Web版 有鄰

512平成23年1月1日発行

佐藤泰志がいた – 2面

松村雄策

文学賞を受賞すれば、より良い作品を書けただろう人も

佐藤泰志『しんびよう』平成元年8月号(新美容出版)から函館市文学館提供

佐藤泰志
『しんびよう』平成元年8月号(新美容出版)から
函館市文学館提供

いつだったか、ある小説家が〈自分の作品が芥川賞の候補になるのは嬉しいのだけど、受賞出来ないことを思うと憂鬱になる〉というようなことを書いていた。候補になれば期待もするし、周囲の人達に注目もされる。

それが受賞出来なかったとなると、なまじ発表されているから、まるで落とされてしまったかのような形になる。周囲の目も変わるし、何か試験に失敗したようにも見られる。自分の作品が駄目なもののような印象になる。そういうことなら、候補作は挙げないで、受賞作だけ発表してもらいたい。

たしかに、そうだろう。小説家は賞のために作品を書くのではないけれど、受賞すれば嬉しい。数ある文学賞のひとつとはいえ、芥川賞と直木賞の認知度はとても高い。それでも、そういった賞を受けていなくても、確実に活動している小説家はたくさん存在する。

なんてったって、村上春樹が芥川賞を受賞していないのだ。これなんか、村上春樹を落とした選考委員に、今どう思っているのか訊ねてみたい。今度選考委員になった島田雅彦も、受賞していない。受賞していない者が選考委員になるのが面白いと、本人は言っている。

また、ある直木賞作家は、〈直木賞に照準を定めて書いた作品が、狙いどおりに受賞した〉と書いていた。自分の家や親をテーマにすると、受賞することが多いというのだ。こうなるというと、分からなくなる。賞のために、書くのだ。

別の直木賞作家は、〈直木賞を考えていたので、TV出演などの派手な行動を控えていた〉と書いていた。だんだん、バカバカしくなってきた。そして、ある作家は、〈あなたの本はよく売れるので、直木賞は貰えないだろうと言われた〉と書いている。作品の評価ではないのか。

そういう賞を受賞して着実に作品を発表している人もいれば、いつのまにか名前を見なくなる人もいる。それは本人の問題だといえば、それまでなのだけど、今書いたように、納得のいかないところもある。受賞してもしなくても、書き続ける人。受賞すれば、より良い作品を書けただろう人もいるだろう。

苦しい状況の中で書き続け、1990年に自殺

佐藤泰志は芥川賞候補に5回、三島賞候補に1回なって、一度も受賞出来なかった小説家である。選ばれては落とされるということを、6回もされたのである。素人から見れば、それだけ何度も候補になるというのは、実力がある証拠だから、受賞してもいいのではないかと思う。これだけ持ち上げられては落とされていたら、かなりのダメージがあったのではないだろうか。

佐藤泰志は精神が不調なことが少なくなかったというから、それは応えたのではないだろうか。1990年彼が自殺したという報道を読んだとき、僕は芥川賞を受賞していたら死ななかっただろうなと思った。みんなそうだと言われるかも知れないけれど、苦しい状況の中で彼は書き続けていたという。芥川賞を受賞していれば、まったく違っていたと思われる。

少なくとも、自殺することはなかっただろう。愛読者としては、何故佐藤泰志を選んでは落とし続けたのか、選考委員に詰問してみたい。あなた達がもう少しまともな判断が出来れば、才能ある小説家は書き続けただろう。あれから、20年である。

故郷の函館を舞台にした短編連作『海炭市叙景』

佐藤泰志『海炭市叙景』・小学館文庫

佐藤泰志『海炭市叙景』
小学館文庫

佐藤泰志は1949年に函館で生まれて、高校生のときから小説を書き始めている。大学を卒業してからは、生活のために別の仕事をしながら小説を書き続けた。前記のように、何度も芥川賞の候補になりながら、果たせなかった。そして、1990年10月9日、自殺した。

生前の著書は、『きみの鳥はうたえる』(1982年)、『そこのみにて光輝く』(1989年)、『黄金の服』(1989年)の3冊だった。そして、自殺した翌年の1991年に、『移動動物園』、『大きなハードルと小さなハードル』、『海炭市叙景』の3冊が発売された。

「きみの鳥はうたえる」が「文藝」に発表されて、初めて芥川賞の候補になったのが1981年だから、名前が知られるようになってから、10年もなかったことになる。惜しいというよりも、悔しいという感情のほうがより強い。

これらの6冊の著書も絶版になって、いつのまにか佐藤泰志の本は読むことが出来なくなってしまった。実は、僕はいくつかの出版社に佐藤作品の文庫化を打診したのだけど、うまくいかなかった。

そして、忘れ去られそうになった2007年、クレインという出版社から、代表作を集めた『佐藤泰志作品集』が発売された。2段組で670頁で3,300円というのは、信じられないような価格である。

ここに収録されている『海炭市叙景』は、彼の故郷函館を舞台にした短編連作で、それを読んだ地元の人達がこれを映画にしようということになって、市民が集まって製作することになった。その映画は、現在上映されている。

小説『海炭市叙景』は全18篇の短編連作で、各々の作品が微妙に関係している。映画では、その中から5篇を選んでいる。監督は『鬼畜大宴会』や『空の穴』や『ノン子三十六歳(家事手伝い)』の熊切和嘉で、さまざまな風を吹かせている。普通の人間が抱えた問題を、時にドロドロと時にサラサラと表現している。

このように、佐藤泰志の作品が注目されるのは、実に嬉しいことで、この映画に合わせて、『海炭市叙景』は小学館から文庫にもなっている。ぜひ、たくさんの人に、佐藤泰志の小説を読み、佐藤泰志の映画を見てもらいたい。

佐藤泰志の小説のほとんどは、青春小説といってもいいだろう。あの70年代には普通に思っていた、今考えると風変わりな青春である。青年であって、少年であって、老人のような、青春である。あの時代を潜り抜けた世代を代表する小説家だったのである。

興味を持ったのはジョン・レノンに関する仕事から

さて、最後に、何故僕が佐藤泰志に興味を持ったのかということを、書いておこう。『きみの鳥はうたえる』、これは明らかにビートルズの「アンド・ユア・バード・キャン・シング」だろう。僕はビートルズに関する仕事が多いので、気になってしょうがなかった。知り合いの文芸誌の編集者にそのことは伝えたけれど、残念なことに会うことは出来なかった。

そして、自殺が1990年10月9日である。これは、つまり、ジョン・レノンが生きていたら、50回目の誕生日である。彼の存在を知ったのも、彼の死を知ったのも、ビートルズというか、ジョン・レノンだったのだ。一度、そういった話をしてみたかった。

そのビートルズのジョン・レノンの作品に、「ひとりぼっちのあいつ」という曲がある。原題は「Nowhere man」で、「どこにもいない男」ということになる。しかし、これはジョン・レノンのいつものマジックで、ひとつずらすとまったく逆になる。つまり、「Now here man」で、「今ここにいる男」ということになるのである。

長い間ずっと、「Nowhere man」状態だった佐藤泰志は、これからは「Now here man」になってもらいたいと願う。

松村雄策 (まつむら ゆうさく)

1951年東京生まれ。音楽評論家、文筆家。雑誌『ロッキング・オン』を創刊。
著書『ビートルズは眠らない』ロッキング・オン 1,500円+税、『苺畑の午前五時』筑摩書房(品切)、共著『渋松対談Z』ロッキング・オン 1,300円+税、ほか。

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