Web版 有鄰

518平成24年5月2日発行

有鄰らいぶらりい

君のいない食卓』 川本三郎:著/新潮社:刊/1,400円+税

カード会社の会員誌に2007年から2010年にかけて連載された、「食」をめぐるエッセイを編んでいる。

著者の妻は、2006年に食道がんと分かり、闘病中だった。迷った末、看護の傍ら、著者がこのエッセイを書くことにしたのは、食を書くことで料理好きの妻のことを書けると思ったから。2008年、妻は57歳で亡くなり、著者は「ひとり者」になった。

朝は土鍋でご飯を炊く。3食のうち朝をとくに大事にして、納豆、野菜、焼魚、卵焼きなどをしっかり食べる。昼は、朝の残りで炒飯を作ることが多い。学生時代に中華料理店で働いたことがあり、不得手ではない。それでも、残りものでちょっとしたご馳走を作った、妻の手際の再現はなかなか難しい。

ウナギ、オムライス、納豆汁、梅干し、豚汁、三色御飯の弁当、猫めし、カニ玉、サンマ、ポーク・ソテー、漬物、キンピラゴボウ、だし巻卵など。でてくる食べ物はごく日常的なものばかりだが、著者の文章で語られると、最高のご馳走に思えてくる。何げない食べ物のまわりにあった、妻をはじめ、母、先輩、旅先で出会った人など、亡き人や風景の懐かしさが、著者の文章によって鮮やかに描きだされているからだ。食エッセイの”極み”ともいえる、優れた一冊である。

野蛮な読書』 平松洋子:著/集英社:刊/1,600円+税

9784087714241

野蛮な読書
集英社刊

買いそびれていた開高健『戦場の博物誌』の文庫本を書店でみつけ、著者は旅にでた。雪とみぞれが降る能登の宿で本のページをくると、奇妙な感覚につかまった。〈からだのなかに物語が構築されながら、いっぽう自分の記憶がじいじいと小さな音を立てて蠕動をはじめ、しだいに言葉と呼応し、反応を高めてふくらんでゆく〉――。

冒頭の1編「能登とハンバーガーと風呂上がり」にはじまる、本のエッセイ13編を収録。2010年から2011年にかけ、文芸誌に連載されたエッセイを編んでいる。

たとえば冒頭の1編で、登場する本は『戦場の博物誌』のみならず。松本清張『或る「小倉日記」伝』、川上未映子『ヘヴン』、川崎徹『猫の水につかるカエル』など続々である。ある本から別の本が思い起こされ、数珠つなぎに世界は広がっていく。”本は本をつれてくる”のだ。

13編に登場する書籍や作品は、全103冊。書店で荒川洋治『ラブシーンの言葉』を手にしたのをきっかけに、官能小説の巨匠、宇能鴻一郎氏にがぜん関心を深めて私論に至った1編「わたし、おののいたんです」ほか、どれも読みごたえ抜群。子供時代に読書の快楽に取り憑かれ、以来ずっと読んでいる著者の、本に対する健啖ぶりが縦横に味わえるエッセイ集。

煙とサクランボ』 松尾由美:著/光文社:刊/1,400円+税

都会のビルの地下に、小さなバーがある。開店直後はいつも人が少なく、ある日の客はふたりである。ひとりは若い女で、もうひとりは五十年配の紳士。女は紳士に悩みを打ち明け、「来週も火曜日に来ます」と約束してバーを出たのだが、彼女は知るよしもなかった。実は、紳士が幽霊であることに……。

この長編ミステリーの主人公は、幽霊。中折れ帽がトレードマーク、「炭津」と名乗る彼は、生きていれば70歳。14年前に死に、なんらかの思いを残してこの世にとどまっている。食事など、命あるものが当たり前にできることが炭津にはできない。一瞬でも取り込めるのは煙くらいだから、数少ない楽しみは煙草をくゆらすこと。

そうとは知らず、バーで炭津と知り合った若い女、立石晴奈は、芽が出ない漫画家の仕事を続けるかどうか悩んでいる。さらに、幼い頃、家族旅行にでかけた際に放火で家が全焼、焼け跡から家族のだれも知らない女の写真がでてきた、「立石家の謎」を打ち明ける。炭津は、謎を解いてくれるのか? 晴奈は、温厚な炭津に淡い恋心を抱く。

炭津、晴奈、バーテンダーの柳井。微妙な三角関係が織りなされる、心温まるミステリー。生者のように擬態する炭津の姿と、この世に残した思いがせつない。

ローラ・フェイとの最後の会話』  
トマス・H・クック:著 村松潔:訳/早川書房:刊/1,700円+税

歴史学者のルークは、米南部の田舎町グレンヴィルに生まれた。町でいちばん優秀な子供だと賞賛された彼は、「生きた歴史」を書きたいと少年時代から願いながらいまだ果たせず、三流大学の講師に落ち着いている。

新著の宣伝のため、セントルイスを訪ねた彼は、講演会場で思いもよらなかった人物と再会する。ローラ・フェイ・ギルロイ。母より20歳ちかく若かった、無教養な彼女のために、しがない商店主だったルークの父は、血だまりの中に倒れた。牧歌的な南部の小さな町は、一転、悲劇の舞台となり、ほどなく母も世を去ったのだ。

20年ぶりに再会したふたりは、ホテルのラウンジでひっそりと会話を始める。ルークの父、母、ローラの夫だったウディら、死んでしまった人々のことを振り返ることになる。ルークは、歳月をへて肉づきを増し、疲れた中年女になったローラとの会話を早々に打ち切るつもりだったが、このローラとの会話が、ルークの過去を掘り起こし、現在も揺り動かすことになる。過去の暗やみに埋もれていた驚愕の真実とは――。

たったふたりの会話を通して、この世界のすべての人々に普遍する、胸うたれる物語を描きあげている。米ミステリー界の巨匠による、新たな傑作である。

(C・A)

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