Web版 有鄰

511平成22年11月10日発行

いのちを守る森づくり – 1面

宮脇 昭

今なぜ森か

宮脇昭氏 第5回ケニア植樹祭で(2009年4月)

宮脇昭氏 第5回ケニア植樹祭で(2009年4月)

中国山脈の山あい、現在の岡山県高梁市に生を受けた私は緑の中で育った。針葉樹の植林地やクヌギ、コナラなど落葉樹の雑木林が間近に見え、小川が流れる谷間に向かって棚田が作られ、斜面をならした畑には様々な作物が植えられていた。子どもの頃は周りが緑であるのは当たり前で、私は、教科書に載っていた工場の煙突から煙がもくもくと立ち上る都会の写真を、飽きもせず眺めたものである。電車やバスが走り、飛行機の爆音も聞こえてくるような町の生活はあこがれであった。

昭和27年、広島文理科大学を出て就職した先は、神奈川県鎌倉に当時校舎があった横浜国立大学学芸学部(現教育人間科学部)であった。横須賀線で横浜、東京と一直線につながっていて、子どものころ夢見た都会暮らしがようやく実現したと満足したものだ。それから半世紀が経った。今の都市生活はどうであろう。

テクノロジーの発達によって、私たちはかつて人類が夢想だにしなかったような便利で物質的には豊かな生活を享受している。新聞、テレビ、書店に所せましと並ぶ出版物、さらにインターネットと、あらゆる情報が巷にあふれ、兄たちが残した1冊の『少年倶楽部』をむさぼるように何度も読み返した小学生のころとは、隔世の感がある。

しかし、周囲をコンクリートなど非生物的材料に囲まれ、物とエネルギーと情報の洪水の中で、時代に遅れまいと皆がアップアップしている。そして動物の世界でも見られないような家族間の殺人や養育放棄など不幸な事件が毎日のようにメディアを賑わし、また少しの行き詰りから簡単に自らのかけがえのないいのちを絶つ人も少なくない。日本では毎年3万人以上が自殺しているという。今、最も大事な、いのちの問題が忘れられているのではないか。

あなたが今生きているのは、約40億年前に原始のいのちが奇跡的に地球に誕生し、そのいのちの糸がよくも切れずに今日までつながってきたからである。私たちのいのちは、緑の植物によって支えられている。地球の生態系の中で、緑の植物は唯一の生産者であり、人間も含めた動物は消費者、つまり、緑の植物の寄生者である。どれほど科学・技術を発展させ、物質的欲望を満足させたとしても、人間は緑の植物の寄生者の立場でしか持続的には生きていけない。

そして今、寄主である緑、とくに緑の表面積が芝生の約30倍ある土地本来の多層群落の森があまりにも少なくなっている。木を植えるのは、野鳥や虫たちがかわいそうだから、だけではない。社会貢献という名目のためでもない。あなたが、あなたの愛する人が、人類が、未来を健全に生き延びるために、土地本来の森を再生しなければならないのである。森はいのちであり、あらゆる生物の生存の母体であることを正しく認識しなければならない。

森の現状

日本は森が多いという。たしかに見かけ上緑は多い。しかしそのほとんどは針葉樹の単植林や二次林である雑木林である。四季を通して十分な降水量がある日本は、かつて国土の98%が土地本来の多層群落の森で覆われていた。しかし今では、関東以西の海抜800メートル以下の照葉樹林域では、残存している土地本来の森はわずか0.06%にすぎない。

横浜国立大学正門前の植樹(12年後)

横浜国立大学正門前の植樹(12年後)

神奈川県でも同様である。神奈川県は相模湾、東京湾に面し、多摩川、相模川、酒匂川など河川も多く、沖積低地から丘陵、1,600メートル級の山が連なる丹沢など、多様な自然環境に恵まれている。全国土の約0.6%しかない県土に900万人の人が住んでいるが、これは東京都についで多い人口である。また人口密度からいえば東京、大阪についで3番目である。鉄、コンクリート、石油化学製品など非生物的材料からなる産業立地、交通施設が集積する横浜、川崎などの大都市を擁し、いのちの基盤であるふるさとの木によるふるさとの森、鎮守の森は激減している。

1976年から3年間、神奈川県教育委員会の依頼で県内の社寺林の調査を行った。その結果、2,850あった鎮守の森のうち、高木層、亜高木層、低木層、草本層がそなわり多層群落の森として機能している鎮守の森は、わずかに40しか残っていなかった。戦後の急速な自然開発、都市化、産業立地化によって、いかに土地本来のいのちの森が消滅していったか。

繁栄と破滅

地球温暖化の影響か、日本ではこの夏最高気温が35℃を超す猛暑日が続き、世界各地でも異常高温、干ばつ、地震、ゲリラ豪雨による洪水など異常気象が頻発している。30年後、50年後に地球はどうなるのか、世界の研究者たちはさまざまな予測を立てている。しかしエコロジカルには、この程度の環境悪化では、68億の人類が全滅することは当分あり得ない。ただ最も繁栄している都市や産業立地には破たんの危機が迫っているといえる。

シャーレで培養したバクテリア集団を例にとってみよう。生物は、バクテリアであっても、繁栄するために自分で自分の環境改善を行い、個体数を増やしていく。バクテリア集団は周辺より中央部が盛り上がり、凸レンズ状にふくらむ。その最も発達した中心部が、ある日突然落ち込む。死の中心(デスセンター)といわれている。これは、一時的に個体数が急増したときに、その中心部の大量死によって種を絶滅から守ろうとする、生物社会における摂理である。

物とエネルギーが有り余った都市や産業立地、とくに東京湾沿いは、シャーレ内で盛りあがったバクテリア集団の中心部に当たる。台風、地震などの自然災害や、新しい化学化合物の残留、複合などによる耐性ウィルスの出現などで、ある日突然死の中心になってしまわないよう、毒は排除し、すべての市民のいのちと心と遺伝子を守る土地本来の森を足元から再生しなければならない。

都市公園やビルとビルの間によく植えられている芝生は、永遠に管理費が必要であるが、防音、防風、空気の浄化、水質保全、斜面保全などの防災・環境保全機能は、土地本来の多層群落の森の30分の1程度でしかない。地球温暖化抑制に役立つカーボンの吸収・固定機能に至っては何百分の一に過ぎない。高木、亜高木、低木、草本層と立体的に緑が濃縮している土地本来の森こそが、私たちのいのちと心と遺伝子を守る。

森と人間

人類が地球上に出現して約500万年。そのうち499万年以上は、森の中で猛獣におののきながら木の実を拾ったり、若草を摘んだり、小川の小魚を取ったり、海岸では貝を拾ったりして生き延びてきた。セメント砂漠に暮らす現代の私たちの中にも、森と共生し森の中で生きてきた記憶と英知がDNAに刷り込まれているはずである。今、森と人間とのかかわり合いをもう一度問い直し、なぜ木を植えるか真剣に考え、森づくりに取り組んでいただきたい。

森の中で生き延びてきた人類は、人口が増えるにしたがって、周りの森を焼き払い破壊して、農耕地を開墾し、道路をつくり、町を大きくしていった。そして気づけば今、いのちの森が私たちの周りから消えている。確かに、これまでの人たちが夢にも見なかったような便利で豊かな、最高の生活をしている私たちではあるが、決して物とエネルギー、金や株券だけでは幸せに生きていけない。

東海市植樹祭(2009年2月)

東海市植樹祭(2009年2月)

真の幸福とは、今生きていることであり、それを喜び合えることである。森づくりに参加した人たちが最後に見せてくれるすばらしい笑顔は、土に触れ、いのちに触れた喜びにあふれている。

昨年(2009年)4月、赤道直下のケニアで、現地の人たちと一緒に赤土にまみれながら木を植えたとき、植樹後、誰からともなく手をたたきベリーハッピーと踊り始めた。彼らは今晩食べる物も十分にはなく、飲み水は遠くから運んで来なくてはならない状態で、物質的には決して恵まれていない。しかし底抜けに明るく、未来志向である。幸せとは今生きていることであり、明日のために何かすることであると、感覚的に知っているようであった。私はいのちを守る森づくりを続けよう、と改めて決意した瞬間であった。

いのちの森は、市民の癒しの場であり、新しい知的、感性的エネルギーの発展の母体である。ローカルには環境保全、災害防止の機能を果たし、地球規模では生物多様性の維持、カーボンを吸収・固定して地球温暖化の抑制に寄与する。このような多様な機能をもつ森を足元からつくって、かけがえのないいのちの糸を未来につないでいこう。次の氷河期がくる9千年先までもついのちの森づくりのノウハウと成果を、横浜、神奈川から日本中へ、そして世界へと皆さんと共に発信していきたい。

宮脇 昭 (みやわき あきら)

1928年岡山県生れ。横浜国立大学名誉教授、財地球環境戦略研究機関国際生態学センター長。著書『植物と人間』など多数。最新刊『4千万本の木を植えた男が残す言葉』河出書房新社 1,500円+税、『三本の植樹から森は生まれる』祥伝社 1,000円+税など。

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