Web版 有鄰

505平成21年12月10日発行

鎌倉の日蓮さん – 2面

古川元也

『立正安国論』を北条時頼に奏進してから750年

日蓮聖人坐像

日蓮聖人坐像
桃山時代(16世紀)
大阪・本政寺蔵

今秋、神奈川県立歴史博物館では特別展として「鎌倉の日蓮聖人」展(10月17日〜11月29日)が開かれた。今年は日蓮が『立正安国論』を前執権北条時頼に奏進してから750年にあたり、神奈川県日蓮宗第二部宗務所のご協力を得ておこなわれた企画である。日蓮の残した曼荼羅本尊や書状(ご遺文)はそれ自体が信仰の対象であり、日頃は拝することの難しい寺宝であるが、彫刻や絵画、関係寺院の寺宝の数々180点余りを展観させていただいた。結果として、地味ではあるかも知れないが東国での信仰の広がりを微力ながらお伝え出来たのではないかと思っている。

日蓮以降、祖師に連なる日蓮教団の展開は全国に及ぶものだが、東国鎌倉にこだわった理由を回顧してみたい。なお、ここでは日蓮門下宗教の総称を便宜的に日蓮教団と称することとしたい。

鎌倉を中心に活動し、文字曼荼羅で市井の人々を救済

日蓮は安房国(千葉県)小湊に生をうけ、若き日々を同地の清澄山で、青年期を比叡山延暦寺で過ごした。当時の優秀な宗教家がそうであったのと同様、日蓮も比叡山で天台教学を徹底的に学び、その矛盾を克服しようと立教改宗を果たしたのである。

日蓮聖人曼荼羅本尊

日蓮聖人曼荼羅本尊
鎌倉時代(建治元年)
鎌倉・妙本寺蔵

当時、政治の中心は鎌倉と京都であったが、日蓮は幕府の置かれた鎌倉を中心に活動することになる。東国が生まれ馴染んだ地であったということもあろうが、人々の救済を目指した日蓮にとって、宗教の社会的実践の場は西国に較べて生産力の低かった東国であったのではないだろうか。

今日では誰もが知る「曼荼羅本尊」は、中央に「南無妙法蓮華経」の題目を記し、釈迦如来、多宝如来、四菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、日天、月天、天照大神、八幡神などを両脇に排列、それらを四天王で囲み、意匠化した梵字で愛染・不動の両明王を添える文字曼荼羅である。贅沢な材料を用いずとも料紙があれば墨書できたこの曼荼羅は、市井の人々の救済という目的に叶った、日蓮の宗教的発明の随一であろう。同様に、日蓮の記した書状は、たとえそれが礼状に過ぎないものであってもご遺文として尊ばれ、信仰の対象として伝えられてきた。

たとえば、千葉県市川市にある中山法華経寺には数多くの日蓮の筆跡が伝わるが、これら自筆原本は当初から丁重に格護されてきたことが知られている。日蓮の有力な檀越の一人、富木常忍は晩年、僧日常となり、当寺に連なる法華寺を開くが、その置文には「聖人御書」ならびに「六十巻以下聖教」を寺外に決して出してはならないと記す。必要があって閲覧する際には寺内に限るともしている。これら遺墨が今日まで伝えられている事実は、寺院歴代が遺墨をいかに大切にしてきたかを端的に物語っている。

日蓮の遺墨は力強く雄渾でためらいや澱みがなく、日蓮の人となりを彫刻や絵画で表された祖師像以上に表出しているといえよう。また、佐渡流罪時に草した『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(通称『観心本尊抄』)に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与へ給ふ」と記すように、日蓮の信仰の核心は題目の受持にあるのであって、後世に美化される可能性を孕む「像」を拝することにはなかったのである。

鎌倉幕府滅亡後、教団は京都に進出し曼荼羅は絵画化

鎌倉幕府が滅亡し、京都に幕府が移ると日蓮教団の軸足も京都へと移動する。日蓮の弟子日朗は鎌倉比企谷に所在する法華堂(のちの妙本寺)を拠点として活動していたが、日朗の弟子日像は京都進出を成し遂げた。数々の弾圧に遭いながらも日像は四海唱導、法華経弘通の勅願寺勅許を建武元年(1334)に獲得し、布教の拠点として洛中に寺院を整備してゆく。また、日像の弟子大覚妙実は日蓮に大菩薩号を、日朗、日像に菩薩号を乞い許可されている。布教の点では、日像は北陸へ、大覚は中国地方へと教線を拡大させることに成功したのである。これら京都四条門流の中核となる妙顕寺には日朗から日像への書状等(重要文化財)が多数残されており、洛中諸本山ひいては西国日蓮教団の繁栄を裏付けるものとなっている。

この日朗、日像は下総国(千葉県)の出身である。日像は祖師に劣らず個性的な曼荼羅本尊を書くが、これは「なみゆり」と称され、題目の文字部分が著しく波打つように意匠化されていることを特徴とする。さらに、日像の曼荼羅本尊には四隅に配する四天王を画像として表したものがあり、このような画像化は日像の弟子大覚妙実を経て絵曼荼羅の様式へと発展してゆくのである。ここに、日蓮が作り上げた曼荼羅は、画像として再構成され法華絵画を生み出した。京都に軸足を移した教団が、その環境に応じて変質を遂げてゆく様がわかるのだが、このことは京都、ひいては西国の文化がそのような華美な具象を志向していたことを明らかにしている。

東国において市井の人々の救済を目指し、文字曼荼羅という形をとった宗教的発明が、ふたたび描かれた曼陀羅を生み出す。今秋、期を同じくして京都国立博物館で開催されていた「日蓮と法華の名宝」展(10月10日〜11月23日)では、このような華やいだ法華絵画を多数拝することができた。

室町幕府の弾圧を受けた日親は祖師日蓮の再来

日親上人坐像

日親上人坐像
江戸時代(寛永11年)
鎌倉・妙隆寺蔵

ところで、このような洛中の布教の場に15世紀中葉・室町時代に登場したのが日親である。日親は上総国(千葉県)埴谷に生まれ、中山法華経寺の法宣院に住した日英に従い修行をした人物である。のちに日英が開いた鎌倉小町にある妙隆寺でも、若き頃寒行を修したという旧蹟の池がのこされている。京都に進出した日親は、工芸の家として名高い本阿弥家の帰依で有名な京都本法寺の開山となっている。

日親はその宗教生活の規範を日蓮においており、法華経専修を布教し、実践した。日蓮が『立正安国論』を前執権北条時頼に奏進したように、『立正治国論』を草して当時の室町幕府将軍足利義教に奏進を試みたとされる。結果、幕府からは弾圧を受け、焼けた鍋を被らされるという法難を受ける。通称「鍋かむり日親」と呼ばれている所以である。この他にも日親は度重なる法難に遭い、それを克服して布教につとめたことが『日親上人徳行記』として江戸時代にはまとめられることとなるのである。

それが歴史的事実であるかどうかはともかく、日親の行状は洛中の日蓮教団にとっては非常に意味のあることであった。日蓮の存生した時代が遠い過去のものとなっていた当時において、地域的にも遠く離れた東国での布教の事実は、その実感が希薄なものになってきていたと考えられる。

日蓮の法難が生々しく伝えられていた13世紀末から14世紀の東国とは異なり、15世紀の洛中を中心とする西国の風土は、その政治的、文化的素地があまりにも異なっていた。そのような中で、祖師日蓮と同様に法華経中心の信仰生活をかたくなに守り、一書を草して権力者に諫言し、弾圧をものともせずに布教を続けたのが日親であった。いわば希薄化した日蓮の行状を京都という文化の中に置き直して再現して見せたのが日親の行動であり、鎌倉幕府から室町幕府への変化に日蓮の行動を換骨奪胎した形で応じたのが日親であった。その日親がやはり東国上総の出身者であったことは、華やいだ西国の日蓮教団に対する東国からの原理主義的揺り戻しのようにも思える。

祖師日蓮の信仰が今も息づく鎌倉や東国

このように見てくると、日蓮教団という形で一括りにされがちである日蓮門下の信仰も、師弟関係の違いから発生する門流や、地域ごとに多様性を持つことが浮き彫りとなる。東京の池上本門寺では10月13日に御会式が行われるが、関西では日像に因んで11月に行われる場合が多い。関東では祖師日蓮像が単独で祀られる事例が多く、関西では日蓮、日朗、日像の三上人が祀られる形式が多いことも違いを表している。

また、特徴的なのは、数多く遺されている祖師日蓮の伝説である。鎌倉を中心に関東には日蓮の伝説や故地、旧蹟が多くのこるが、当然のことながら、布教の現場ではなかった関西には伝説は残らない。逆にいえば、これら伝説の存在は祖師日蓮がいかに身近な存在であり続けたかを物語っているのである。

日蓮門下は発生以来複数の門流に分かれて発達し、その後の再編を経て多様性を持つ今日の形に至っている。特に幕府が京都に移動して以降の京都四条門流は、中国地方、北陸地方へと教線を拡大し、華やかな法華文化を開花させた。

一方、鎌倉を中心とする東国の日蓮教団は、展示作品を見る限り、そのような華やかさとは無縁であった。地味ではあるが、大切にされる日蓮以来の聖教や日蓮につながる縁起や伝説。その中に祖師信仰が息づいているともいえる。禅宗史と同様、鎌倉に発生した日蓮教団は後の京都における発展が著しいため、その華やかさに目を奪われがちであるが、東国には東国の信仰の姿が今でも「鎌倉の日蓮さん」という親しみをもって残されているのである。

古川元也氏
古川元也 (ふるかわ もとや)

1967年大阪生まれ。
神奈川県立歴史博物館主任学芸員。著書『聖地への憧れ−中世東国の熊野信仰』神奈川県立歴史博物館、ほか。

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