Web版 有鄰

509平成22年7月10日発行

港の波 – 海辺の創造力

阿川尚之

物心つく前から今日まで、横浜の港には数えきれないほど何度も足を運んだ。周辺の風景はすっかり変わり、特にここ十数年の変化は著しい。けれども大桟橋の左右に広がる海面は昔とほぼ同じ。そもそもペリー来航時以来、このあたりの海岸線はほとんど動いていない。東京をはじめ多くの港町で海は街からすっかり遠くなったけれど、横浜では今でも開港当初の海面が、街の中心のすぐ近くにある。

防波堤に囲まれた港内は大概いつも穏やかだ。観光船や巡視艇、水先艇など大小さまざまな船が白い航跡を引いてしきりに行き来するが、地上の雑踏は海の上までは押し寄せない。そして一見平らかな港内の海面は、天候により時間により違った表情を見せる。

晴れた朝には光を浴びて波が輝き、雲が通り過ぎれば海の面でも影が動く。強い風の日は波高く、山下公園海辺の歩道にしぶきをかける。外海が荒れれば港内にもうねりが出る。穏やかな朝には水が澄み、嵐のあとには水が濁る。冬の日渡り鳥が群をなして港内に浮かび、秋の夕方港内のあちこちで魚が跳ねる。満月の夜には月光が海面に筋を映して揺らぎ、釣り人が投げ入れる糸の先で青い電子ウキが波間に揺れる。

開港当初の横浜は、港内の波が今よりずっと高かった。横浜村の浜に幕府が急きょ建造した2つの波止場は、短い上に深度がない。到来する外国船は接岸できず、波止場の手前で錨をおろし、本船と波止場のあいだは艀で行き来した。しかも2つの波止場は海岸から直角に海へ突き出ていて、波を防ぐものがない。風が吹くと艀が大きく揺れた。

波で上下する小舟から岸壁に、あるいは大型船に飛び移るのは、勇気がいる。一度舟がグーッと沈み、再びせりあがって同じ高さになった瞬間、すばやく渡らねばならない。下手をすると海に落ちる。船客はこわい思いをしただろう。 

押し寄せる波を少しでも静かにしようと、その後波止場の突端を大きく曲げて防波堤の役割をさせたのが、象の鼻である。幕末から明治初年にかけ、多くの日本人が象の鼻に囲まれた船溜まりで艀や小型蒸気艇に乗り込み、外国船に乗り換えて出港した。開港から35年後、大桟橋の前身である鉄桟橋が建設され、ようやく直接接岸できるようになる。ほぼ同時に内防波堤が建造され、内外の貨客船は防波堤突端に立つ赤灯台・白灯台を横に見て入港しはじめた。港内の波はようやくおさまった。

復元された象の鼻に立てば、岩倉遣米欧使節団の一行など、ここから船出した多くの日本人の姿を想像することができる。船溜まりを出た小型艇は、象の鼻の突端を回った途端に揺れただろう。乗り移った大型船は、港を出て東京湾を出るや、波を越え嵐を抜けて異国の港を目指して進んだだろう。今は穏やかな港内の波も、元々は東京湾の外に広がる大きな海から寄せてくる。白波が立ち波頭砕ける大海原のかなたには、見知らぬ土地と人、そのうえに広がる大きな空がある。港の波は、そんなことを考えさせる。

(慶應義塾常任理事)

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