加したい」というメールをいただき、鳴かず飛ばずの9人の作家たち(現在大きな話題になっている柚木麻子はまだ二冊目が出せておらず、今や各媒体に引っ張りだこの山内マリコは1冊目の本すら出せていなかった)は大喜びすると共に、恥をかかせないような本を作らなければ、と気を引き締めなおした。言い方は悪いが、こんなことでもなければ、きっと私たちが山本先生と同人誌を作る機会などなかっただろう。むしろこんな大人数が1冊の同人誌を、しかも4ヶ月足らずで作るような機会もなかった。

誰かの血肉となり対価が誰かを生かす「小説の力」

私は俗に言う「小説の力」をまったく信じていなかった。小説は私にとって単なる一時的な娯楽で、人生の血肉になるとは思わないし、他人の思想で自らの魂を濁らせたいとも思わない。それに小説、というか本を全く読まない、書店に一度も行ったことがない、という人だってそこそこ満足な人生を送っている。けれど、あのとき物語を何かの支えとして欲している人はたしかに存在していて、『文芸あねもね』を電子書籍で発売したあと、被災地出身の読者から幾度か「ありがとう」という言葉をいただいた。その中には「被災地が落ち着いたときに、あなたの書いた新たな物語が存在していたらきっと喜ぶ、だから書きつづけるべきだ」と言ってくださった方もいた。

誰かの描いた物語が、誰かの血肉になる可能性だってあり得る。その物語の対価として支払われたお金が、誰かを生かす。生かした誰かが、またほかの誰かを助けるかもしれない。

それはもしかして、たくさんある意味の中でひとつの「小説の力」かもしれない。

電子書籍は、31万6958円を売り上げ、文庫の初版印税は134万円で、イベントの収益などを併せて合計167万158円を『文芸あねもね』は寄付している。イラストレーターとデザイナーを併せて合計12人、まだ一度も『文芸あねもね』の意義について話し合ったことはない。おそらく今後も話し合わないだろう。ただ単に私たちはお金のことしか考えていなかった。そしてこれからも『文芸あねもね』はお金のことしか考えないだろう。ただ、お金のことだけを考えて作業をしていても、付随したいろいろなことを、全員が考えざるを得なかったと思う。自分に求められているものがなんなのか、とか、出版社を介さない媒体がどこまでカスタマーに受け入れられるのか、とか、自身の創作物を客観的に見つめざるを得なかったと思う。私は見つめた結果、様々なことが見えた。売れたい、と口先では言ってても、別にそんなに売れること渇望してなかったな、とか、お金ほしい、と口先では言ってても、別にそれほどお金に困ってないな、とか。要するに、『文芸あねもね』を作るまで、仕事のいかなる面においても私は、それほど切実でも誠実でもなかった。「おもしろかった」という一番大好きな言葉さえもらえれば良い。その場で楽しんでもらうことができれば、心に響こうが響くまいがどうでもよかった。

繰り返しになるが、メンバー内で意識のすり合わせをしたことはない。「お金」以外のところに各人各様の想いがある。私にとっての『文芸あねもね』は、ひとりの日本国民としての謝罪である。謝罪だけは人として絶対に誠実でなければならない。今はこの謝罪が、ひとりでも多くの人の心に届いてほしいと切実に願う。そして『文芸あねもね』後の私の創作物が、それ以前のものよりも少しはマシになってくれていれば良い、とも(今はほぼ休業中ですが、いつか本格的に再始動できる日がくれば)。

宮木あや子 (みやぎ あやこ)

1976年神奈川県生まれ。
小説家。著書『花宵道中』新潮文庫590円+税、『婚外恋愛に似たもの』光文社1,300円+税、共著『文芸あねもね』新潮文庫670円+税、ほか多数。

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