Web版 有鄰

505平成21年12月10日発行

座談会「本」をとりまく世界は今 – 1面

出版ニュース社代表取締役・清田義昭
作家・藤沢 周
フリーライター・永江 朗
有隣堂社長・松信 裕

右から、永江朗・清田義昭・藤沢周の各氏と松信裕

右から、永江 朗・清田義昭・藤沢 周の各氏と松信 裕

はじめに

有隣堂伊勢佐木町本店

有隣堂 伊勢佐木町本店

松信日本にとって大きな変化の年となった2009年も終わろうとしています。出版業界にとりましては相変わらず厳しい状況が続いた1年となりましたが、その中でもさまざまな動きがあり、著者や出版社から読者に至るまでの本をめぐる話題は、数多くのメディアで取り上げられております。

今、本をとりまく世界はどうなっているのでしょうか。本日は本の世界に関わりの深い方たちにお集まりいただき、それぞれのご経験やお立場からのお考えをお聞かせいただきたいと思っております。

また、「本」が読まれていくためには、どのようなことを考える必要があるのかなどについても、お話しいただければと思います。

ご出席いただきました清田義昭さんは、出版ニュース社代表として長年にわたり出版界のさまざまな問題についてご発言を続けていらっしゃいます。

藤沢周さんは、1998年に『ブエノスアイレス午前零時』(河出書房新社)で芥川賞を受賞されました。その後も数多くの作品を発表され、精力的な作家活動を続けていらっしゃいます。また、NHK衛星第2放送「週刊ブックレビュー」の司会も長くお務めです。

永江朗さんは、洋書販売店や出版社での編集の仕事などを経て、さまざまなジャンルの書評をはじめとして、出版・書店業界に関する問題など、幅広い分野を対象とした執筆活動を続けていらっしゃいます。7月には出版界の現状を論じた『本の現場』(ポット出版)をお出しになりました。

『1Q84』が200万部を超えるミリオンセラーに

村上春樹『1Q84』Book 1・2

村上春樹『1Q84』Book 1・2
新潮社

松信この1年で印象深いことというといかがでしょうか。

永江村上春樹さんの『1Q84』は予想を超えるヒットになりましたね。

10年ぐらい前には、「文学不良債権論」みたいなことが語られて、「もう小説は終わりだ、文学を読む人なんていない」などと言われました。あるいは1997年から出版物の売上げが連続して下り坂になったときには「本に未来はない」とも言われた。若者の間では、自嘲的に「本を読んでいるやつは暗い」とか。ところが、今年は2冊で1,000ページを超える『1Q84』が、1、2合わせて200万部以上売れた。

これは1984年の東京を舞台にした作品です。村上さんは平易な言葉遣いをする人ですが、テーマはそう簡単なものではありません。エンターテインメントではないんですよ。それがミリオンセラーとなり社会現象にもなった。

作品の中で言及されたものまで話題になって、日本ではほとんど知られていなかったヤナーチェック作曲の「シンフォニエッタ」のCDが売れ始めたり、チェーホフの『サハリン島』は、品切になっていた岩波文庫版が急遽増刷されたり。

松信作品のモチーフが論じられて、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(早川文庫)も話題になった。

永江村上さん自身の過去の作品も、『1Q84』とともに売れました。

藤沢過去の作品がまた読まれるということは、作家にとってはすごくありがたいことですよ。

魅力的な本なら読みたい人はたくさんいることを証明

永江町の中でも面白い光景を見ました。『1Q84』が発売されて間もないころ、自由が丘の喫茶店で打ち合わせをしていたとき、隣のテーブルで70歳ぐらいの女性二人が、村上春樹についてずっとおしゃべりをしていたんです。「私は『海辺のカフカ』が大好きだったのよ。今度は『1Q84』を読みたいけれど、Book1が品切でBook2だけ買ってきた」と。

読者にとって魅力的でさえあれば、本を読もうと思う人はたくさんいるということでしょう。そう考えると、決して本が読まれない絶望的な状況ではなくて、満足するものがうまく提供できていなかったということにすぎないのではないかと思いました。

藤沢村上さんには、長年の良質な文学の蓄積があります。しかし、発行前に既に注文が殺到するという事態は、僕ら書き手からすると、内容よりも、村上春樹はブランドだなという感じがしました。村上さんのコアな読者は「ハルキスト」なんて呼ばれていて、その人たちが作品の噂を流しだす。その渦がどんどん広がるうちに、ゴーストのような噂がちゃんとブランド化していくというんですかね。文学の世界ではまれなケースだと思います。

永江ただ村上春樹の以前の作品の『アフターダーク』(講談社)や、『海辺のカフカ』(新潮社)は、新刊のときにはここまで売れていないんですよね。『アフターダーク』で60万部ぐらいかな。『1Q84』のBook1が30万部、2が28万部というのは、発行元の新潮社としてはかなり頑張った初版部数なんですね。だから、わざと少なく作って、飢餓状態にしたと言われたけれど、それは違うと思います。

ノーベル賞発表のたびに受賞するかどうかが話題になるとか、イスラエルでのエルサレム賞の受賞講演など、さまざまな話題が合致したというのはあるでしょう。しかし実態として、予想を超えて読者が求めていたということが確かにあった。シニカルに「あれは特異な例だから」と言ってしまうのか、それとも、そこに何か希望を見出すかというのが、出版の世界にいる我々が考えるべきことなんだなとは思います。

意図せずに生じたハングリーマーケット

清田意識的に発行部数を抑え、飢餓状態をつくって売ることを、マーケティングの言葉でハングリーマーケットと言います。

『1Q84』は、内容の情報を出さず、著者名とタイトル程度を、新潮社の雑誌に広告を出すぐらいでした。それが期せずして、テレビの影響やそれを受けた形での新聞というように、メディアにおける話題のキャッチボールで増幅した。それで、予測せざるハングリーマーケットのような状態になったんでしょう。

私が教えている立教大学の学生が、「買って帰ったら、母が昔、村上春樹を読んでいて、先に読ませてほしいととられてしまった」と言うんです。それを聞いて、すぐ飛びつくのは若い人でも、母親が読み始めたらさらに広がっていくだろう、これは本当に売れるだろうなと思いました。

出版業界が厳しい中でこれだけ売れているのは、書店も含め、みんなが応援したんでしょう。作品の内容についてはさまざまな評価があるでしょうが、私はもろ手を挙げていい傾向だと思っています。これを契機にほかの小説も読まれて、売れていけばいいと思っているんです。

書評は読者への情報源としてますます重要に

松信しかし一般的には、なかなか本の情報が広く伝わっていないのではないかとも思えます。書評のお仕事をされて、どのように感じられますか。

永江『本の現場』にも書きましたが、年間出版点数は、1974年ごろは年間200点ぐらいでした。現在は約8万点で、この約30年間で4倍ぐらいに増えているんです。

それなのに、一般読者は30年前の気分のままなのではないのかなと思います。月に1回ぐらい本屋に行けば、本は大体あるだろうと思っているのでは。しかし、点数が増えれば店頭から消えていくものも増える。

そこからこぼれる部分を書評者がどうやってすくって、情報として読者に提供するのかという重要性は増していると思う。実際に書店の人に取材すると、問い合わせで多いのは、書評や新聞広告の切り抜きを持ってくる方だそうです。そういう意味では読者への情報源としての書評は、ますます重要になることはあっても、なくなることはないと思います。

一方、インターネット上の匿名書評に信用がおけないという意識が、だんだん浸透してきていますから、誰が書いたのかが明らかな、公共的な空間での書評は、とても重要になっていると思います。

藤沢僕は20年くらい前に書評紙の『図書新聞』の編集をしていました。そのころも、書評は文化のバロメーターだとずっと考えていた。

海外、特にフランスではそうだと思いますが、書評がとても重要視されています。あるいは、書評が書けたら、書き手として本当に能力があると認められるというところがありました。日本でももっと書評が浸透しないか、何とか書評を広めたい、いい本を紹介したいという思いがありました。

一般読者との回路を開く書評が大事

藤沢1980年代には、「ポストモダン」思想の影響からか、さまざまな人がジャンルの壁を取り払って活動の場を横断し始めたんです。元気な言説が本当にはね回ったような感じでした。ただ、書評については、あまりにも横断し過ぎて、流動化現象のようになって、何が何だかわからなくなっていった。

そのことから、ある種かちっと、専門ごとに縦に区切られたようなかたちで、その分野の評論家が書評を書くようになりました。そうすると、一般の読者は一体何を書いてあるのかわからない。

それで、評論家の書くものよりも、書評を上手に書く人のものを信じるようになる。多分、現在の一般の読者は、本のナビゲーターとしては評論家よりも“書評家”といわれる人の書いた本の紹介を信じるんじゃないのかな。

永江さんは『週刊アサヒ芸能』にも書評を書いていますね。ここでの書評は多様な読者に通じていて、しかも、本のコアな部分はちゃんと伝えている。最後に何時間何分かかったという読破時間が書いてあるのがミソで、読者に、時間がかかってもこんなに面白いのか、あるいはこんな短い時間で読めるんだといった判断基準を提示している。これは玄人の世界にどっぷりつかっている評論家にはできない技なんです。いかに一般読者との回路を開いていくかが問われている。そういう人の書評が世間に出回ることが大事なんだと思います。

清田永江さんの書評は全体を細かくではなくて、ここが読みどころだという点を軽妙に書かれている。内容が専門的なものでも永江さんの手にかかると、ちょっと読んでみようかという気を起こさせる文章ですね。

そういう意味で“書評家”と言ってもいい。『週刊ポスト』の「ポストブックレビュー」で知られた倉本四郎(1943〜2003)は自らを“書評家”と言っていましたが、藤沢さんが言われるとおり、書評家の手にかかって紹介されることが、読者にとっては有効だと思うんです。

意外な人の意外な本選びがサプライズに

松信藤沢さんが司会をされている「週刊ブックレビュー」は、意外な人が意外な本を取り上げたりということがありますよね。

藤沢いい意味でのアクシデントといいますか、サプライズがあります。ゲストの方々は優れた書き手で、面白いものをたくさん書いている。その人が、突拍子もない角度から想像もしなかったような本を出してきたときに、「えっ!何で」と、ちょっとした喜ばしい事件が発生するわけです。紹介者の作品イメージと本のイメージとをつないでくれる、その言葉を聞いているうちに、視聴者の方々も、世の中にはこんな考え方や、こういう想像力があってと、そのバリエーションにある種生きる楽しさの更新というようなことをつかんでくれるんだろう。それは視聴者の意見を聞くと感じます。

さまざまな分野の方が、その専門の分野の本を紹介することも重要だと思いますが、全く違う振幅のあるものを提示していただくことによってその本の深さ、あるいは文化の深さ、面白さみたいなものを紹介していければと思いつつやっています。

書店スタッフが勧める本は身近で面白い

清田最近目立つのは書店員による書評ですね。自分が日常的な仕事の中でこれをぜひ紹介したいと、ある意味では自発的な部分が出てきている。それは専門家の書評とは違った意味で受け入れられる背景がありますね。

永江読者に聞くと、知らない人の書評よりも、自分がよく行く書店のスタッフが、「これは面白い」と言っているから読んでみようかと思うそうです。偉そうな肩書の人が書くよりも身近だし、読んでみてつまらなかったら「もう有隣堂に行かない」なんて報復もできるぞ、とか思いながら(笑)。身近なことが、読者にとってはすごくいいんだと思いますよ。

松信当社でも、ホームページに「本の泉」という、作家や作品を紹介するコーナーがあります。(※)

また、年に1回「私がおすすめする本たち」という小冊子を作っています。これは社内に呼びかけ、従業員が自分がおすすめする本のコメントを書いたものをまとめたものです。

「本の泉」有隣堂ホームページに掲載の本の紹介コーナー

「本の泉」
有隣堂ホームページに掲載の本の紹介コーナー

2009年当時の「本の泉」はこちら(PC表示)でご覧いただけます。
2018年現在はブログ「本の泉」として更新中

永江店頭では、ポップでおすすめのポイントを紹介して、本をアピールするという方法もありますね。

松信ポップにも力を入れています。ポップを付けたことで目立たなかった本が売れ出し、それが出版社の目に止まり、出版社から全国の書店へ伝わってベストセラーになった例もあります。ポップ自体も話題になって、その社員が作ったポップをまとめ『書店ポップ術』(試論社)として出版されたこともありました。

「私がおすすめする本たち」

「私がおすすめする本たち」
有隣堂

これだけさまざまな本がある中で、本との出会いにはブックフェアなどの仕掛けや、何らかのガイドがよりいっそう必要だと考えています。

書店員もブックディレクターに

松信「ランキング依存」も話題になりましたね。

永江「ランキング依存」という言葉は、NHKテレビの「クローズアップ現代」の中で紹介された言葉なんです。全国的な販売データが簡単にわかるようになり、売上ランキングを品揃えに活用できるようになった。書店を取材してみると、売上ランキングのトップ40なり、50なりを欠かさないようにしているケースが多いんです。品揃えというよりも、店舗のマネジメントがランキング依存になっている。それが読者のランキング依存にもなり、ランキング上位の本だけを読んでいる読者層がある程度存在するんですね。書店として最も効率のよいビジネスを求めたら、そこに行き着いてしまうんでしょうけれど。

清田どこの書店でもやはり売れるものを中心とした品揃えをしています。その結果売れるものはますます売れていく。そうでないものは店頭に並ばずに、ますます売れない。そういう現象になっていくわけですね。

ポップが立てられた新刊コーナー

ポップが立てられた新刊コーナー
有隣堂横浜駅西口店

書店にも出版社にも、本当に売りたい本と売れる本は別だという認識はあるんじゃないかと思うんです。ですからランキング上位のものだけでなく、100位とかもっと下位のほうにもいいものがあるということもアピールしていかないと、売れる本だけが目だって、出版物の特性である多品種少量生産が生かされない。

藤沢書店のみなさんの思いも大事になってくるのかなと思います。幅允孝さんは、ブックディレクターという肩書で、書店以外の場所にも本を選んで陳列する仕事で活躍されていますが、結局、書店員さんもブックディレクターだと思うんです。「この本は貴重ですよ」、「この本は美しいですよ」とか、そういうものを書店で読者に伝えられればいいですね。

永江幅さんとは時々会うんですが、彼は書店出身ですね。彼の考え方の基本は、人は本に対してすごく好意を持っているし、人が集まるところはたくさんある。だったら人が集まるところに本を持って行けばいいじゃないか。本屋に人を来させるのではなく、本屋が人のいるところに行けと、あれは面白いなと思います。いかに本を見せていくのかということですね。

松信以前、私どもの店舗を「すべては海になる」という映画の撮影場所にお貸したことがあって、背景の棚には幅さんが選んだ本が並べられたんです。映画の内容に沿った本の選書でした。さまざまなジャンルから選ばれていて感心しました。それぞれの場所や人にふさわしい本を選ぶという作業は、やはり読んでいないとできないんですね。陳列の仕方についても改めて考えさせられましたね。

ランキング上位ではない本をすくい上げる書評も

永江財団法人出版文化産業振興財団(JPIC)という団体があり、読書推進運動などに取り組んでいます。そのJPICで「読書実態と意識に関する調査」を行ったときに、「なぜ本を読まないのか」という問いに対して、多い答えは「何を読んでいいのかわからない」、「面白そうな本がない」というものでした。「書店に対する不満を」という問いには、陳列に対する不満がかなり高い。

我々は書店に行き慣れているから、どこにどんな本があるか、だいたいわかりますけれど、めったに行かない人にとっては「ここはどこ、私は誰?」というような状態なんだろうと思います。そこをつないだときに本は売れるんでしょう。その時々のヒット作は、ピンポイントであの本が欲しいと思ったときに、それが並んでいるということでしょう。それに加えて、ブックフェアという形で企画を練って選書をし、本と読者をつなげていくことも重要です。何かを読みたいということと、これをどうぞというのを合致させることでしょうね。

松信店舗の品揃えや陳列には文芸書ベスト10や文庫ベスト10なども必要です。しかし、ブックフェアなどをやっていかなければ、ランキングだけになってしまいます。ランキングとは関係なくいい本がある。それをおすすめできる状況を作りたいですね。

藤沢そういう意味では書評も、上位ランキングではない中からすくい上げるものの1つだと思います。

学生を挑発して本を読ませるのが教師の役割

松信インターネットと携帯電話で育った今の若い世代は、本を読まないという話がありますね。皆さんは大学で教えていらして若い世代と接する中で、どんなことを感じられますか。

清田私は、「出版論」という講座を受け持っています。そこでは学生に知識を教えるだけでなく、今こういう問題があってこういう本も出ているが、とか、挑発して本を読ませる姿勢でいるんです。出版概論みたいな内容を期待して受講した学生は戸惑っているかも知れません。

例えば、私は高橋和巳(1931〜1971)という作家が好きで、ずっと読んでいたので、講義でその話をするんです。我々の若い時代は多くの読者がいましたが、今は少ない。ところが、中には読んでみようという学生がいます。読んだら感想を聞く。「こういうのもあるよ」と言うとさらに読んでいく学生もいる。ほかのジャンルの本でもそういう形で挑発しています。

教師は、いかに本を読ませるか、関心を持たせるかが役割のような気がしているんです。本を読むことの動機づけを、何らかの形でやっていかなければなりませんね。

学生が本を読んで面白かった、つまらなかったと言ってくれば、それでいい。だから毎回感想を書かせます。7・80人いますが、ちゃんと書いてきますよ。今の20歳前後の学生はそれなりに考えているなと思いますね。

永江学生の将来の希望進路による差は大きいでしょうね。私が教えているのは早稲田大学文化構想学部です。受講の動機を書かせると、作家になりたいとか、出版界に入りたいという学生がほとんどです。だから、巷間言われているような本離れといわれるものはないですね。

ただ我々の学生時代と明らかに違うのは「お金がない」と言うんです。携帯電話代がかかったりで、残るお金は我々の時代よりも少ないのではないか。しかし、彼らは図書館をかなり積極的に使っています。だから、お金がなくても読書はできる。お金がないから本を読まないということではないと思います。

大学の同僚教授に評論家の渡部直己がいます。彼のゼミでは年間100冊読んでいます。

いつの時代も面白いものや楽しいものに貪欲な若者

永江藤沢さんが教えている法政大学経済学部の学生は作家志望というわけじゃないからちょっと違うでしょう。

藤沢僕の講義は「文章表現」、「日本文学」と「日本文化論」です。多くはごく一般的な、単位を取りにくる学生です。ほかに「入門ゼミ」と「創作ゼミ」を受け持っています。創作ゼミは小説を書きたいとか映画を作りたい、音楽をやりたいという学生が集まってきますが、彼らは本はよく読んでいるようです。

ところが、ゼミ以外の学生も、ちょっとしたヒントを与えると飛びついてくるんです。面白いものや楽しいものに対して、若い人はどの時代でも貪欲なんですね。

坂口安吾の戦後の作品『堕落論』を読ませると、今の自分たちの状況と同じで、どん底をどうやって生きていけばいいのか、安吾の言葉からヒントを得るわけです。面白いから次に何を読もうかと広がっていく。

東京大学教授の小林康夫さんと船曳健夫さん編集の『知の技法』(東京大学出版会)は面白い本でしたが、その本の帯に立花隆さんが「大学は本を読むところだ。授業なんか出なくていいからとにかく本を読め」という文章をかかれています。まさにその通りだと思いました。その言葉をそのまま学生に伝えたい。学生たちに、読む、考える、表現する、そういう喜びを得てほしいんです。

ブックイベントにボランティアとして参加する学生も

第1回高遠ブックフェスティバル

第1回高遠ブックフェスティバル
永江朗氏提供

永江今年はブックイベントが多かったですね。8月には信州の伊那市高遠でフリーライターの北尾トロさんなどが実行委員となって「第1回高遠ブックフェスティバル」が開かれました。高遠は茅野から車で1時間かかる山奥の町です。そこにボランティアだけでも100人以上集まった。

そこでは北尾さんや作家の角田光代さんたちによるトークショーや、町の中でも、路上で本の販売がおこなわれたり、さまざまなイベントが2日間にわたり繰り広げられました。夏休み最後の土日ということもあったでしょうが、全国からそれだけのためにわざわざ集まるんですよ。

藤沢すごいことだな。

永江ボランティアの連中は「あご足自前」と言っていました。私の学生もいましたが、参加費を払ってツアーに入り、駐車場の交通整理なんかしている。「それで楽しいの」と聞くと「楽しいんですよ」と言うんです。

お台場で行われた「出版ライブ」

お台場で行われた「出版ライブ」
永江朗氏提供

9月には東京のお台場のライブハウスで「出版ライブ」という、小学館の有志が企画したイベントがありました。その日のうちに、その場で雑誌を作るという内容で、企画会議から始まり、アイドルのグラビア撮影から対談、漫画や小説の書き下ろしまでを全部その場でやって雑誌を完成させる。午後5時に始まり7時に完成する予定でしたが、結局、完成したのは11時半でした。そこには入場料を払った人が会場が満員になるほど来ているんですよ。

作家のトークショーに人がたくさん来るとか、書店員が書評を書いて、それが広告に使われるとか、意識の面ではむしろ出版社の側が遅れているのかもしれない。読者のほうが本に対してすごく関心を持っている時代なんだなと思いますね。

清田アメリカでは一般的な、著者が積極的に出るということが日本でも当たり前になって、著者のサイン会やトークショーなどのイベントが随分増えましたよね。実際に本が売れないからということもあるでしょうが、これは近年の大きな現象ですね。

永江アメリカの『パブリッシャーズ・ウィークリー』などを見ていると、作家のサイン会と朗読会のツアースケジュールが載っています。この新刊にはこういうキャンペーンをするという情報です。

最近は日本もアメリカの出版ビジネスのあり方に近づいてきた感じがしますね。著者も積極的に読者に触れるようになりました。

公共性・公益性を最優先しないのが出版物の特性

松信いろいろ伺ってきましたが、「本」はこれからどうなっていくのでしょうか。

清田私はメディアとしての出版と新聞・放送とは大きな違いがあると考えています。新聞は130年以上の歴史があり、公共性、公益性や中立性、公正客観的ということで現在まで来ています。放送には放送法、電波法などの法的な規制があり、なおかつ免許事業という制約がある。つまり、公共性、公益性というものが最優先するメディアです。

それに比べ、出版という分野は、必ずしも公共性、公益性などを最優先としないという大きな特性があります。一言で言えば出版物の多様性です。例えば、イデオロギー的には左翼から右翼までさまざまな本が出ている。なおかつ反社会的、あるいは反公共的なものも出版物という形で出されていて、それなりの存在意味もある。新聞・放送が出来ないこと、やろうとしないことを出版物ではできるんです。そう考えると、出版ほどいろいろな意味でこれからも可能性のあるメディアはないのではと思っています。

永江私は「本」の将来に悲観はしていないんです。メソポタミアの楔形文字から数えると、本には5,000年の歴史があるわけです。グーテンベルクが活版印刷技術を発明してから500年ですね。

日本の近代出版流通システムはたかだか50年の歴史です。5,000年、500年、50年と考えたとき、今、短期的に売上げが落ちたとか何とかというのは、人類における本の重要性からすると、何ら本質的な問題ではなくて、瑣末なことにすぎないのではと思っているんです。

現在、日本の出版業界はマイナス成長と言いますが、書籍については、雑誌に比べ、それほど売上げは減ってはいない。ただ、出版ビジネスの世界には、この数年で猛烈な勢いで従来のシステムの組み替えが起きるのは事実だと思いますし、それは不可逆的だと思っています。

携帯端末での読書は3日で慣れる

永江今後、読書の電子化は猛烈な勢いでやって来ると思います。最近、私は携帯端末のiPodタッチで森鴎外の『澀江抽斎』を読んでみる実験をしたんです。その結果3日で十分に慣れるということがわかりました。機械操作で文字の大きさも、色も、サイズも全部変えられます。満員電車の中でも片手でページを進められます。

今まで日本では電子書籍は成功していないんですが、最大の問題は価格です。アメリカではハードカバーの価格の3分の1ぐらいで、電子版をほぼ同時に発売しています。そうなれば、十分普及する可能性はあります。

藤沢電子化に関連して考えさせられたことがありました。学生に読書感想レポートを出させたとき、ふつうは手書きやパソコンで打ってきますが、1人の学生が携帯電話を渡すんですよ。えっと思ったら、携帯電話のメモ帳にレポートが書いてある(笑)。電子ツールはここまで来たかという感じですね。

新聞や雑誌の情報の中には読んだら捨てるというものがありますよね。そういうたぐいの情報は、電子ツールでできるかと思うんです。しかし書籍の場合は、読めるからいいというだけでしょうか。書籍には特殊なテクスチャーと言うか、手ざわりや質感があると思います。いつでも開けるし、いつでも持てる。

また、若い人たちの間では昔とは違う角度から、古本マニアがだんだん出てきています。そういうことからも、これからも、本は本として残ると思うんです。

清田紙媒体はアナログでダイレクトでしょう。電子本というのは、装置がなければ使えない。そこの評価がどうなるのでしょうかね。

存在を再認識されるような出版物をつくる

永江ただ、今の学生は、紙の辞書を授業に持ってこない。20年前はこんなことになるとは思っていなかったですね。やっぱり辞書は紙だよねと思っていたけど、あれよあれよという間です。

しかし、ジャンルにもよるでしょう。文芸書などは最後まで紙媒体で残るのではないかと思います。

松信今後も電子化、デジタル化の流れの中で「本をとりまく世界」も変化していくのでしょうね。

清田たしかに、この10年ぐらいでインターネット、携帯電話が急速に普及してきたので、状況は変わってきています。これからの出版メディアは量的拡大は無理かもしれませんが、基本的なところでは存在理由は再認識されるでしょう。また再認識されるような出版物を作り出していかなければいけない。消費財化や消耗品化しているという部分もありますが、多様性は民主主義の原点です。その中で競い合って出していく。そういう状況であると思うんです。

政権交代で戦後のさまざまな制度やイデオロギー的なものが一つ一つ問われていくんです。経済、文化あるいは法制度の問題などが問われていくことを、私は期待をしたいんです。

例えば、出版物の普及に対する国としての助成、支援、また、税制における特別措置などを考えているんです。ただし、業界全体に対する支援については、戦前の時代のことを考えると、国からそういう支援は受けないほうがいいという考え方もあります。しかし、今や状況は少し変わってきていると思うんです。

今後、デジタルと出版の関係などを考えるとき、国から研究助成金などの支援を受けることなども考えられると思います。

デジタル、インターネットとの融合もやらなければいけませんが、やはり出版というのは基本的なメディアだと思います。それだけは是非、著者から読者まで、本に関わるすべての人びとの間で共有したいですね。

書店は文化の発信地・コミュニティの核に

「著者は戸塚区在住」フェア

「著者は戸塚区在住」フェア
有隣堂戸塚モディ店

松信これからの書店についてどのようにお考えですか。

藤沢書店という存在は人の頭の中のような、あるいは人の集まりのようなものだと思います。本のジャンルや種類にしてもそうですし、実際に店に足を運ぶ多様な人びとによって成り立っている場所だと思うんです。

書店には、文化の発信地になってほしいなと思います。それを支える書店の人は、マニアックでもいい。マニアックなほど面白いとも思います。それぞれが、こだわりを持ってポップを作り本を推す。あるいはこういう出版の動きがあります、みんなで盛り上げていきましょうとか、情報発信をやってくださる方が出てきてくれるとうれしいですね。

永江コミュニティの核になっていくというようなことが、書店のこれからの生きて行く道だろうと思います。

清田書店空間は、いるだけで何か癒されるとか、ワクワクする。そういうことを語り、実行して行くということが必要だと感じています。

出版業界の枠組み自体が転換し始める

清田この1年を業界的な視点から言うと、新聞などマスコミでも報道された大日本印刷の動きが一番印象に残っています。大日本印刷が株式取得により丸善など大手書店のグループ化をした動きは、出版物の流通をはじめ、さらに書店から印刷までを含めた出版関連業界の中での大きな変化だと考えています。

これは、日本では出版物の売上げが、10数年にわたり下がってきていることに加えて、昨年来の不況もあり、今のままではそれぞれの企業が厳しいということだと思います。変化を求め、あるいは生き残りのために何をすべきかということだと思います。

そういう動きの中で、業界再編のようなことが起こっていると思うんです。これがどう展開していくかが、今、一番大きな関心事です。

永江私は、9月に早稲田大学で後期の講義を始めるに当たって、学生に「この夏に起きた君たちに関係のある出版に関する出来事は」と問いかけました。そのときに、村上春樹さんの『1Q84』のBook1と2のダブルミリオンセラー、読者発のブックイベントが全国で同時多発的に開催されたことや、著名な雑誌も含めた雑誌の休刊に歯止めがかからないこと、それに大日本印刷をめぐる話題があがりました。

業界再編の話は、一見、読者の方には直接は関係ないことのようですが、将来的には大いに関わってくる可能性はあると思います。大日本印刷グループ傘下書店の売上の市場占有率などを考えると、出版業界の動きが5年後にはものすごく変わってくる感じがしますね。

日本で今後にあり得る形の1つが、書店業界の「アメリカ化」ですね。アメリカでは巨大書店チェーンのバーンズ&ノーブルとボーダーズの二大勢力があり、あとはメガロポリスにだけ独立系の書店が多少あるといった現状です。今年は、そういう意味での業界の枠組み自体が転換し始める年だったのかなということは強く思いますね。

書店にはワンダーランドのような楽しみが

藤沢業界再編のお話はシビアだなと思いました。企業側の戦略が先にあったのかどうかといえば、やはり読者、購買層の動きを鑑みて動いたと思うんです。

多分、今までは、書店側としてはよい本を多くの人に届けるのが理想的な状態だったけれども、「よい本」とは、「多くの人」とは何なんだろうと考えたとき、今までの概念ではだめなんだろうなというところが前提になったのではないか。そこからかなりの変化が見られるのではないかと思います。

書き手からすると、世界の真相をとらえたような良質の文学ならば、多くの人に読んでほしいと思いますが、それは最も売れない本になってしまったりする。売るということをまずメインに考えるのならば、言葉は変ですが、読者の多くは気長じゃないということを前提に考えないと、書店が生き残るのは大変なんだろうと、まず思いました。

僕の実家は新潟の文房具店兼本屋だったんですが、あつかっていたのは書籍よりもほとんど雑誌ですね。そういう本屋のあり方は、結局読者にとっては「今この本が欲しいから、インターネット通販で買おう」ということにもなってしまいます。

だけど、インターネットにはない書店の面白さというものがあると思うんです。行くと刺激されるとか、知らなかった本を見つけるとか、ワンダーランドのようなところです。その楽しみがありますから、読者としてはどっちを選ぶかというところがある。そこで書店が今まで抱えていた楽観的というか、啓蒙的というか、そういう概念を変えていかないと、なかなか難しいのかなという気がしますね。

松信長時間ありがとうございました。

清田義昭 (きよた よしあき)

1943年福岡県生まれ。

藤沢 周 (ふじさわ しゅう)

1959年新潟県生まれ。
著書『キルリアン』新潮社 1,500円+税、『雪闇』河出文庫 850円+税、ほか多数。

永江 朗 (ながえ あきら)

1958年北海道生まれ。

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