自宅アパートが火事になり、看護師・前田恵子の内縁の夫、英明が焼死した。通夜の日、連続放火事件を捜査する東池袋署の刑事・夏目信人が、恵子の前に現われる。刑事でありながら、夏目には威圧的な雰囲気がなく、人を包み込むような優しいまなざしを持っていた。だが、優しいからこそ、彼は人の心の繊細な動きを理解し、捜査の過程にある微かな「証拠」を捉えるのだった。夏目が見抜いた、放火事件の真相とは――。
この冒頭の一編「オムライス」をはじめ、主人公の夏目信人が犯罪に立ち向かう七編を収めた連作ミステリー。夏目は、10年前の通り魔事件により、愛娘の笑顔と健やかな日々を奪われた「過去」を持つ。彼は心理職のプロで、少年鑑別所で少年たちの心理を調査する法務技官を務めていたが、通り魔事件を機に、30歳で刑事に転職した。
前科のある青年が過去と対峙する「黒い履歴」、ホームレス殺人事件を描いた「ハートレス」……。児童虐待、貧困、リストカットなど、社会問題も絡む事件の真相が解き明かされていく。最後に収められた表題作で、夏目は自らが犯罪被害者となった、10年前の事件を見つめることになる。そのとき、夏目が下した決断は?人物たちが織りなす熱いドラマと、謎解きの両方が堪能できる傑作だ。
原生林に放置されていた車の中から、身元不明の男性の白骨遺体が発見された。遺体の近くには、やはり白骨化した犬の死体が……。男性は死後1年以上、犬は死後3か月以上経過していたが、とすると、男性の死後、少なくとも9か月間を犬は生き延び、男性の遺体と共に過ごしていたことになる。犬は、なぜ逃げなかったのだろうか。
ケースワーカーの「私」は、少々気の重い業務を終えた帰路、原生林で男性と犬の遺体が発見されたというニュースを、ビル壁面の電光掲示板で目にする。「私」も昔、犬を飼っていた。「バン」と名づけて最初は大喜びで遊んだが、やがて飽いて放っておくうちに、バンは老いて死んだ。祖父も両親もみんないなくなり、ひとりぼっちになった「私」は、今、思うのだ。〈もっと、怖れずに、愛すればよかった〉――。
ある日、電光看板に流れたニュースを見た「私」の独白から語りおこされ、本編では、犬の視点からの物語が綴られる。昨年刊行され、日本中が涙した大ヒットコミックを、その深い物語性に胸打たれた人気作家が、小説として書き下ろした。社会的弱者にあたたかいまなざしを注ぎ、大切なことを教えてくれる物語。文章で読んでも胸がじんわりと熱くなる、感動の小説化である。
1964年生まれの著者は、ベルリンで刑事事件に携わる高名な弁護士。ナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハの孫でもある。著者の処女作である本書は、ドイツで45万部のベストセラーになり、クライスト賞など数々の文学賞を獲得。30か国以上で翻訳されている怪作だ。
11編が収められ、さまざまな境遇の人が犯した「奇妙な事件」が淡々と綴られている。温厚で公私恵まれているかにみえた老開業医が突如犯した凄まじい事件(フェーナー氏)、古ぼけたガラクタを盗んだ町のチンピラを襲った恐怖(タナタ氏の茶わん)、富豪の父から逃れて新たな人生を築こうとした姉弟の悲しい運命(チェロ)、兄を救うために法廷中を騙そうとした犯罪者一家の末っ子(ハリネズミ)、逃亡先の寒村で思わぬ幸せに恵まれた銀行強盗(エチオピアの男)……。
本書の筆致は、犯罪のありようを実にシンプルな散文で語るのみだ。それなのに、奇抜な設定を駆使したサスペンス小説やホラー小説を凌駕するほどの「戦慄」を、現実の事件から抽出している。〈さあ、櫂を漕いで流れに逆らおう。だけどそれでもじわじわ押し流される。過去の方へと〉――。この哀切で文学的な一文は、現実の犯罪者の心を打ったものである。
大手の〈はと〉と違い、名の通りの弱小バス会社〈すずめバス〉のバスガイド町田藍は、「幽霊と話ができる」特技を持つ。本書は、霊感バスガイド、町田藍が活躍する〈すずめバス〉シリーズの第六弾。揺れ動く心に苦しむのは、幽霊も生身の人間も同じこと。心霊現象をめぐる謎解きを通して、頑張っている人を励ます、人情味あふれる六編を収めた短編集である。
大人気ロックバンドの公演に行きたかったのに、悲しい死を遂げた十七歳の丹羽久美。追加公演の電話予約が行われ、”凄く長距離”から、死んだはずの久美が電話をかけてきた。念願のチケットを入手した少女の幽霊は、ライブ会場にやってくるのか?(幽霊予約、受付開始)。
ほかに、仕事を干されたアイドルが、廃墟となった病院でひと晩を過ごす「色あせたアイドル」、おとなしい中年主婦が、美術館で何となく共感を覚え、見つめた絵の中の貴公子に恋されてしまう表題作、大製薬会社の剛腕会長と、小会社の平社員の体が入れ替わる「失われた男」など。作品に込められたユーモアが楽しく、この世の真実を教わり、ふっと肩の力が抜ける。著者は、2008年に著書500冊という金字塔を達成。本書はさらなる新作のひとつだが、やっぱり面白い。
(C・A)