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| 平成15年10月10日 第431号 P1 |
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| 目次 | |
| P1 P2 P3 | ○座談会 神奈川県立近代美術館 葉山館誕生 (1) (2) (3) |
| P4 | ○運慶と東国 水野敬三郎 |
| P5 | ○人と作品 吉村萬壱と『ハリガネムシ』 金田浩一呂 |
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| 座談会 神奈川県立近代美術館 葉山館誕生 (1)
—海と緑の山にかこまれた出会いの場— |
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はじめに |
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| 篠崎 |
そこで本日は、開館を待つばかりの葉山館におじゃましまして、開館記念展「もうひとつの現代展」や施設の概要についてご紹介いただきながら、鎌倉近美の開館からの歩みと今後の美術館のあり方について、いろいろとお話を伺いたいと思っております。 ご出席いただきました奥谷博先生は、洋画家としてご活躍で、葉山にご自宅とアトリエをお持ちでいらっしゃいます。1982年には、「奥谷博展−静けさと神秘の詩」を鎌倉近美で開催されております。84年には第三回宮本三郎記念賞を受賞されたほか、96年には日本芸術院会員となられました。 青木茂先生は1972年から83年まで鎌倉近美で学芸員をお務めになり、跡見学園女子大学教授を経て、現在は文星芸術大学教授および町田市立国際版画美術館館長でいらっしゃいます。幕末明治の初期洋画を研究されております。 酒井忠康先生は1964年から鎌倉近美に勤務されて、92年から館長を務められております。最近は、国内外の現代彫刻に大きな関心を持って活躍されております。 |
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◇世界で3番目の近代美術館としてオープン |
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| 篠崎 |
葉山館がオープンするまでの経緯を伺えますか。
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| 酒井 |
鎌倉近美は、ご存じのように、大変小さい美術館で、時代になかなか適応しにくいんです。
1966年に池側のほうにガラス張りの新館をつくって、延べ床面積が2,500平方メートルになった。それが手狭であるということで、84年に北鎌倉寄りにあった県営駐車場を、当時の長洲一二県知事が勇気を持って美術館の土地に切りかえて、別館をつくった。そこが、大体1,500平方メートルで、合わせて約4,000平方メートルです。 ところが、日本の県立美術館の平均の延べ床は10,000平方メートル前後で、6,000足りないわけです。そこで、6,000平方メートルを目標にどこかに分館をつくったらということで、いくつか候補地はあったんですが、即刻解決する感じではなかった。 八幡宮の旧館を改築して、新しい時代に適応する建物に衣がえしようという案もあったんですが、鎌倉は文化財保護法の発祥の地ということがあって、抜本改築はなかなか容易でない。しかるべき場所に美術館を用意しておかなければ困るかもしれないということから、急転直下、葉山の地になったんです。 |
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日本では珍しい海辺に面した美術館 |
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| 酒井 |
葉山館の場所は県有地で、山側の三ヶ岡も神奈川県の公園なんです。海側、現在美術館があるところは、かつては高松宮様の夏の別邸があったところで、大変由緒のある土地なんです。ですから県側も、単なる公園をつくってもなかなか難しいと考えていたみたいです。それで、美術館ならご迷惑をかけることはないだろうというので決まったということです。
一度いらしてくだされば、ここがいかにすばらしい景観かということは感じていただけると思うんですが、日本では海辺に直接面した美術館というのは珍しくて、茨城県の五浦にある、岡倉天心ゆかりの茨城県天心記念五浦美術館とか、九州の別府市美術館とか、そう多くはないんです。 けれど、諸外国で言うと、イギリスのロンドンにテート・ギャラリーというのがありますが、その分館がセント・アイヴスとかリバプールにあります。ごく海のそばでは、地中海だと、南フランスのアンティーブの海辺にピカソ美術館がある。それから、デンマークのコペンハーゲン郊外に現代美術のジャコメッティのたくさんのコレクションを持っているルイジアナ美術館があります。 諸外国では、海辺の美術館は、どちらかというと喜ばれる傾向にあるんです。 |
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| 篠崎 |
最高の環境ですね。
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| 酒井 |
隣は、昭和天皇の海洋研究の成果を陳列している「葉山しおさい公園」です。
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| 奥谷 |
その隣が御用邸ですものね。
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塩害・津波対策を考慮した高レベルの技術 |
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| 酒井 |
御用邸がすぐそばにあるということで、高さの制限とか、いろいろと気を使うことがありました。あまり居丈高な建物をつくるわけにもいかない。
それに海に近いので、塩害とか作品の保護・保全の問題もある。それで、関東大震災のときの津波の高さが6、7メートルあったらしいので、1階のレベルでかろうじてそれを超える10メートルの条件で建てたんです。 外見はそんなに大きくないけれど、展示室などを見ると意外に思うぐらいの大きさは持っているんです。 |
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| 篠崎 |
海風が入らないように、室内の気圧を上げてあるそうですね。
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| 酒井 |
そうです。それからエアコンは性能の高いものにしてあるんです。企画展のための展示会場は、自然光と人工光の両方、調節がきくようにつくりました。
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| 篠崎 |
収蔵庫はどのあたりですか。
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| 酒井 | 地下2階にしました。扉を何重にもして、津波対策を考慮に入れて、非常に高いレベルの技術でこしらえました。
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| 奥谷 |
収蔵庫は気をつけないと。私は高知県の出身なんですが、台風のとき水が来て、高知の県立美術館の収蔵庫の作品が大分やられたんです。そのことは、運営委員会でも皆さん随分ご心配されていましたよね。
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運営委員会を組織して将来像を話し合う |
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| 酒井 |
うちの美術館は開設以来、運営委員会を組織していまして、それぞれ名士の方に加わっていただいていました。逗子にお住まいだった文化功労者で東大名誉教授の脇村義太郎先生に長い間会長をお願いして、画家の片岡球子先生とか、音楽評論家の吉田秀和先生、作家の永井路子先生とか、そうそうたる人たちが加わって、けんけんがくがく日夜いろいろとお話を聞いて、指示を仰いだんです。
最後のほうには、平山郁夫先生、青木先生や奥谷先生に加わっていただいて、この美術館の将来像を話し合っていただいた。そのときに皆さんが一番心配されたのは、やはり津波や塩害の問題でした。 |
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