池井戸 潤
中堅ゼネコン「一松組」の若手社員、富島平太は、建設現場から大口案件の営業を担う本社業務課へ、突然の異動を命じられ、公共工事の受注をめぐる、ゼネコン各社の激烈な攻防戦の渦中に立つ。
「“談合”はなぜなくならないのか。その疑問が出発点でした。談合をテーマにしたエンターテインメントです」
平太が異動して間もなくの競争入札で、小企業に工事をとられた業務課の次の目標は、2千億円規模の地下鉄工事の受注だ。平太は”天皇”と呼ばれるフィクサー、三橋と出会い、資金繰りに奔走。銀行員の彼女、萌との関係はきしみ、郷里の母が病に倒れてしまう。常務の尾形、先輩社員の西田ら、個性豊かな人物が続々登場する群像劇。受注合戦に「不正」がないか、検察は目を光らせている。
「取材し、小説を書く過程で、談合に対する僕自身の疑問は解消されていきました。完全な自由競争になれば、採算度外視で工事を取ろうとする会社が現れる。コスト削減で儲けを削れば、株主の収益期待に応えられず、健全な仕事を維持できなくなり、やがて業界全体に影響が及ぶ。世の中に矛盾は多く、どの仕事でも葛藤があると思います。一方的に良い奴と悪い奴を書かないようにしています。とんでもない奴だと思っていたら、ある状況で意外に良いことをしたり、人間的な矛盾を書くほうが小説らしい。登場人物が30人いたら、30個の人生があり、それぞれの人物描写を厚くしたい」
元官僚の族議員、城山和彦の義弟で、関東一円の大型案件を仕切る三橋は、ある縁もあって平太を可愛がり、ふと胸のうちを見せる。(人間であることを忘れたサラリーマンはつまらない部品になってしまう。部品から人間に戻れなくなった者にとって、人生はただ不毛な瓦礫だ)。
「銀行に入社したとき、“銀行員である前に人であれ”という頭取の言葉が印象に残りました。実際に仕事をしてみるとその通りで、社命で仕事をするとしても、人としてのモラルは大事です。どの小説も、まず人であると思いながら書いていますね。今は非正社員やフリーターが増え、儲けのためよりも、低収入ゆえに人間性を失う姿が見られる。世の中は変わり、その都度いろんなひずみがある。ただし、あくまでもエンターテインメントですから、モラルの押しつけをするつもりはありません。この小説は、談合について解説したり、主張する話ではない。受注をめぐる対決構造を書き、読者が“ああ面白かった”と思ってくれればいいなと。娯楽がたくさんある中、あえて本を選んでくれた読者を楽しませることがいちばん大切ですから。僕自身があんまりネガティブな性格じゃないので、僕が書く上で、読後感の悪い小説は考えられない」
1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。88年に三菱銀行(当時)入行、95年に退職後、コンサルタント業、ビジネス書の執筆を手がけ、98年、『果つる底なき』で第44回江戸川乱歩賞を受賞、デビューした。
「江戸川乱歩のシリーズは小学生時代にほぼ全作読み、乱歩賞を獲ってミステリー作家になるのは、子どもの頃からの夢でした。銀行を辞め、もう一回好きなことに戻ろうと小説を書きました。当初はプロット(筋)で書いていましたが、人間を書かないと抉る小説は書けないと気づきました。心にグッと来るシーンは、数学の問題が解けたときの感動とは違う。頭だけで分かるものにしたくない。一喜一憂する、感情の部分で小説を楽しんでもらいたい」
母子死傷事故で汚名を着せられた運送会社の社長が、リコール隠しをする大企業に闘いを挑む『空飛ぶタイヤ』を06年に発表。直木賞、吉川英治文学新人賞の候補になり、一躍注目を集めた。08年刊行の『オレたち花のバブル組』は、山本周五郎賞の候補になった。
「三菱グループが三菱自動車工業を支援すると聞いて違和感を覚え、そこから書いた『空飛ぶタイヤ』は、自分の問題意識を基点に小説を書くきっかけとなりました。『鉄の骨』は第二弾です。世の中を見渡して、ちょっと変だなと思うことがある。今書いている政治小説は、麻生前首相の誤読問題から、どうして漢字を読めない人が総理大臣なんだろう?と感じた、素朴な疑問から出発しています。問題意識を端緒に物語の骨格を組み立て、こう書いたら面白いんじゃないかと味付けしていくのは楽しい作業です」
(青木千恵)