Web版 有鄰

521平成24年7月9日発行

有鄰らいぶらりい

窓の向こうのガーシュウィン』 宮下奈都:著/集英社:刊/1,400円+税

早産で未熟児として生まれた「私」は、幼い頃に父が家出し、いつもそっぽを向いているような母に、家らしくない家で育てられた。うまく人と話すことができず、人の話に答えようとすると、とたんに雑音が混じって聞き取れなくなる私には、何かが足りない。それでも息をひそめるようにどうにかやってきて、高校を出て就職したが半年で失業し、ホームヘルパーになった。最初の派遣先は、かつて中学教師をしていた79歳の横江先生の家だった。

先生の息子は額装の仕事をしていて、私は懐かしいガーシュウィンの曲を聴き、もの悲しい旋律に幸福感を覚えた記憶をたどる。先生の息子が誰のどんなしあわせを額装するのか興味を覚え、仕事の手伝いを始める。先生の孫の隼は、中学の頃の同級生だった。しかし、家族も気持ちもずっとばらばらだった私は、すべてをうろ覚えで見過ごしていたのだ――。

それぞれに欠落を持つもの同士が出会い、少しずつ知り合っていく。〈たくさんの言葉を聞き洩らし、たくさんの合図を通り過ぎてきた〉私の気持ちが、ゆっくり静かにほどけて風景に織り込まれていくようすを描いた、「はじまりの物語」。滑らかに連なる文章の読み心地がとてもよく、やさしい”旋律”に心がそっと包み込まれる。

黒い魎』 岡崎大五:著/祥伝社:刊/1,700円+税

『黒い魎』

黒い魎
祥伝社 刊

母がパチンコで作った借金を返すため、かつて”族”のリーダーだった加納薫堂に誘われて上京、振り込め詐欺に手を染める山岸保。2011年3月11日、東日本大震災が発生し、混乱に乗じての金儲けをたくらんだ薫堂は、保の故郷である南三陸の被災地に乗り込む。

一方、就職活動に失敗してコンビニでバイト生活を送る藤堂泉は、つきあって3年の東大出の商社マン、川口孝仁にプロポーズされ、幸せの絶頂にいた。ところが地震が発生し、川口は社に戻り、泉は帰宅しようと歩き出す。泉は、まさかこの地震が、自分の人生まで激しく揺さぶることになろうとは、この時点では考えていなかった――。

災害に乗じて金儲けをたくらむ男、凄まじい悪党の影響下から抜け出そうともがく男、就職に失敗したうえに家庭が崩壊し、ボランティアに身を投じるフリーター。キー局キャスターへ転身したい野心から、あらん限りの「腕」を使って震災をレポートする女性アナウンサー、漁協改革を進め、地域おこしに成果をあげていた矢先、災害に見舞われた漁師、外国人の目で日本の今を見つめる、アメリカ人特派員……。

東日本大震災を真っ向からの題材とし、未曾有の災害の地で交錯する群像の姿と、人間の清濁を描き出した、長編サスペンス。

感じて歩く』 三宮麻由子:著/岩波書店:刊/1,800円+税

4歳のときに視力を失った著者は、全盲という自身の状態を「シーンレス」と呼んでいる。「視覚障がい」「全盲」などマイナスイメージの強い言葉を使わず、「シーン(風景)」が「レス(ない)」と、目の前に視覚的な風景がない事実だけを、ありのままに受けとめている。

著者は、外資系通信社で報道翻訳に携わり、執筆や講演も行ってきた。「定期的な移動」(通勤)と「未知の場所への移動」(取材、講演)の経験が豊富な著者が、そもそも「歩く」とはどういうことなのか、白杖と全身の神経を使ってきた実体験から綴ったのが本書である。

自立支援とは、「ひとりでできるようにする」ことではなく、「できる手段を増やす」ことだと著者は記す。自立とは自己決定できることで、「ひとりでできる」ことではない。移動に制限がある人にとって、行きたい場所に自由に行けることは最大の喜びのひとつ。歩行支援は、人間の尊厳を取り戻すための支援なのだが、本書を読むと、「シーンレス」にとり、路上がいかに危険でいっぱいの場所であるかがよく分かる。

それでも歩くことは、大地の感触や外界を感じ、自分の存在そのものを感じる手段なのだ。誰もが歩きやすい=生きやすい社会を模索する、体験的ルポエッセイ。

東京ドーン』  早見和真:著/講談社:刊/1,400円+税

「マネージャー気質」の自己PRが受け、二流大学の三流学部から、一発逆転で大手旅行会社に就職した「僕」だったが、激務で鬱病を発症してしまった。課長に辞意を伝えようとした矢先、恋人から妊娠を告げられる…(「新橋ランナウェイ」)。

結婚したいのにフリーター生活の「ボク」。〈そもそも切羽詰まるってほど何かにがんばってきたのかよ、お前はさ〉と嘲笑されて言い返せない。一念発起し、IT企業への就職を試みる…(「北新宿ジュンジョウハ」)。

大手住宅設備メーカーのショールームで受付兼案内の仕事に就いて2年になる「私」。条件抜群の彼氏が結婚を言い出してくれず、合コンに励むようになった…(「成城ウィキペディエンヌ」)。

さらに「十条セカンドライフ」、「二子玉ニューワールド」、「碑文谷フラワーチャイルド」と、計6編を収めた連作短編集。6編の主人公はいずれも27歳。社会人になって数年経ち、〈自分が正しいと開き直るつもりはない。だけど、理想だけでは絶対に人生は回らない〉(「北新宿ジュンジョウハ」)と、理想と現実のギャップにさらされてもがく、東京で暮らす若者たちを生き生きと描く。登場人物が連環し、6編をあわせて読むと味わいが増す、今の「27歳」への応援歌。

(C・A)

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