Web版 有鄰

504平成21年11月10日発行

大きくなった たまプラーザ – 1面

阿川佐和子

満天の星にうっとりし、野鳥たちに感動

新宿のアパートからたまプラーザの家に引っ越したのは昭和43年3月、私が中学2年の終わりである。48歳の父が初めて家族のために土地を買い、二階建ての木造屋を建てた。あの頃はそれぐらいの年齢で一軒家を建てることが格別の金持ちでなくとも不可能ではなかったのだ。そして娘の私は生まれて初めて自分の部屋を持てることになった。家が完成するまで、工務店の方がときどきアパートに来て設計図を広げ、内装や間取りについての相談を行った。

「サワコちゃんの部屋は二階の端になるから屋根の傾斜のせいで天井の低い場所ができてしまいます。でも逆にその傾斜を利用して本棚と勉強机を置きましょうか。横に小さな窓を作るとかわいいかも。で、その壁面だけ、上品なピンクの花柄の壁紙を貼るってのはどうかしら?」

インテリアデザイナーのお姉さんが次々に出してくれるアイディアを聞きながら、私は胸がどきどきしたのを覚えている。童話に出てくる屋根裏部屋のようではないか。どんなに素敵な私だけの城ができるのだろう。

夢のマイルームはたしかに実現した。坂の上の高台に建った三角屋根の我が家の、二階の自室の小窓から外を眺めるとき、私はまるで、塔に閉じ込められたお姫様の気分になった。私だけの景色、私だけの世界を独占できる。晴れ渡る日の早朝は西のかなたに富士山を望み、夜は作り付けの二段ベッド(隣室の弟のベッドと壁を隔てた上下互い違いの作りになっていた)の上段に寝転んで窓から見える満天の星にうっとりした。新宿に住んでいたとき、星がこんなにたくさんあるとは知らなかった。じっと見つめていればいつか流れ星を目撃できるかもしれない。田園の自然は素晴らしいと思ったものである。

引っ越して感動したのはもう一つ、野鳥である。昼間、弟たちと庭で遊んでいると、ピピピピと甲高い声を発しながら天に向かってまっしぐらに昇っていく小鳥の姿を認めた。

「もしかしてあれ、ヒバリ?ヒバリって本当に天に向かって飛んでいくんだ」

物語でしか知らなかったヒバリの実物を見て私は興奮した。新宿ではカラスと雀と獰猛な鳩しか見かけることがなかったが、たまプラーザの家の庭にはメジロ、シジュウガラ、ヒヨなどの野鳥がひっきりなしにやってきた。できたばかりの庭の植木はまだ若く、緑が豊かとは言い難かったけれど、その細い枝に、お肉屋さんから分けてもらった肉の脂を巻きつけて、家族ともども野鳥が来るのを楽しみに待ったものである。

当時は我が家のみならず、たまプラーザの街自体ができたてのホヤホヤだった。周辺では常に、カンナを削る音やトンカチを打つ音が響き、分譲された空き地は新築の家で続々と埋まっていった。

「いずれ、たまプラーザは田園調布のような高級住宅街になる」

どこからかそういう噂が流れてきたが、私には実感がわかなかった。街路樹はヒョロヒョロと頼りなく、春になっても数輪のピンク色をした桜の花がつく程度だったし、駅に続く景色は、公園と巨大な団地群と、まだ何になるとも知れない広大な空き地が広がるばかりだ。文化的建物と言えば、横浜銀行と、その隣にぽつんと建つ喫茶店キングだけだった。まもなく同じ通り沿いに忽然と電気屋さんが店を開いたが、その電気屋さんから流れる大音量の「あなたの心に」を遮るものはなし。学校帰りの暗い道々、中山千夏の声に合わせて歌いながらも、「なんだか田舎…」と寂しくなったのを思い出す。

無人の改札を通り、定期を忘れて学校へ

当時、私はたまプラーザから六本木の女学校に通っていた。朝、猛烈な勢いで家を出て、走って駅まで10分。いつもの電車に乗り遅れると完全に遅刻だ。逃すわけにはいかない。ゼーゼー言いながら駅にたどり着くと改札には駅員さんが立っていない。早朝はときどき無人改札になっていた。でも駅員さんが出てくるのを待っていたら電車に乗り遅れる。無視して改札を通り抜け、あわや駆け込み乗車。満員電車に揺られながら多摩川を渡り、自由が丘で東横線に乗り換え、中目黒で再び日比谷線に乗り換えて六本木に到着し、改札を抜けようとしたところで初めて気がつく。

「あ、定期、忘れた」

六本木の駅員さんはちょっとだけ困った顔をして、「じゃ、明日でいいよ」。

どうして朝、地元の駅を通るときに気づかなかったか。その理由を説明しようとするのだが、改札は人で溢れ、立ち止まって長々と弁明している暇はなさそうだ。しかたなく私はぺこりと頭を下げて通り過ぎる。そして、今日も優しい駅員さんでよかったと胸をなで下ろす。そういう失敗はその日だけではなかったからである。

たまプラーザに引っ越したというと、よく羨望の目を向けられた。

「え? 鎌倉?」

「いえ、たまプラーザ。たまプラーザです」

訂正した途端、相手は耳慣れぬその言葉に戸惑った末、とにかく鎌倉ではなかったことだけを理解して、「あー」と声のトーンを落とす。その「あー」の後ろに「なんだ、新興住宅街か」という薄ら笑いが聞こえたような気がして、私は少しムッとした。いいじゃないの、新興住宅街だって。そういう意地を抱きつつ、でもできれば駅名がもう少し違うものであったならと思ったのも正直なところである。

駅名だけでなく住所にも重厚さが欠落していた。なにしろ「横浜市緑区美しが丘…」である。

「なんや、少女小説みたいやなあ」

父の友人の遠藤周作氏は我が家の住所を知ってケラケラ笑われた。なるほど本当に少女小説みたいだな。自分の住所を記すたびに、気恥ずかしさが背中をくすぐった。

恥ずかしさ半分うれしさ半分のまま、少しずつ新しい街に馴染み始めた頃、

「新居に遊びに行きたい!」

学校の友達が興味津々で私に申し出て、まもなく3人が日曜日に訪ねてくることになった。私は前もって電車の乗り方を紙に書き、「たまプラーザの駅に着いたら電話してね。迎えに行くから」と言い置く。そして当日になり、私服を着た友達を駅の改札に出迎えると、「あー、よかったあ」と3人の友達は安堵の表情を浮かべた。

「どうしたの? 迷った?」

「違うのよ。今、ずっと電車の、進行方向に向かって左側のドアのとこに立ってたのね。そしたら『次はたまプラーザ、たまプラーザ』って車内放送が聞こえたから外を見たら、家が3軒しか建ってないじゃない。アガワの家はあの3軒のどれだろうねえって話してたら、こっち側はちゃんと街になってたんだね」

たまプラーザの開発は当初、駅の北側が先に行われた。だから南側には改札口もなく、野山と畑と数少ない民家しかなかったのである。友達はまだ開発されていない南側の景色だけを見て、どえらい田舎へアガワは引っ越したものだとびっくりしたらしい。

そんな自然に囲まれた新興住宅街だったので、都心とは電車で1時間ほどの距離にもかかわらず、気温には2、3度の差があった。その空気の境界線が田園都市線の梶が谷のトンネルであることを、はっきりと実感したのを覚えている。

「あ、空気が変わった」

学校帰り、トンネルを抜けると、そこにはすがすがしい、ときに寒々しい澄んだ空気が流れていた。

逆に朝、窓の外を見ると一面の雪景色なので長靴を履いて学校に赴くと、誰もそんな重装備では歩いていなかったという恥ずかしい想い出もある。そんなとき、ああ、本当に田舎に越したんだと再認識するのであった。

今も成長し続ける、懐かしさが甦る街

中学、高校、大学までをたまプラーザの家から通い、卒業後はお見合いやアルバイトを繰り返しながらたまプラーザで20代を過ごした。ボーイフレンドに車で送ってもらったのも、酔っ払って夜遅く千鳥足でたどり着いたのもたまプラーザ。お見合い相手に電車で送ってもらい、改札のところで「ここまでで結構です!」と語気強く相手を追い払ったら、翌朝、駅員さんに「ここまででいいんですか?」とからかわれたのもたまプラーザの駅である。そして30歳のとき、私はたまプラーザを出た。この家を出るのは嫁に行くときだと信じていたのだが、その計画が叶わぬ気配濃厚となり、仕事を始めたのを機に自立した。

たまプラーザ駅南口

たまプラーザ駅南口
2009年10月

あれからすでに四半世紀が経つ。今、たまプラーザの家に住むのは高齢となった父と母の2人だけである。親不孝な娘は数ヶ月に一度ぐらいしか戻らないけれど、たまに帰るとたちまち懐かしさが甦る。同時に、なんと大きな街になったのだろうと驚愕する。駅周辺は巨大なビルや商店が建ち並び、無人改札だったことが嘘かと思われるほど駅舎は立派に変貌した。か細かった桜の木々は今や、花見の名所として評判になるほどの古木の並木と化し、我が家の庭も、鬱蒼とした緑に覆われて、坂の下からでは家の全景がわからないほどである。

「でもやっぱり、東京と比べるとこっちは空気がいいね」

縁側のガラス戸を開け放ち、私は深呼吸をする。ギイギイとヒヨが甲高い声で鳴いている。ヒヨやメジロは今でも見かけるけれど、そういえばヒバリはもう、たまプラーザに訪ねてこないのだろうか。春先、家の近所にたくさん生えていたツクシもここ数年は見かけなくなったと母が言う。これだけの都会になっちゃたからね。しかたないよね。

「どうだ、近所に旨いフランス料理の小さなレストランを見つけたんだが、今夜、行くか」

父が提案する。へえ、そんな店ができたのか。私の知らないたまプラーザは今もなお、成長し続けている。

阿川佐和子氏
阿川佐和子 (あがわ さわこ)

1953年東京生まれ。エッセイスト・小説家。
著書『残るは食欲』 マガジンハウス 1,400円+税、『婚約のあとで』 新潮社 1,600円+税、ほか多数。

写真・吉原朱美撮影

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