Web版 有鄰

555平成30年3月10日発行

桜と日本人 – 2面

水原紫苑

なぜ人々は桜に夢中になるのか

お花見と言えば桜を見ることである。決して他の花ではない。10代から20代にかけて、そのことがどうにも不思議でたまらなかった。

美しい花は他にも沢山ある。水仙、梅、椿、牡丹、杜若、薔薇、百合、朝顔、萩、桔梗、菊など、年間を通して次々に花が咲く。花ではないが紅葉も美しい。

それなのに、なぜ桜は別格なのか。桜は本当にそんなに美しいだろうか。桜は一輪で見ると、小さくてはかない印象の花である。切れ込みの入った花びらの形はきれいだが、圧倒的な美しさというほどではない。だが、集合体となって花の雲のようになると、確かに他の花にはない神秘的な迫力が噴き出して来る。

しかし、それを夢中でほめそやす人々を見ると、気むずかしい奴と思われるだろうが、なぜかまた心外な気がするのだ。家の近所にも桜の咲く公園があって、グループでやって来て花見の宴会を催している人々がいる。みんなうれしそうで、ご馳走を食べながら、きれいねえと口々に感嘆している。

もっとひっそりと、各自で桜を愛でることはできないものか。何も集まって一斉に見なくてもいいではないか。

実は、はるか昔にそう言った人がいる。こよなく桜を愛した大歌人西行(1118~1190)である。

閑ならんと思ひける頃、花見に人々のまうできければ
花見にとむれつつ人のくるのみぞあたら桜のとがにはありける
〈閑居しようと思っていた頃、花見に人々がやって来たので
花見をしようと群れ集まって人が来ることだけが、惜しいことに桜の咎であるよ〉

静かに桜を眺めようとしていたら、大勢の人々がやって来て、心をかき乱されてしまった。思わず桜よお前のせいだと文句を言ったのだろう。

ところが、桜はそれを聞いて西行に反論する。というのが、世阿弥作の能『西行桜』である。今年ばかりは花と自分と1対1の時空を楽しもうと、花見禁制にしていた庵室に、どかどかと花見客が押し寄せて、西行は嘆くのだ。すると、西行の夢の中に、老木の桜の精が現れて、「桜に咎などない」「煩わしいと思うのも人間の心次第だ」と西行を諭す。これにはさすがの西行も一言もない。桜の精は、西行と友のように語り合って、夜明けに別れを惜しみながら消えて行く。

桜の精の言う通り、のどかに過ごすのも苛立つのも、人間の問題であって、桜の咎ではない。

だが、桜に限って、人の反応が気になるのは、この花に必要以上の日本人の思いが加えられているからではないだろうか。その思いとは何だろう。

西行も心を寄せた吉野山の桜

私は桜が本当に美しいのかという疑問を持ちつつ生きて来たが、実はこの上なく美しい桜を見たことがある。

西行ゆかりの吉野山の桜である。西行はさまざまなところに庵を結んだが、とりわけ吉野山の桜を愛した。

吉野山の桜(上千本)

吉野山の桜(上千本)

私が行った年は花が早く、いちばん下の下千本、次の中千本、上の上千本と、全部の桜が咲き終わっていた。一同がっかりしたのだが、まだ雪の消え残る山道を苦労して登ると、西行の庵があったという奥千本の桜が今を盛りと咲いていたのである。

吉野山の桜は江戸時代末期から全国に広まった染井吉野ではなく、昔ながらの山桜である。真っ白な、生まれたてのような花が、見はるかす谷いっぱいに咲き満ちて、美しいと言うより、神々しいと言う方がふさわしい感じだった。ああ、桜は本当に美しいのだと、確信させられた瞬間だった。

しかしまた、見てはいけないものを見てしまったような気もした。これほど美しいものを人間が見ることは許されているのだろうか。

西行もこの桜を見てしまったのである。

吉野山梢の花を見てしより心は身にも添はずなりにき
〈吉野山の梢の桜の花を見た日から、私の心はこの身に添わず、離れ出てしまった〉

天に近い梢の花を見た日から、あくがれ出た心は、一体どこに行ってしまったのだろう。宇宙の果てをさまよっているのか。あまりにも美しい花がもたらす、陶酔と狂気の境を歌った絶唱である。

ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃
〈私が願うのは、満開の桜の下で春に死ぬことだ、それも2月の満月の頃〉

よく知られたこの歌の通り、吉野山ではなかったが、西行はきさらぎの望月の花の頃に死んだ。人間の思いが運命を動かした稀有な例と言えようか。桜に命を捧げて、さぞかし満足であっただろう。

桜に対する日本人の思いの変化

桜が美しいという観念を定着させたのは王朝時代の古今和歌集であった。それまでの桜は、農耕の豊穣を祈る霊的な花だったのである。やはり、本来人間が眺めて楽しむべき花ではなかったのだ。思いを寄せてはいけなかったのである。

おびただしい王朝和歌の桜は、その危険なまでの美しさの毒を消すためにひたすら詠まれているような印象すらある。過剰な思いは花を重くさせた。今でも桜の歌を詠むには相当の覚悟が要る。千年以上の思いの堆積と向き合わなければならないからだ。

『源氏物語』の中でも、桜の場面には、必ずと言っていいほどスリリングな展開が仕掛けられている。光源氏が須磨に退去する逆境のきっかけになった朧月夜との恋も、花の宴で舞った興奮冷めやらぬ源氏の戯れ心から始まった。源氏の晩年の若い正妻女三の宮が、柏木に姿を見られてのちに密通することになる蹴鞠の場面でも桜が咲いていた。

だが、近世になると、「花は桜木、人は武士」という風に、桜はその散り際を、武士が惜しみなく命を捨てるのに重ね合わせて賛美されるようになる。

そして、近代では、有名な軍歌の『同期の桜』に典型的なように、戦場で命を散らす兵士の精神を鼓舞するために桜が利用された。その行き着く果てが「英霊」となって靖国神社に祀られることであった。

私も母の兄が沖縄で戦死している。多くの市民を巻き込んだ、凄惨な国内唯一の地上戦であった。伯父はぱっと散りたいなどと考えただろうか。市民の方々はもちろん、兵士たちも誰もがもっと生きたいと思っていたに違いない。

二度と桜を戦争に利用させてはならない。

そこで問題になって来るのが、桜の霊的なエネルギーと、一方向に偏りやすい日本人の心性である。

前にも述べたように、桜は祈りの花だった。純粋な、この世のものでないようなエネルギーを放っている。

お花見で人々が酔っ払うのも、その霊的なエネルギーに陶酔してしまうのだろう。自然の摂理に敏感である証なのかも知れない。

それはいいのだが、桜による陶酔感が日本人全体を動かし、一方向に持って行くようになっては不幸なことだ。

現に戦前には、軍歌以外にも、『桜音頭』という歌が大流行して、映画までできた。1934年のことである。満州事変が1931年だから、日本の中国に対する侵略戦争は既に始まっている。この歌は、戦争に向かう日本人の心を桜によって一つに結びつけようとした。

今でも桜を思想的なアイコンとする人々がいる。

しかし、桜は花であって、それ以外の何物でもない。

桜が日本人のすべての雑念から解き放たれた時、私はもう一度素直に、桜は本当に美しいと言えるだろう。

水原紫苑 (みずはら しおん)

1959年神奈川県横浜市生まれ。歌人。
著書『桜は本当に美しいのか』(平凡社新書)860円+税ほか多数。

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