早見和真
東京六大学野球を題材にした、青春群像小説。著者の早見和真さんにとり、2008年のデビュー作『ひゃくはち』以来、4年ぶりに野球をテーマにした作品である
「デビュー後、小説の依頼が野球をテーマにしたものばかりで、野球小説しか書けないと思われるのが気にくわなくて、ずっと違うテーマで書いていました。そうするうちにリーグ戦というシステムに興味をひかれ、星取表の周りにある物語を書けないかと思ったのが、この作品の端緒になりました」
東京六大学野球連盟は、慶応、東京、法政、明治、立教、早稲田(五十音順)の六大学で構成される大学野球リーグ。80年以上の歴史があり、数多くのスター選手を輩出してきたが、本書は、補欠、就活生、選手のお母さんら、「スターではない人」が続々登場する連作短編集だ。それぞれに奮闘する人々の視界に、”銀縁くん”と愛称される早大野球部のエース、星隼人の存在がきらめく。同時代を生きるスター選手が、主人公たちの人生に、なにがしかの影響を与えているのだ。
「『大怪獣東京に現わる』という”怪獣の出てこない怪獣映画”として有名な邦画も、この小説のヒントになっています。”特別な存在”を意識してじたばたする人たちの姿から、星隼人という人物と、そして野球の世界を描いてみたかった」
夏の甲子園大会で優勝投手となり、早大野球部に入部して社会現象を巻き起こした選手といえば、現在、北海道日本ハムファイターズに所属する斎藤佑樹選手をやはり連想してしまう。
「星隼人は、斎藤佑樹選手の存在ありきのキャラクターです。衆目を集め、過度に期待されて、ストイックに生きざるを得なくなった人が世の中にはいると思う。ストイックさの正体を吐露せずに生きている人の孤独を、多少なりとも救える物語を書くと決意して、この小説に取り組みました。有名、無名に限らず、この6編に書いたような人間のぐずぐずした葛藤は、ポジティブなスポーツ・ノンフィクションではきっと書かれない部分。スポーツ誌で読めるものを小説で読みたいとは僕は思わず、”星隼人”という存在に翻弄される人たちを書きたかった。いつか、斎藤佑樹選手本人に、この物語が届いてくれたらいいなと思っています」
1977年、神奈川県横浜市生まれ。大学在学中からライターとして活躍し、2008年に『ひゃくはち』でデビュー。他の小説作品に『スリーピング★ブッダ』、『砂上のファンファーレ』、『東京ドーン』がある。
「小中高と野球をやっていて、高校の3年間、ずっと野球部の補欠選手でした。目立たない場所にいる人に目が向き、いろんな人間を書きたい気持ちが強いのは、その経験からだと思います。高校のとき、この大好きな野球部の人間とずっと一緒にいるにはどうしたらいいだろう、取材したり、文章を書くことで伴走できるんじゃないかと考えた。それで大学以降は、文章を書くことを志しました」
高校時代、沢木耕太郎著『テロルの決算』を読み、文章が持つ力に衝撃を受けたことも、書く仕事を志す機縁になった。『ひゃくはち』でデビュー後のいまは、小説に注力している。『スリーピング★ブッダ』で宗教、『砂上のファンファーレ』で家族、『東京ドーン』で若者群像を描いた。「いま」を掬い取る、時代感覚の鋭さがある。
「バブル崩壊後の『失われた十年』といわれた時期がちょうど学生時代で、家庭の中にもいざこざが多く、不況のあおりを身をもって経験しました。『もうこれ以上俺たちに背負わせるな!』という、親や、その世代に対する怒りを原動力に書いてきた気がします。ただ、『ひゃくはち』の頃に比べると、自分のことも、他人のことも、俯瞰して書けるようになってきた。今回は少し引いたところから淡々と書いて、だいぶテンションが違いましたね。どの作品も、ひとつの時代や世代に特有のものではない、普遍的な気持ちを書くようにしています。この作品は、野球マニアの人向けの仕掛けを施しつつ、野球を知らない人でも楽しめるものにした。遠くでつまらなそうにしている人に話を投げかけて、面白がってもらいたいという妙な責任感を、僕は昔から持っています。大勢の人に響く”ど真ん中のエンターテインメント”を、ずっと書いていきたいと思っています」
(青木千恵)