Web版 有鄰

511平成22年11月10日発行

あなたなら、どう言う? – 海辺の創造力

田口ランディ

うれしいことに、湯河原町を流れる川の水は年々きれいになっている。その証と思うのが自生の蛍の復活で、今年も千歳川の川べりに飛ぶ源氏蛍の見事だったこと。梅雨もまた楽しと思う蛍かな。町役場は万葉公園で「蛍祭り」を企画し、何千もの養殖蛍を放している。確かに公園のなかに群舞する蛍は圧巻だが、人間の手が加わった「蛍祭り」はどこかあざとく、風流とは言い難い。

千歳川沿いに「ふく」という馴染みにしている居酒屋がある。奥に小さな座敷があり、その座敷の向こうは千歳川。わずかに障子を開ければ渓流の石走る音が聞こえ、ひんやりとした沢の風を受けて飲む冷や酒は格別だ。

蛍の季節、この座敷で友人たちと蛍狩りを楽しむのが恒例となってきた。蛍が見れるよ、と言うと、都会に住む人たちは「どうせ、1匹か2匹がひよひよ飛んでいるのだろう」とたかをくくってやって来る。自生の蛍が表参道のイルミネーションなみに点滅しているとは思えないのだろう。まあ、驚くなよと思いつつ、夕方の陽の高いうちから飲み始める。とっぷりと暮れた頃合いを見計らって、おもむろにすっと障子を開ける。すると皆、なにげに外を見て、はっと我が目を疑うのだ。

「あれ、蛍?」

「本物?」

それからは大騒ぎだ。どやどやと窓にたむろして「すごい、すごい、きれい」の大合唱となる。

イタリアのナポリに近いカプリ島に行った時のこと。ここには有名な「青の洞窟」と呼ばれる観光名所がある。スパゲッティの商品名にもなっているこの洞窟では、光の透過と反射の重なりが特別な青を描き出す。ターコイズのような青。感動的な青。乱反射する青の海面に言葉を失くしていると、ガイドのイタリア人がうれしそうに叫んだ。

「スゴ~イ、スゴイ、キレイ!」

どうだ、俺は日本語が上手いだろうと、鼻高々に、イタリア人のガイドはまた叫んだ。

「ワア、スゴ~イ、スゴイキレイ」

日本人の女の子のあの舌足らずな口調、イントネーションまで忠実に真似してみせたのである。ガクッと、白けた。頼むから黙っていてくれと思った。しかし、さすがイタリア人はサービス精神が旺盛で人懐こい。ウケようと思ってさらに繰り返すのだ。

「ワア、スゴ~イキレイ、スゴイキレイ」

ほのかな青白い光が渓流を飛ぶ。微風に乗りあちらへ、こちらへ。その様子を眺めながら、一同口々に叫ぶ。

「わあ、すごいきれい」

ああ、蛍を称賛するために、他の日本語はないのだろうか。そもそも私は作家ではないか。さあ、なんと言う。紫式部なら、清少納言ならどう言うか。いとうつくし、いとやさし、か。

毎年、密かに悩むのだが、いまだ腑に落ちる言葉を知らず、ただ心にて愛でるのみだ。

(作家)

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