Web版 有鄰

510平成22年9月10日発行

辻堂で書道教室をはじめて – 海辺の創造力

武田双雲

書道家というと未だに白髭をたくわえた着物のおじいさんで厳しそう。多くの日本人が書家や書道家と聞くとそんなイメージを頂いている。僕が書道家として活動し始めたのは、25歳の時。湘南にある辻堂という海に近い土地で書道教室をはじめた時は、訪れる人の100%がそう言うのだ。もちろん35歳になった今でも「若い」と言われる。一体いくつになったら、みなが想像する書道家にフィットできるようになるのだろう。そういえば、その「白髭のおじいさん」は誰がモデルなのか、そしていつからそういうイメージになってきたのだろう。

現代はパソコンが一気に普及し、世の中のあらゆる文字が「活字化」した。看板やチラシ、映画やテレビのタイトルだけでなく、手紙や年賀状まで。手書き文字が急速に減っていった。人は急激な変化を好まない。そこであらためて活字に対するアンチテーゼとして「手書き文字」「筆文字」が再注目されるようになった。そもそも「手書き」という言葉は新しい。印刷技術が普及してはじめて「手書き」という言葉が世間で成り立つからだ。手書きや筆文字を誰かに書いてほしいというニーズが大量に生まれたのだ。

僕は時代の流れなど全く読んでいたわけではなく、偶然、勤めていたNTTを辞めて、書を主軸に活動していくことを決めた。2000年だった。その年はIT元年と言われるくらい、インターネット関連のビジネスがブームになっていた。そこで僕はインターネット上で筆文字商品を販売するビジネスを思いついた。僕はNTTで法人営業をやっていたので、日々たくさんの名刺交換をしていた。いただく名刺はすべて「活字体」だった。なぜ一番大切であるはずの個人名が筆文字じゃないのだろうと思った。ネットで検索しても筆文字名刺なんてなかった。だったら自分がつくろうとなってホームページ上に「ふで文字や.com」という商店をつくった。筆文字でつくる名刺や表札をオーダメイドでつくるというものだった。最初はさすがに誰も注文してくれなかったが、知人から始まり、時代の流れも助けてくれて、じわじわと口コミで広がり注文も増えていった。印刷ミスや発送ミスなど恥ずかしい失敗だらけだったが、経験を重ねて改良していくうちに、お客様の感動の声が増えていった。ここで学んだことは、ネットだろうがリアルな書だろうが、結局はこちらの「心」が大切だということ。いかに相手の立場に立ち、相手を幸せにしたいと思えるか。

今は個展や著書、講演会、書道教室等のお仕事に専念している。しかし今の仕事の根幹には商売で学んだ大切な「心」が活かされている。書の技術向上だけでなく日々の「心」を鍛えるように心がけている。具体的には日々どれだけ感謝できるか。一日に最低でも100回は感謝すると決めて毎日実践している。そういった小さな積み重ねが書にしっかりと現れるからだ。

(書道家)

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