Web版 有鄰

515平成23年7月11日発行

ほんとうの横浜 – 海辺の創造力

藤原帰一

横浜の人間だ、という気持ちがある。

生まれたのは東京。父の職の関係から引っ越しを繰り返したので、小学生の頃まで、ここが故郷だと思えるようなところがなかった。外国にいても日本にいるときも、本来の住民ではない余所者、闖入者のような居心地の悪さがつきまとっていた。

中学生の時、横浜に引っ越してから、気持ちが落ち着いた。その後も留学や結婚で住居を移したけれど、いつも横浜に帰ってきた。90年代に入って自分の家を横浜に建て、子どもたちも横浜の学校に通い、横浜の人間だと思うようになった。

では、横浜はどこを指す言葉なのか。そこがよくわからない。

篠原町、駅でいえば東横線の白楽に近い私の実家についていえば、ここは横浜だという手応えがある。栗田谷を越えれば港に続く平地だし、県知事の公邸も近い。本牧・山手からぐるりと港を取り囲む山の手の、そのいちばん端っこというイメージだ。

でも、いま住んでいる戸塚が横浜だ、という感覚が私にはない。横浜よりも劣っているとか優れているとかいった序列の問題ではない。横浜が開ける前から東海道の宿場町として伝統を誇っていたということもあり、戸塚は横浜である以前に戸塚なのである。

それでいえば、横浜駅が横浜だという気持ちも少ない。横浜駅周辺よりも野毛や伊勢佐木町の方が市街地も古い。私にとって横浜駅とは横浜への入り口という意味だった。有隣堂だって駅地下のお店で買うことの方が多いのに、伊勢佐木町が本店、ダイヤモンド地下街は世を忍ぶ仮の姿だと思いこんできた。

もちろん私の頭が古いのである。桜木町から大桟橋にかけての「横浜」は開港地の横浜であり、戸塚区とか緑区とか多くの外延を抱えた大都市とは意味が違う。後者は人口は多くても要するに東京への通勤客を抱えた「ベッドタウン」(凄い言葉ですね)としての横浜、前者は人口こそ少ないかも知れないけれど、文明開化の中心拠点、『或る女』の早月葉子が汽車に乗ってわざわざ買い物にやってきた横浜だ。私は、それこそが横浜だ、「ベッドタウン」は横浜の偽物だという観念によって、郊外の住宅地となった横浜の実像から目を背けようとしていた。

文明開化のおしゃれな町というだけではない。港町だから闇の顔、犯罪だってあるだろう。かつての日活アクション映画では、横浜の倉庫に集うのがギャングの習わしだった。いまはショッピング・モールに姿を変えた新港埠頭は、撃ち合いにはピッタリのフォトジェニックな空間だった。

そんな古い「横浜」への郷愁が、私にはある。しかし、私が中学生で引っ越したとき、古い「横浜」はほとんどなくなっていたはずだ。私は、自分が経験したことのない「過去」を仮構し、覚えているはずのない「過去」を思い出し、自分の経験であるかのように思い込んで、「過去」を懐かしんでいることになる。それが私にとっての、ほんとうの横浜だ。

(東京大学法学政治学研究科教授)

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